第10話 懐かしい人たち

 王都は決して無事というわけではなく、城壁のあちらこちらが崩れていた。

 ヨハネによると、魔物の攻勢にさらされていたからだという。

 城壁には物々しく兵士が並び、周囲の警戒にあたっていた。

 大通りを抜け、貴族街へ。

 しかし向かった屋敷は、公爵家の屋敷ではなかった。


「到着したぞ」


 私は馬から下りると、地面におろしてもらう。


「さあ、入れ」

「は、はい」

「お帰りなさいませ、伯爵様」


 出迎えたのは、執事というには若い青年。

 あれ。この人どこかで会ったことがあるような……?

 と、私はその執事の後ろに控えているメイドの中に、アリシアさんとジャスミンさんがいることに気付く。


「お嬢様……?」

「嘘……」


 二人とも信じられないという顔をしている。


「アリシアさん! ジャスミンさん!」


 二人は感涙に噎びながら、私に抱きついてくれる。私も二人を抱きしめた。


「お嬢様、ご無事だったんですね!」

「こうしてまたお会い出来るなんて、夢のようです!」

「二人だけじゃない。ユリア、ここにいるみんなに見覚えはないか?」


 ヨハネに言われ、私はあらためて使用人たちに目を向ける。

 トクン。心臓が大きく跳ねた。

 もしかして……。


「……ジャック?」


 私は執事をしている青年に言った。

 裂け目に飲み込まれる時には、まだ八歳だったはず。


「そうだよ、ユリア!」


 ジャックは涙目になりながら頷く。

 私は他のメイドにも目を向けた。

 こうしてちゃんと見れば、みんなの顔には面影がある。


「ニーシャ、パック、キャロライン……トレイシー!」


 トレイシーは同い年の大親友。

 猫のような円らな瞳の赤毛の少女。いや、今は立派な大人の女性。


「そうよ、ユリア! ああ、本当にユリアだ!」


 みんなが一斉に私を囲んで口々に声をかけてくれる。


「死んだってみんなが言ってたけど、生きてたんだな!」

「ユリア、あの頃とぜんぜん変わってないよね……?」

「え、えっとね、うまく説明できないんだけど、私にとっては裂け目に飲み込まれたのって、つい昨日の出来事なの。だから、あの日から十五年も時間が経ってるって知ってすごく驚いてて……」

「ということは、ユリアはまだ十七歳っていうこと?」


 みんなの顔が驚きに包まれる。


「たしかなことは分からないんだけど、そうなるのかな?」

「年齢なんかどうでもいいさ! こうして家族みんなが揃ったんだから!」

「でもどうして、みんながここにいるの?」

「伯爵様が助けて下さったからだよ!」

「そうなの。教会が魔物に襲われた時に騎士団を率いて駆けつけてくださったの。魔物をぜーんぶやっつけて、私たちをこのお屋敷に匿ってくれただけじゃなくて、お仕事までくれたんだから!」

「ヨハネ、みんなのことを守ってくれてありがとう!」


 私は深々と頭を下げた。


「当然のことをしたまでだ。ユリアにとって大切な人たちなら、俺にとっても同じだ」

「ヨハネ……」


 十五年前は、ほとんど口も聞かなかったから、ヨハネが何を考えているのかさえ分からなかった。

 私は好かれてないと思っていたのに、教会のみんなの命を助けてくれたばかりか、こうして働き口の面倒まで見てくれているなんて、どれほど感謝してもしきれない。


「シスターは?」

「こっちよ、ユリア」


 トレイシーに手を引かれ、私は屋敷の奥に連れて行かれる。そこは食堂。


「シスター!」

「トレイシー、ここは伯爵様のお屋敷なんですよ。はしたなく大声を出してはいけないと何度言ったら……」


 厨房の奥から聞き覚えのある声がした。


「お説教なんていいから、お客さんだよ! 私たちのよーく知ってる! 早く出て来て!」

「お客様なんて、こんな作業着で……」


 シスターが厨房から出てくるなり、目が合った。

 白いものが目立つし、皺も増えてる。でもたしかにシスターだった。


「シスター!」


 私はシスターに抱きつく。


「う、うそ……あぁ、ど、どうして……幻を見て……いえ、お迎えが来たというの……? あぁぁぁ、神様!」

「違うわ、シスター! 私は生きてるわっ! 現実!」


 シスターの皺の寄った手が、私の顔を撫で、その目でまじまじと見つめられる。

 次の瞬間、目から大粒の涙がこぼれ、「ユリア!」と強く強く抱きしめられた。

 私も負けないくらいしっかりシスターを抱きしめる。


「神様! ありがとうございます、ありがとうございます……!」


 積もる話もあるけど、ヨハネを待たせてしまっている。


「シスター、またあとで話しましょう」

「ええ……。あぁ、あなたが元気そうで良かったわ!」


 私は食堂を出ると、ヨハネに「こっちだ」と二階のとある一室まで案内された。


「ここがユリアの部屋だ。足りないものがあれば言ってくれ。すぐに用意する」

「この部屋を私に?」

「不満か? もし他の部屋がいいなら……」

「不満どころか……すごく立派すぎて……」

「気に入ったのなら良かった。アリシア、ジャスミン。ユリアの世話を頼むぞ」

「お任せ下さい、伯爵様!」


 ヨハネが、私の右手に優しく触れると、包み込むように握り締められる。

 彼の手はとても熱い。


「しっかり休んでくれ」

「うん。ありがとう」


 ヨハネが部屋を出ると、アリシアさんたちは早速、紅茶を淹れてくれた。

 紅茶を頂き、それから寝巻に着替えて、ベッドで眠った。

 十五年という年月、大人になった教会のみんな、それから、ヨハネ。

 目を閉じると、夢を見ることないくらい深い眠りに落ちた。



 ユリアを見た時、白昼夢か、俺自身の恋しさゆえについに幻覚を見るようになってしまったのかと、錯覚した。

 十五年という歳月が経っていながら、彼女は最後に見た時の麗しいままの姿だったから、魔物が化けたのかとも思った。

 だが全て現実だと分かった時の、全身が痺れるような、体が内から滾るような瞬間は忘れられない。

 気がつくと、無我夢中で抱きしめていた。

 かけがえのない人。

 ヨハネにとって、ユリアは代えの利かない、世界でただ一人の女性。

 こうして自分の部屋にいながらも、ずっとユリアのことを考えてしまう。

 同時に、目を離している間にもまた彼女は消えてしまうのではないかという不安がついて回る。

 居ても立ってもいられなくなり、俺は部屋を出ると、ユリアの部屋に入った。


「伯爵様。どうされたんですか?」


 不寝番のジャスミンが不思議そうな顔で、立ち上がる。


「ユリアは?」

「お休みになられていますが……」

「そうか。下がれ」

「か、かしこまりました」


 ジャスミンが部屋を出ていき、完全に気配がなくなったことを確認した上で寝室の戸を開ける。

 起こさぬように足音を殺し、静かな寝息を立てるユリアを見つめる。


「ユリア……っ」


 切なさのあまり、そう呼びかけた声はかすかに涙声になってしまう。

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