第2話 前途多難
翌朝、ノックの音で目覚めた。
「ふぁ~い……」
呑気な返事をすると、「失礼いたします」というハキハキした声と一緒にアリシアさんが入って来た。
「っ!!」
ここがもう教会でないことを思い出す。
大欠伸をしながら返事をするなんて!
私は赤面した。
「ぬるま湯でございます。こちらで顔を洗ってください」
「……あ、ありがとうございます」
恥ずかしさのあまり、消え入るような声しかだせない。
「どうかなさいましたか?」
「い、いえ。なんでも……」
「お風呂の支度も調っております」
「そ、そうなんですね。ありがとうございます」
お風呂には昨日の夜入ったし、春先だから寝汗もそれほどかいていないけど、貴族というものは朝もちゃんとお風呂に入るものみたい。
「入ります」
「かしこまりました」
私が顔を洗い終えると、アリシアさんは私の服を脱がそうとしてくる。
「だ、大丈夫です! 一人で脱げますから……っ」
「左様でございますか。失礼いたしました」
どうして服を脱ぐ時もアリシアさんはここにいるんだろう。
目こそ伏せてくれているけど、落ち着かない。
これが貴族の人の生活なの?
私は恥ずかしい思いをしながら服を脱ぐと、アリシアさんが用意してくれたバスローブを羽織り、お風呂へ。
ピカピカのバスタブに綺麗なお湯が張られて、湯気が上がっている。
「いい香りですね」
「アロエの香油をたらしております」
ジャスミンさんが言った。
(お、オシャレ……)
よく分からないけどそんな感想を持つ。
「あの、お風呂は一人で入れますけど」
「髪や肌のお手入れをさせていただければと思います」
「…………は、はい、お願いします…………」
ジャスミンさんだけじゃなくて、アリシアさんも加わった。
私が湯船につかると、早速髪や肌にいい香りのクリームを塗り込んでもらう。
肌を人に触れられるのは馴れないせいか、お風呂から上がった頃には、気疲れでクタクタだった。
正直、このまま寝室に戻って眠りたいくらい。
でも肌はびっくりするくらいツヤツヤしているし、髪も指通りなめらかで、これが自分の体なのとびっくりしてしまう。
お風呂から上がると二人がかりで体を拭いてくれようとするから、私は大丈夫ですから、と固辞した。
体を拭き終わると、下着をつける。
次に用意されたドレスの中から今日の一着を選んで欲しいと言われた。
ラックにかけられたデザインや色など多岐にわたるドレスの数々。
教会ならたくさんの中から選ぶような贅沢はできないから、いつも着ているものを適当に着るところなんだけどそうもいかない。
なにせ朝食は公爵様とヨハネ君も同席する。
恥ずかしい格好で出るわけにはいかない。
私はうんうんうなりながらも、鮮やかな緑の袖や襟元にフリルのついたドレスを選んだ。
ドレスは着たことがないから、さすがに二人に手伝ってもらった。
それから鏡台に座って、ヘアメイク。
いつもは仕事に邪魔にならないよう適当にポニーテールにくくるとか、頭の上でまとめてピンで留めて終わりにしてるけど、アリシアさんが髪をしっかり櫛ですいて、ヘアメイクをしてくれる。
「お嬢様の髪はとても長くてお綺麗ですね」
「そ、そうですか」
「お手入れのこつなどあるんですか?」
「ど、どうでしょう。適当にしてるだけなので……」
「羨ましいです。髪飾りは何になさいますか?」
ずらっと高級そうな髪留めの数々を見せてもらう。
でも私がつける髪飾りは決まっている。
私は鏡台においておいた、髪飾りを手に取り、「これにしてくださいと」とお願いした。
アリシアさんが見せてくれたどの髪飾りよりも簡素で、お世辞にも綺麗とは言えない。
河原で拾った綺麗な石にリボンをあしらったオモチャみたいなものだけど、私にとってはかけがえのないもの。
教会で私の誕生日に子どもたちがわざわざ作ってくれたものだ。
「かしこまりました」
アリシアさんは嫌な顔一つせず、その髪留めを使ってくれた。
「すみません。無理を言ってしまって」
「とんでもありません。お嬢様にとってとてもかけがえのないものなんですよね、きっと」
「はいっ」
アリシアさんの言葉に、私は満面の笑みを浮かべて頷いた。
ジャスミンさんはお化粧の係。
(これが私……)
ナチュラルな感じのメイクにしてもらったはずなんだけど、鏡の向こうにいるのが本当に自分なのかと二度見してしまうくらい綺麗になっていて、感動してしまう。
でもいつまでも鏡に映り込んだ自分に見とれてる場合じゃない。
食堂で公爵様たちとお待たせするわけにはいかない。
礼儀に適っているかどうかはおいておいて、早足で食堂へ向かう。
この時点で起床してからすでに二時間が経過していた。
「公爵様、おはようございます。お、遅れてしまって申し訳ありません……っ」
「いいんだよ」
公爵様とヨハネ君は優雅にお茶を飲んでいた。
ヨハネ君を見る。
「おはよう、ヨハネく――」
私からさっと顔を背ける。
(う)
やっぱり心にクる。
「それじゃ、朝食にしよう」
「……は、はい」
私が席に着くと、メイドさんたちが食事をどんどん運んでくれる。
パンにゆで卵、コーンスープ。パンはクロワッサンとか一斤丸ごとのパンにバターたっぷりのバターロールなど。すべて焼きたて。
食堂は焼きたての甘い香りに包まれる。
「ユリア。今日から家庭教師が来るからしっかり勉強をするように。将来の聖女たる者、社交界に出ても恥ずかしくないようにしなくてはならないからね」
私は簡単な文字の読み書きくらいしか教会で習っていないけど、聖女はそれではダメみたいで、文字や計算、国の歴史、聖女に関する知識をしっかり学ぶ必要がある。
「頑張りますっ」
公爵様は満足そうに頷く。
「いい返事だ。もし分からないことがあればヨハネに聞きなさい。子どもだが、勉強では君の先輩になるから」
「ヨハネ君。その時はよろしくね」
無視。
「ヨハネ、返事をしなさい」
侯爵様に厳しく言われると、「……はぃ」と小さい声で言った。
勉強よりも、ヨハネ君に気に入られるのが何十杯倍も難しそう。
前途多難だ。
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