第59話

モニカは持ち出していた機密文書を抱え直し、いつでも記述を再開できるように紙挟みの位置を正した。

目の前では剣と盾を持った、それでも恰好はドレスのような出で立ちだったが、元冒険者としても名の通ったアーシアとアドルフォやベネデットたちが挨拶を交わしているところだ。

ブルーノは相変わらずニコニコとして緊張感は感じられない。

彼らの様子を観察しているその視線の先、別荘のテラスの方で動きがあった。

誰か背の低い、子供、おそらくはセルバ家の娘が出てきてしゃがみ込み、納屋の方へ向かって手を振った。

同じようにそちらに視線を向けていたベネデットが「あれは、」とつぶやく声にもう一度そちらを見ると、納屋から大きなイヌ、イヌか?随分と大きいように見えるが灰褐色のイヌが出てきて、てってという軽い足取りで娘の方へ寄っていった。

「うわ、でか、」と口にしかけて慌ててやめたアドルフォに、ブルーノが困ったような笑顔を向ける。

「大きいでしょう。オオカミだそうでね、まあ知っているだろうけれど、あの娘、ステラがここへ来たときにはすでに納屋に居たそうでね、それを餌付けしたらしい。今ではあの通りだね」

「餌付けであれほど懐きますか」

オオカミはステラの前に座り、顎や眉間、首回りをなで回されるに任せている。

イヌならば飼い慣らされ、狩猟の相棒として、門番として、あるいは愛玩動物として生活に入り込んではいる。

だがオオカミは野生動物であり、シカなどの大型の動物、時には魔物すら狩って食べるような獰猛な獣として知られている。

オオカミを人が飼えるようにしたものがイヌだとも言われているが、こうして見ると、大きい。牙が鋭く、脚も太い。

しかし野生動物と言うには毛並みが良く、汚れているようには見えず、艶もある。

「手から直接肉を受け取って食べるくらいには言うことを聞くし大人しいそうだ。どうもステラを主として認識しているようでね、我々はステラよりは下らしいよ。言うことを聞きはするが、先にステラの方を見て確認したりするね」

そのオオカミはステラの両腕を首に回され、ぎゅっと抱かれていながら目を閉じている。大人しい、これがオオカミか。

それから腕が解かれ、ステラがこちらを見てオオカミの背を軽くポンポンと叩いた。

オオカミは腰を上げ、こちらに近づいてくる。その大きさがさらに良くわかる。狩猟に使われるようなイヌよりもさらに大きい。

そのままアーシアの隣りまで来ると、その場ですっと伏せた。目はこちらを窺ってはいるが、攻撃する気はないぞという宣言か。

「どうやら我々に同行するつもりのようだね。構わないかな?」

「それは構いませんが、いや、オオカミがここまで言うことを聞くもんですか。まるでテイマーのようですな」

セルバ家の娘、ステラはスキルを得られなかった。

その話は町中どころか他の町にも広がっている。そのせいでノッテの森に引きこもった、そう言われている。

テイマーのようなスキルを持たない、どころか何もスキルは持っていないというのに、こうしてオオカミを手なずけている。しかも、納屋の方でちらりと白い毛並みも見えた、恐らく他にもオオカミがいるのだ、複数頭を手なずけている。

まだ幼い子供のはずだ、それでこれか。視線を戻すと、すでに屋内に戻ったのか姿は見えなかった。

「さて、それではそろそろ行きましょうか」

ブルーノが言うとオオカミが姿勢を戻し、先導するように敷地の一角、森の中へ続く獣道のような場所へと向かった。アーシアがそれに続く。やはりオオカミは先導するつもりのようだった。

モニカとしてはオオカミの尻尾をもっと良く見たかった。

今は共同住宅の一室を借りている身でとても飼えないが、実はイヌが好きだ。イヌが飼いたいのだ。

いつかは庭のある一軒家を手に入れて、イヌを飼いたい。そういう願いを持っていた。

だから、ぶんぶんと機嫌良く振られるオオカミの尻尾が非常に魅力的に見えていた。ステラにわしゃわしゃとなでられているところから、モニカにはこのオオカミが大きなイヌにしか見えなくなっていた。

小型犬なら膝に乗せられるかも。あまり広い家じゃなくても小型犬なら飼いやすい。でも大型犬なら一緒に寝転がるのにとてもいいかも。あのわしゃわしゃする感じはとてもいい。そう思えた。

いや、その話は今することじゃない。なんと言っても自分はここに作られる出張所の長になるのだ。今後お近づきになる機会が、何だったらなでさせてもらえる機会があるかもしれないではないか。


「こうして見ると、この森は人の手が入っていないようには見えませんね」

ノルベルトの感想は最もだった。

下草が密集しているというわけでもなく、鬱蒼とした深い森ではあったが見通しは良い。今歩いている道も獣道といいながらも人が通るのに不適な道ではなかった。

獣や鳥の鳴き声や気配はするが、ぐるりと見渡してすぐに目に入るということは無い。

「動物もそれなりに?」

「私たちを気にしてか今は見えませんが、シカ、イノシシ、ネズミ、ウサギ、タヌキ、イタチ。見かけますが多いというほどではないでしょう」

「アーシア様が見回りを?」

「最初の頃はそうでしたね。今はオオカミたち、気がついたでしょうが他にもオオカミは居まして、彼らがやっていますね。たまに魔物を倒して戦利品として持ち帰りますよ」

オオカミたちには良い場所なのか。シカを狩って食べるというし、あの家まで戻ればそれとは別に食べるものがあり、寝る場所もある。

それにしても魔物も狩るのか。

「オオカミってのは魔物を狩れるものですか。まあでかいですが。俺の印象ですが、魔物は独自の能力みたいなもんを持っている奴が多いですが」

「それがどうもね。ゴブリンなどは簡単に倒すようですよ。一緒に回ったときに遭遇しましたが、一撃でしたね。最もこのオオカミたちが特別で、ほかのオオカミは違うという可能性もありますが」

ゴブリン単体は弱い魔物だ。だがそれを一撃となると、どうだろう。このオオカミの脚は太いが、これで殴って一撃か。かもしれない、と思える太い脚ではある。

「念のためですが、ほかにも魔物は出ますか」

「この辺りはゴブリンがたまに山の方から来るだけですね。あとは東側、だいぶ東の方ですが沼地があって、その辺りにはトードやスネークが出ます。一度彼ら、オオカミがとても大きなスネークを持ち帰ったことがあって驚きましたよ。頭を割ったら魔石が出たので魔物とみて間違いない。彼らは持ち帰ったことで満足したのか、どうでもよさそうでしたね」

魔物の出現情報は重要だ。

どうせ暇な冒険者が勝手に森に入る。そうしてその辺で動物や魔物に喧嘩を売るのだ。

オオカミはセルバ家の番犬のようだから手出し厳禁としておかなければならない。そしてそのオオカミが狩るような動物もやはり狩猟禁止としておいたほうが良いだろう。

魔物ならば戦ってもらってもまったく構わない。東側を推奨するのが良いだろうか。沼地にトード、スネーク。一度調査には入らせてもらって、情報をまとめておこう。

モニカが文書にメモ書きを追記して、もちろん足下には充分気をつけながらだが、進んでいると、前方になにやら変わった地形が見えてきた。

「わかりますか。あそこ、急に丘のように丸く盛り上がっています」

確かに大人の背丈以上の高さまで急激に土が盛り上がり、丘のような形を作っている。

ぱっと見た限り円形が斜面にめり込んだような形に見えるが、それが下草や木立も一緒に持ち上がっていて異様な雰囲気がある。

「あれがダンジョンですか」

「はい。こちらからは見えませんが、あちら、わかりますか、木立の間に明るい、そうです。あの方向に街道がある。あちら側に向かって斜面が崩れていて」

話を聞きながら丘の麓部分をぐるっと周り、街道と思われる側へ移動する。

木が何本か倒れているのが見える。

そして倒れた木によって巻き込まれたのか、丘の表面の土が大きく崩されている。

表面が崩されたことによって現れたのか、そこには不自然なほどに大きさの揃った石材のブロックが積み上げられ、通路の入り口と思われる場所が姿を見せていた。

「ここがダンジョン、その入り口になります」

オオカミとともに入り口の脇に立って話すアーシアの声を聞きながら、モニカはじっとそこにある薄闇を見つめていた。

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