(2)
しかしミミはその思いをライカンに告げることはなかった。
この気持ちを言葉にしたとて、ただの自己満足に終わる可能性が高いとミミは思ったのだ。
うねる黒いブルネット、日に焼けた肌に、肉体は女子にしては屈強で、さらにそこには無数の傷跡が走り、顔にはそばかすが散っている。ミミの知る、一般的な美の基準から自分がほど遠いことなど、わざわざ確認せずともわかりきっていた。
戦役のあいだは、ただライカンの役に立ちたい一心で、彼の助けとなれるのであればそれでいいと、ミミのその胸は誇らしさで満たされていた。
けれども終戦となり、ライカンと離れ離れになることが決まった途端、ミミの心臓はしくしくと痛み出したのだ。
ライカンとはこれきりとなるだろう、というのはほのかな予感ではなく強固な確信だった。
エロミーネの尼僧兵と、中央の将軍とでは、戦闘に従事する機会があるという一面においては、接点がまったくないというわけではなかった。しかし多くの人間からすれば、その接点はほとんどないのと同じだろう。ミミから見てもそうだ。
だからミミは初恋を大事に胸にしまい込んで、神殿に戻り、戦前と変わりない日常へ帰るつもりだった。
しかし――それは、「魔が差した」としか言いようがなかった。
ミミは自らが仕えるエロミーネに恋心を見抜かれ、すっかり白状してしまったのだ。
ライカンに惚れたことを。その恋が実らないものだということを。しかしそうと理解しても、ライカンを恋い慕う気持ちが一向に消えないことを。
ただミミは、エロミーネの神力にすがるつもりはなかった。ただ、だれかに自分の気持ちを聞いて欲しいだけだった。フタをしてもあふれかけて、抑えきれないその恋心を。
エロミーネは「ふんふん」とひと通りミミの話を聞いてから、その豊満な胸を張って言った。
「わたしに任せなさい!」
ミミは猛烈に嫌な予感に駆られた。
しかしミミがなにごとかを言う前に、エロミーネが先んじて神力を行使した。
するとたちまちのうちにミミは別人の姿へと変えられてしまったのである。玉のような白い肌、さらさらのブロンドヘア、ぱっちりと大きな目に、シャープな印象を与える顎のライン……。
そして一切合切の言葉を奪われた。しゃべることはおろか、筆記すらなにやら目に見えない力で妨害されてしまうのだ。
ミミに残された、意思疎通の手段は身振り手振りや表情の変化くらいである。
「神託をしておいたわ! 『女神エロミーネの巫女を赤狼将軍ライカンに嫁がせなさい』とね!」
ミミは尼僧兵であって、巫女とは違う。巫女の中には尼僧兵を兼務している者もいないことはないが、少なくともミミはそうではないし、そもそも巫女でもない。
ミミは顔を青くして内心大慌てだったが、エロミーネの神力で言葉を奪われているため、なにも言えなかった。
せめてもの抵抗として、頭を左右にぶんぶん振ってみたが、暴れ牛のごとくとなったエロミーネに通じるはずもなかった。
「え? ミミは巫女じゃないって? いいのよ! 今から巫女ってことにすれば!」
ミミからするとなにもよくないし、そんな道理が通るのかはわからなかったが、相手はなにせ神である。ほかでもない神が言っているのだから、そういうことになるのだろう。なってしまうのだろう。
ミミは青ざめた顔で、泡を食ったようにわたわたと、どうにか身振り手振りでエロミーネを翻意させようとしたものの、暴走する女神を「どうにか」できるはずもなかった。
「え? どうして姿まで変えたかって……? こっちのほうがいいからに決まってるでしょ!」
ミミにはちんぷんかんぷんだった。
「いいのよ! あなたはそのまま、ライカンに嫁げばいいの! それで万事解決! わたしの愛の女神としての名声もうなぎのぼりってわけ!」
解決するどころか、新たな火種となりかねないとミミは思った。
「あなたは今日から『女神エロミーネの巫女アリアミリーシュ』よ! そんな感じでよろしく!」
ミミはやたらに長く覚えにくい名前をエロミーネに与えられた。
「大丈夫よ! わたしの言う通りにすれば大団円!」
ミミは猛烈に不安になった。不安になったが、それを伝える手段はエロミーネによって奪われている。
またミミは頭を左右にぶんぶんと振ってみたが、エロミーネが意に介した様子はない。
ひたすらに豊満な胸を張って、「わたしに任せて!」と主張してくるばかりだ。
そうしてミミはあれよあれよという間にエロミーネによって呼び出された巫女たちに連れられ、神殿内の一室に閉じ込められてしまった。
ミミは屈強な尼僧兵であったが、エロミーネによって姿を変えられた影響か、以前のような力を出せなくなっていた。つまり、部屋から脱出し、逃走するなどというマネはできないということだ。
ミミはどうにかエロミーネたちを翻意させられないかと悪戦苦闘したものの、エロミーネも、彼女に忠実な巫女たちも聞く耳を持たない。……というかそもそもミミはしゃべることができなくなっていたので、まずその真意を伝えることが難関だった。
そうしてあれよあれよという間に一週間が経ち――とうとう、神殿にライカンがやってきてしまったのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。