第33話 紹介された! 上

「君等が、ウチの研究室に興味を持ってくれた学生達かい」

「っはい……柳貴音です」

「黒舘由衣です」

「……まぁ、とりあえずあがるといい」


 荘厳な雰囲気を纏った老年の男性――――網代あじろ清隆きよたか教授は、俺と由衣さんを一瞥して扉の中に入っていった。

 俺は意を決して、その扉をくぐる。


 由衣さんと話をしていた際に、研究室の説明を受けると聞いて俺も一緒に受けることにしたのだ。洸成は――――惜しくも逃げられた。

 早野さんと言い、洸成といい。こういう堅苦しい教授の下にはあまり着きたくなさそうな性格をしている。来ないのも当然だ。

 かくいう俺自身もそっち側なのだが……隣で不安気な眼をする由衣さんを一人にするのも憚られる。


 教授の部屋の中に入ると、たくさんの書類の山と棚の数々。部屋自体は広いはずなのに、圧迫感がある。こういうのはどこの教授の研究室も同じなのだろうか。

 部屋の手前に二つの椅子が置かれていて、その周りだけ僅かに整理された痕跡がある。


「緊張すると思うが、とりあえず席に座りなさい。私の学生ももうじき来るはずだ」

「「失礼します」」


 威圧感。……正直に言って帰りたい。

 でもそんなこと言えるほどの勇気などない。

 部屋の中には教授以外の関係者はおらず、教授は自身の席に着いて俺達に声をかけた。


「まずは私の研究に興味を持ってきてくれたことは感謝しよう。あまり個別で相談の機会を作ることはそもそもなかったからな」

「っはい! 機会をいただいてありがとうございます」

「それで、何から聞きたい?」

「まずは改めて研究内容と、学生さんの現在行っている内容を聞きたいです」

「わかった」


 網代先生は依然として覇気を纏ったままなものの、それに臆さず質問を投げかける由衣さんに思わず息を呑む。こんなに怖いもの知らずだったか……?

 網代先生は紙面での資料を俺と由衣さんに渡して、耽々と説明を施した。


「地理学の内容なのは恐らく聞いていよう。講義でもいくつか取り扱い、確か二人は履修もしていたのを知っている」

「あ、ありがとうございます」

「割と学生から怖がられているのは知っているからな。おかげで履修者が少ない故ある程度は覚えている。特に、評価の高い生徒はな尚のこと」

「あ、あはは……恐れ入ります」


 網代先生自らそういった発言をされる。……この人分かっててやってるのか?

 というか、一学生にそういったこと言うのか……。


「話が逸れたな。現在は北欧の地理について研究を行っている。あくまで私自身がだが。興味がある学生はたまに現地に連れていって観測をさせている。それに準ずる論文を執筆している最中だ」

「北欧ですか……? それはなんで?」

「綺麗な景色が見たいからな」

「き、綺麗……き、え??」


 由衣さんの質問に淡々と答える網代先生。その返答に由衣さんが戸惑っている。

 そりゃそうだろう。こんな威厳と威圧を存分にまき散らしている人が子供のような感想で質問を一蹴したんだから。

 俺自身、耳を疑ってしまった。


「単純なことだ。私は誰かの為や、世界の繁栄の為だとかで研究を行っている訳ではない。自分の突き詰めた先の景色を見たくて研究をしているに過ぎない。それを阻まれるのはこの上ないストレスになる。また、その志を有していながら中途で諦めてしまう人間も私は嫌いだ」

「……なるほど」


 究極的な自分勝手をあくまで研究という体裁でやっているだけ。とそう言いたいらしい。研究としての概念が自分の中で崩落していく感覚がする。

 でも確かに、その言葉に網代先生の性格や思想がすべて含まれているのを実感した。

 テキトーに生きているだけの人間や、途中で物事を放棄してしまう人間には向いていないのもよくわかる。


 それを聞いて黒舘先生は若干戸惑っていたようだが、まるで嫌悪感や忌避感を抱いているようには見えなかった。網代先生と同種の何かを感じ取ったのか、それともただ研究内容に興味を持ったのかは分からないが、それでも口を噤むことなく質問を続ける。


「網代先生の言う綺麗な景色って、例えばオーロラのようなものですか?」

「あぁそうだ。そもそもオーロラは通常、北極圏でしか見ることができず、発生条件もとてもシビアだ。だが、日本でも起きた事例はあり――――」


 そうして会話の応酬が続く。だんだんと話が難しくなっているのについていくのがキツくなってきた頃に、後方の扉からドアをノックする音がした。

 二人も気が付いたようで、会話を止める。


「入りなさい」

「失礼します。説明会ってことで来ました。四年の氷見ひみです」

風間かざまです。よろしくお願いします」

「「よろしくお願いします」」

「二人か……多々良は?」

「それが……『遅れると伝えて』と」

「全く……まぁいい」


 優し気な表情の男女が部屋の中に入ってくる。

 苦笑交じりに網代先生に返答をした男性は風間さんというらしい。そしてスポーティな服装の黒髪短髪の女性が氷見さん。

 多々良さん、という人物は何者か分からないが、恐らく研究室の学生なのだろう。あの網代先生が手を焼いているような雰囲気だ。……多分相当の人に違いない。

 俺と由衣さんは簡素に自己紹介をして、二人の話を聞く。


「先生の話は終わりで?」

「あぁ、もうおおよそ話が終わった」

「了解です。じゃあ、学生研究室の方に案内しますね。あとはこっちでやっておきます」

「頼む」


 そう言って、氷見さんと風間さんは俺達を隣室の部屋に来るように指示する。

 網代先生に最後の挨拶だけ交わし、言われるがままに氷見さん達のいる部屋に向かった。

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