第13話 作戦してきた!
夜の一〇時。
塾から帰り、シャワーを済ませて夕飯を作っている所で、スマホから着信音が鳴った。
『柳さん、今時間良いですか?』
畏まった文調でそう投げかけてきたのは、夕方に連絡を寄越すと言っていた黒舘先生からだ。
桜庭の授業ですっかり忘れていて、今更ながら少し申し訳なくなる。
『問題ないですよ』と返信すると、即既読。
本当は俺が塾から帰った段階で先に連絡すべきだったのだが……。
そんなことを考えてコンロの火を止め、デスクチェアに座りに行く。
暫くすると、スマホから届いた音はメッセージの着信音ではなく――――
『――――も、もしもし?』
「え――――あ、えっと……もしもし」
『い、いきなりで本当にすみません! でも、こっちの方が話しやすいかなって……』
「大丈夫ですよ。ちょっと驚いただけで」
黒舘先生の柔らかい声が聞こえてくる。
まさか通話で、とは思いもしなかった。少し上ずった声で、互いにやり取りをするのに思わず笑ってしまう。
「なんか、珍しいですね。こうして塾のこと以外で話すって」
『そうですね。つい数か月前までは想像もしませんでした』
「俺もです」
『塾で言うと……私が出ていくときに、桜庭さんが凄い叫んでましたけど』
「あ、アレは……」
あの浮気発言が聞かれていたとは……。
俺が言葉を詰まらせると、笑い声と共に黒舘先生の方から続けられる。
『分かってますよ。柳さんは今はお相手は居ませんですしね』
「…………もしかして
『あははは』
軽快な笑い声が聞こえてくる。微笑している様が容易に想像できる。
俺はそれにつられて苦笑し、頭を下げる。
意趣返しと言わんばかりに、今度は俺から黒舘先生に対してからかうように告げる。
「良いですよ、別に。今は黒舘先生が恋人のフリしてくれるんでしょう」
『っ!? や、柳さん……!?』
「っくく…………」
『なっ!? 今笑ってますよね!? ねぇ!』
「すみません、ちょっと可笑しくて…………ふっ♪」
『柳さんは浮気性はないですけどたらしです!』
必死にそういう黒舘先生は、堰を切ったように少し大きな声で抗議する。
浮気の次は女たらしと来たか……。
心の中で否定しながら、多分口にすると不利になるためそのまま流した。
「それで……本題は何でしたっけ」
『っ、そうでした。以前言っていたことは覚えてますか?』
「はい。今の黒舘先生の相手が浮気をしていて、それで次に会う際にはっきりと話をつけたいって。そういう話でしたよね」
『そうです』
今の本来の黒舘先生の相手は、恐らくながら浮気をしているようだ。
そして黒舘先生に散々な態度をとって、こっぴどく振るつもりらしい。
改めて聞いても、やはり黒舘先生が不憫でならない。そんな酷い相手と何故付き合ったのか、と聞きたさもあったが、それは敢えて聞かないことにした。
黒舘先生は先ほどまでと打って変わって暗いトーンで喋り出す。
『それで……会うのが週末の日曜日ってことになって』
「っ。割と急ですね」
『大丈夫そうですか……? 忙しいようでしたら、やっぱり私一人でも』
「問題ないですよ。着いていきます」
『ほ、本当ですか……?』
「任せてください」
怯えた声で、震える声でそう問う黒舘先生に、自信をもって答える。少しばかり同情の念が沸く。
大方相手も浮気相手でも見せつけてくるのだろう。
それならこちらにも相応の考え方がある。
「でも、会う前に一つ聞いておきたいんですけど」
『……? はい』
「別れる覚悟はできているんですよね? どちらかが――――特に、黒舘先生自身が傷つく覚悟は、あるんですよね」
『…………』
沈黙。
暫く無音の空間が流れて、時間が止まったかと錯覚してしまう。
分かっている。部外者の俺がそんなことを聞くべきではないことを。
そんなことまで俺が保証すべきではないし、そんなことを聞く権利さえ本来はないということを。
けど――――別れる辛さを俺は知っている。
傷つく覚悟を、傷つける覚悟を俺は知っている。
だから、最低限それを当人に聞くべきだと思った。
『わ、たしは……』
「すみません、意地の悪いことを聞きました。
当日はこちらで上手く立ち回りますし、大丈夫です」
『そ、それは……! ――――いえ、ありがとうございます』
懊悩の末だろう。
苦虫を噛み潰したような声で、そう告げられる。
答えは知らない。
「それで……考えたんですけど、最初俺が仮だとしても彼氏だって言うことは、言わない方が良いと思うんです」
『それは……なんでですか?』
「相手は恐らく、フェアな状況に持っていこうとしてると思うんです」
『フェア……? 何が』
「互いの持つ非の部分です」
ただのバカならそれまでだが、もし狡猾だった場合。大げさな行動をとられるとこちらの非があった途端に分が悪くなる。
『お前も浮気をしていた』という言動に、何も言い返せなくなってしまう。
それが相手が浮気をした前後かなんて誤差だ。ただの水掛け論になるなら収拾がつかない。ならばこちらは完全にクリアな状態で挑むしかない。
『なるほど……でもその場合、柳さんはどうするんですか?』
「勿論俺がその場に最初から居たら関係性を怪しまれます。なので、ちょっとした考えがあるんですけど……聞いてもらえますか?」
『――――――はい』
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