その7 失恋とかき揚げの方程式
「――と、ここでぇ、さっきのXを代入してやるわけぇ。するとぉ、こうなってああなって答えがでまぁす」
三時間目、数学。
春香ちゃんに嫌われた俺の出力、ゼロパーセントで推移。
ゼロどころかもはやマイナス。なおも低下中。
気分が落ち込みまくると、今度はどういうわけか無性に腹がたってくる。俗に言う「逆ギレ」というやつだ。
あー! もー! チクショー!
こうなったのは一体、誰のせいなんだ!? 誰の!?
史郎か? ……いやいや、ヤツは天然だ。責めるワケにはいかない。
ナーちゃん? ……違うよな。ナーちゃんは悪くないよ。ケータイなんて、何がなんだかわかってないんだし。
葵さん? ……無条件で相違。
ん! イワシャールか!? そうだ、イワシャールが全部……悪くないよな。
残念ながら、今回の大惨事にヤツは塵ほども関係ない。
――俺だな。
俺が悪いのさ。
俺が結局、幸子の暴走をとめられなかったから……そうか! 幸子のせいだ!
あのバカ親が勝手に妄想して勝手にケータイを仕入れてきた挙げ句、勝手に俺の口座から金を抜き取ったのがそもそもの始まりだよ。
そーかそーか。
幸子め! ぜぇーったいに、許さん! こうなったからには、帰ったらあのバカ親に――
「――おーい! おーい! かいどぉー! 聞こえているかー!」
はっ!
教師が呼ぶ声で、俺は現実に帰ってきた。
怒りと悲しみが高じた余り、意識がどこか遠いお空へとジャンプしてしまっていたらしい。
「授業中にヘンなコト考えるなよぉ。ちょぉっとぉ、この問題ぃ、やってみろぉ」
くすくす笑う声がした。
はぁ? この問題をやってみろ?
あんたの授業なんか、これっぽっちも聞いてませんでしたから! 解けるわけないだろうが!
――などと反抗できるはずもない小心者の俺。あえなく立ち往生。
「あ、あの、えーと……」
「おーい、かいどぉ? どぉしたぁ? ん? 前にでてこぉい」
勘弁してくれ。
失恋したこの俺に、トドメを刺すつもりかよ。
ふと見れば、三つ隣の席にいる春香ちゃんの眼差しがドライアイスのように冷たい。
いや……これは哀れみか?
浮気なクセに数学の問題一つ解けない、このふがいない俺に対する哀れみなのか? あああ……。どーせ俺はイワシャールが言う通り、ブサイクでどうしようもない人間の端くれでタダの冴えない人間かつ貧乏くさくて器が小さそうでしょぼくて非イケメンですよ!
俺はいっそのこと、例の海の世界の連中が今ここに攻めてきて授業をめちゃめちゃにしてくれればいいのに、と思った。実際にそんなことがあるわけはないのだが。
しかし――現実とはときに、妄想すら凌駕してしまうこともあるらしい。
「うわああぁっ! な、なんだね、チミ達は!」
数学教師の悲鳴と生徒達のどよめく声にハッとした俺。
見れば、教室のあちこちに――エビがいた。
エビ。海老。
奴らは例のイワシとか鯛同様「にょっ」と腕や脚を生やしていた。色は赤というより、透き通ったピンク色だろうか。この間のマッチョ鯛とは違って、サイズは大きくない。せいぜい後ろ足で立ち上がったカピバラくらいの……この例えはわかりにくい。
昨晩、夕食にかき揚げを食っていた俺は、奴らが「桜エビ」だと直感した。
なぜならば、やたらと数が多い。
十匹や二十匹ではない。ざっと見だが、もっといる。
そういう桜エビ一味が教卓や生徒の机の上、床、とにかくいたるところにうようよいて、時々「ぴっ」とか跳ねるのだ。そこは、エビである。
教卓の上に乗っかっている一匹が「びしっ」と数学教師を指し
「おい、人間たちよ! よーく聞くエビ!」
声が甲高くて早口。
「ここに、ブルーフィッシュの連中に協力している者がいるエビね!? どいつか教えないと、漏れなくこのツノで、突っつくエビよ! ちなみに俺は桜エビA1!」
「俺は桜エビB1!」
「あては桜エビA2!」
「同じくB2!」
……以下、A3、B3、A4と続く。
点呼かよ。
しかもなんでBで終わる? なぜCとかDに続かない? ついでにエビAとかエビBって、言いづらいし。
もう一つツッこんでおけば――語尾に「エビ」を付けるのはどんなものだろう?
「ちっ、チミ達はなんだね!? 授業中だぞぉ! 席に着きなさい!」
滑舌の悪い数学教師はすっかりパニクってしまっている。動転するあまり、生徒とエビの区別もつかなくなったらしい。
「なにィ!? 魚人に向かって、生意気な人間エビね! ――みんな、やっておしまい!」
「エビーっ!」
「エビーッ!」
号令一過、何匹もの桜エビが数学教師目掛けて飛び掛っていく。
「うわーっ! うわーっ! ○✕△※□〒――」
悲鳴を上げてうずくまる数学教師を、寄ってたかって「ブスッ」――ホラー映画のような展開に、一瞬ヒヤリとしたが、よく見ればちくちくやっているだけだった。伊勢のエビさんじゃなかったのが不幸中の幸いだろうが、あれはあれで微妙な痛さに違いない。
こういう事態に免疫のある俺を除き、さすがに教室中は大混乱。
数学の時間は見事に潰されていた。
まさか、本当に海の世界の連中が襲撃してくるとは。教師やクラスのみんなには申し訳ないが、助かることは助かった。
「きゃーっ!」
「わぁーっ!」
みんな廊下に逃げようとするのだが、何せ桜エビの数がハンパない。
逃げる男子生徒に飛びついてちくちくやるヤツ、女子の髪やスカートを引っ張るヤツ、中にはスカートの中に潜りこもうとする不届き者がいる。
すでに場慣れしている俺はテキトーにあしらっていたが、ふと見れば――
「いやーっ! いやーっ! あっちへ行って!」
春香ちゃんが何匹もの桜エビに取り囲まれている!
桜エビ小隊は春香ちゃんをちくちくやったり、髪やスカートを引っ張ったり、傍若無人の振る舞いを仕掛けているではないか! そのうち、頭に乗っかって「ぽかぽか」「げしげしっ」とやりだした。殴る蹴るね。
――ゆ、許っさぁん!
他の女子なんかどうでも……よくはないが、春香ちゃんだけは別だ!
俺の怒りがメーターを振り切った。
「おい! そこのエビ野郎! ちょーっと待ちやがれ!」
春香ちゃんをいじめていた桜エビ小隊の動きがぴたりと止まった。
俺はビシッと指さし
「ブルーフィッシュの姫様とメアド交換してんのは何を隠そう、この俺だ! お前らが用があるのは俺だろう? みんなに手を出すのはやめろ!」
多少格好つけて言ってやった。大して格好よくはないけど。
ただし、このセリフは効果抜群だった。
今までピンク色だった桜エビ小隊の背中が、見る見る赤く染まっていく。
「お前エビかーっ! ブルーフィッシュと手を組んだ人間は!」
「レッドバックに楯突く小賢しい人間め!」
どうやら、桜エビ小隊は腹を立てたらしい。だから赤くなったんだな?
やっぱりレッドバックの一味だった。何だかそんな予想はしていたけど。
連中、春香ちゃんから飛び降りて一度フォーメーションを整えると(その理由は全然わからない)、一斉に俺の方へ跳ねてきた。
すでに腹は括っている。
相手の数は多いが、やむを得ない。
こうなりゃ力を使い果たすまでケンカするまでだ。春香ちゃんにカッコの一つくらい、見てもらいたいしな。
「エビ必殺! ぺちっと跳ねて水を掛けるこうげ――」
「達郎様っ!」
桜エビの必殺技お約束掛け声を打ち消すように、どこからともなく聞こえてきた、俺を呼ぶ声。
一瞬、その声の主を思い出せなかった。
タンッタンッ タタタタンッ
断続的に乾いた銃声が轟き――
「エビィーッ!」
「エ、エビッ……」
宙を舞っていた桜エビ達が、ぼてぼてと撃ち落されていた。
「……これは!?」
「達郎様! ご無事ですか!」
教室の入り口を見やると、そこには二丁拳銃を構えた葵さんの姿があった。
彼女に背後から抱きつくようにして、ナーちゃんもいる。
「葵さん? どうしてここへ?」
葵さんはそこら中にいる桜エビ軍団に向けて拳銃を乱射して一掃した。
適当に撃ちまくっているように見えるが、どうも外れ弾が一発もない。葵さん、見目麗しいだけじゃない、超絶凄腕ガンナー!
瞬く間に片っ端から撃ち落とすと
「南氷洋にいる鯨団がこっそり連絡をくれたのです。アーマー・ユニオンの連中が、どうやらレッドバックの下についたようだと。鯨団はブルーフィッシュとは別の勢力なのですが、自分の食事に困る事態になったとみえて」
真剣だった葵さんに、ようやく笑みがこぼれた。
「私達にこっそり協力しようと思ったようなのです」
鯨団?
ああ、クジラのグループか。
クジラのエサはプランクトン……だけじゃなくて、オキアミも食うのか。オキアミはエビだ。海の勢力抗争は食糧問題も絡んでいるらしい。
で、アーマーとは甲殻類か。
そもそもレッドバックそのものではなかったようだが、下についたのだから今は同じ組織だと思っていい。
――って、なにげに海の抗争にずるずると巻き込まれていってないか、俺?
「達郎クン? この人たちは……?」
桜エビの攻撃から解放された春香ちゃんが近づいてきた。
よ、良かった……! 俺、まだ敬遠されてなかったんだ!
「ああ、この二人は――」
言いかけたその時。
春香ちゃんに向かって横から一匹の桜エビが飛びついてきたのを、俺は見逃さなかった。
忘れもしない。
ヤツはさっき、どさくさに紛れて春香ちゃんのスカートをめくっていた野郎だ。触覚が一本、短くなっていたからわかったんだけど。
葵さんのショットを辛うじて免れたヤツが襲ってきたらしい。
「……春香ちゃんっ!」
愛が奇跡を呼んでいた。
とっさに彼女をずいっと抱き寄せるや、イワシも吹っ飛ぶ蹴りをキメた俺。
蹴っ飛ばされた桜エビは、そのまま教室の壁にめり込み
「エビッ! がくっ……」
春香ちゃんのスカートをめくったのが運の尽きだったな、エビ野郎。
「た、達郎クン……?」
俺の腕の中で、びっくりしている春香ちゃん。
「大丈夫か? 咄嗟だったから……ゴメン」
「……うん、大丈夫だよ。気にしないで」
お? お? おおっ?
これはもしかして……すごくいいカンジじゃねぇ?
さっきのあれは、水に流してくれそ――
『達郎さまっ! とっても素敵でございました!』
不覚にも、俺は背後の存在を(ほぼ完全に)忘れていた。
いつの間にか、葵さんに背負われていたはずのナーちゃんが俺の首に「しっかり!」と抱きつき――例によって、額&額コミュニケーションをやってきたものである。
春香ちゃんの目の前、もろ視界エリアで、だ。
――最悪。
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