その5   邪魔なあいつ

「――おはよう、達郎クン!」


 翌朝。

 登校した俺は校門の前で背後から声をかけられた。

 振り返ると、すらりとした清楚な女子生徒が柔和な笑みを浮かべている。


「お! おはよう、春香ちゃん」


 そう。

 彼女こそが湊春香ちゃんである!

 同じクラスのコで、発情した男子どもが群がってくるような美少女というワケではないが、ほんわかしたおっとり癒し系。男子にも女子にも一種の人気みたいなものがある。


「昨日、どこかへ出かけていたの?」


 俺と並んで歩き出しながら、彼女はそんなことを訊いてきた。


「ああ、気分転換に朝から釣りにね。久しぶりに。……なんかあったの?」

「うん。学祭の実行委員長やってた峰山さんっているでしょう? 三年一組の。彼から、急だけど実行委員会のみんなで打ち上げしないかってメールが入ったのよ」


 知らなかった。

 先週学校祭が終わったのだが、俺と春香ちゃんは実行委員をやっていた。ぶっちゃけ、それがあったがために俺は春香ちゃんとの距離をぐぐーっと縮めることができたのだ。一緒に色々打ち合わせだの作業だのやっているうちに何となく春香ちゃんが気になりだし、彼女もまた、あらゆる場面で俺に好意を見せてくれた。

 そういうワケで――春香ちゃん一人いればいいという大変身勝手な発想に傾斜していた俺は、実行委員長などには切りすぎた爪ほども関心をもっていなかった。そいつが峰山という名前であることも、実はたった今把握したに過ぎない。

 まあ、その峰山たらいう三年生から俺に打ち上げの連絡がなかったのも当然だろう。

 携帯の番号もメアドも交換してないのだから。


「……で? 春香ちゃんはその、打ち上げには行ったの?」


 何気なく尋ねたつもりだったが、春香ちゃんはふるふると首を横に振り


「水貴ちゃんにもどうする? って訊かれたのよ。それで達郎クンが行くなら、って言ったら水貴ちゃんから『ああ、カレなら釣りに行くってハナシしてたよ。平岸君のお父さんからいい釣竿をもらえるから、とかって』聞いたのよね。だから、行かないことにしたの」


 ガンッ

 嬉しくて舞い上がってしまった俺が、水銀灯の柱に激突した音である。


「だっ、大丈夫? 達郎クン! すっごく痛そうな音が……」

「あ、ああ、ごめんごめん。いつの間に、こんなところに柱が立ったんだろう……はは」


 入学した時からあったよ。

 しっかりしろ、俺!

 それにしても――朝からこんな(=電灯にぶつかるくらい)幸せな気分になるというのはどうだろう。

 女の子にしてみれば何気ないコトかも知れない。しかし、男というバカな生き物にとって、憧れの女の子に自分の存在を判断基準にしてもらえるということは、この上なく幸福な事実であるといって過言ではない。

 俺の時代、到来か!?

 タイミングのいいことに、今週末はクラスの打ち上げが予定されている。

 その時こそ、春香ちゃんに――。

 完全に浮かれていると


「……あ、あれ? 何だろう? 人だかりだわ」


 春香ちゃんの声にハッとなった。

 行く手に目を向けると、校舎玄関の前に生徒達がわんさかたかっている。


「……?」


 近くへ行って騒ぎの根源を目にした俺は目が点になった。


「達郎どの! 達郎どの! この中に、達郎どのはおられるか! 色魔でボンクラな達郎どの! いたら返事をしてくだされよ!」


 ――また貴様か、イワシャール。

 学校にはくるな、と、あれだけ言ったろーが!

 ざわめいている生徒達、それに駆けつけてきた教師達。

 そりゃーそうだろうね。

 なんたって、手足の生えたでっかいイワシが日本語を喋っているとあれば。


「ねーねー達郎クン、あれ、何かしら? 着ぐるみ? よくできてるねー! 今日ってなんかのイベントかしら?」


 いかん。

 春香ちゃん、興味津々だ。

 あれはね、着ぐるみなんかぢゃないんだよ。モノホンのイワシなんですよ。昨夜ネコに襲われた引っかきキズがあちこちについているでしょ? ――あれはどうやら、やむなく葵さんが助けたらしい。


「そ、そうだね……」


 俺はそそくさとその場を離れようとした。

 あんな魚のバケモノと知り合いだと思われてはたまらない。特に春香ちゃんには。

 が。


「あ、そこにいましたな、達郎どの! 探しましたぞ! いくらアホ面とはいえ、これだけ人間がいるから見つからないったらありゃしない。ぶつぶつ……」


 かーっ! 見つかった!

 群集の視線が一斉に俺に向けられているのがわかる。

 イワシャールがぺったぺったと歩き出すと、生徒達がさーっと道を空けた。


「いやいや、ナーちゃんがさびしがっておりますです。このガッコーとやらにくだらない用事もあろうかとは思いますが、何より大事な姫様が、フヌケな達郎どのをお呼びなのですから。すぐにお戻りになって――」


 ぷつん。

 昨晩、一瞬でもお前を認めそうになった俺がバカだったよ。


「……おい、イワシ」

「は? 私の名前をもうお忘れですか。私には、イワシャールという美しい名前があるというのに。これだから、達郎どのはアンポ――」

「……ハンペンにでもなりやがれ!」


 キラーン!

 一秒後、あーれーというオスカル声と共に、イワシャールは雲一つない青空の向こうへと消え去ったのだった。

 俺の全力シュートによって。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る