前編

 こうして、わたしはお屋敷を追い出された。せめて、亡くなったお母様からいただいたペンダントは持ち出したかった。お洋服はいくらでも買い直せばいいけれども、あのペンダントは唯一無二のもの。

 リンダが『わたしと魔族とがつながっている』証拠として提出した『魔法石』も取り上げられてしまった。……あの子、わたしの部屋に忍び込むような子ではなかったのに。ひょっとしたら、ペンダントも盗まれてしまったかもしれない。ああ、なんということでしょう。

 やりきれない気持ちで胸がいっぱいになる。お屋敷の正門の外、壁によりかかってしゃがみこむ。手元に鏡があったのなら、ハイライトの消えたうつろな瞳のわたしが見られただろう。見たくないわそんなの。

「お気を確かに、エディス様」

 ドロシーは心優しい言葉とともに、わたしの右手を握り、この二本足で立ち上がらせてくれた。誰かからの支えがなければ立っていられないほどに、わたしは弱ってしまっている。

「まったく、もリンダ様も、みんなもおかしいわよ! あんなところで働き続けていたら、私までおかしくなっちゃうわ!」

 憤る元気の出ないわたしの代わりに、ドロシーが怒ってくれた。ドロシーは、たまにわたしの父親――もうお父様と言う気は失せた――を『あの男』と呼ぶ。もちろん、当の本人や他のメイドたちの前では言わない。

「フォーマルハウト家のメイドは辞めてきたわ、私。あの男の書斎の、ただただデカいだけの机に退職願を叩きつけててね。これからはエディス様専属の回復術士として、役立ててくださいな」

 ドロシーは、うやうやしくお辞儀してきた。確か、ドロシーはお母様に恩義があって雇われていたのよね。ドロシーほどの回復術士が一介のメイドだなんて、割に合わないもの。修行を積んでから王国と魔族の国との境の防衛隊の一員として雇われたほうがまだ稼げるでしょうし、人々からも賞賛される。

「奥様がご存命でいらっしゃったら、こんなことにはならなかったでしょうに」

 フォーマルハウト家には、いずれ『導きの光の』が生まれるのだと、妖精の国の預言者にご指名いただいていた。乙女である。双子の姉妹の、わたしかリンダか。魔法学校を卒業した際の成績が優秀だった者が真の『導きの光の乙女』だろう、と予想された。一人娘ならよかったものの、女の子が二人生まれてしまったものだから。

 盛大なパレードと式典が執り行われたのちに、有能な騎士や術士を率いて『導きの光の乙女』は王国を手中に収めんとする悪しき魔族を滅ぼすための旅に出る――予定だった。

 わたしがフォーマルハウト家から追放されてしまった以上、リンダが『導きの光の乙女』扱いされるのでしょう。仮に、かつてのリンダであれば、わたしは喜んで身を引きました。もちろん、魔法学校の勉強をおろそかにして成績を落とすのではなく、正々堂々と勝負した上で、ですけども。――ただ、今の、リンダの顔をした他の人間のような存在が『導きの光の乙女』としてもてはやされるのは、なんだか癪よね。

 お母様も学生時代は『導きの光の乙女』ではないかと囃し立てられていたらしいわ。けれども、卒業の際に、妖精の国の預言者からの「いな」の一言があったの。

 結果、父親を婿養子として迎え入れ、次の『導きの光の乙女』の候補者の母、という立場になったわけで……ドロシー目線で見ると『あの男』は子種を提供したにすぎないのでしょう。

 ドロシー、今回の件を機に辞められて、実は清々としているのかも。

「ありがとう、ドロシー」

 尻についていた土埃を手で払い落とす。ドロシーの琥珀のような瞳に映るわたしは、なんだかちょっぴり活力が湧いてきたようだった。

「私はエディス様こそが『導きの光の乙女』だと、お生まれになった瞬間から信じておりました。今でも、変わりません」

 わたしからの感謝の言葉を聞くなり、ドロシーはおよよと泣き出してしまった。お母様のおなかから出てきたのはわたしが先だものね。出てきたもう一人の策略によって、わたしがの『導きの光の乙女』となる資格はなくなってしまったわけだけれども。

「わたしもそう思うわ」

 あのリンダより、わたしこそが『導きの光の乙女』に相応しい。星となったお母様も、空の果てから今回の騒動を目の当たりにして、そう思っているに違いない。

「行きましょう、ドロシー。わたしが『導きの光の乙女』だと、証明するために」

 わたしは歩き出した。フォーマルハウト家の娘はうつむかないのだと、お母様に教わったもの。

「はい。エディス様」

 涙を拭って、ドロシーが付き従ってくれる。魔法学校の同級生の肩書きは立派な男たちより、一騎当千の元メイド。なんて心強いんだろう。

「まずは、グリード商店ね」

 この追放劇の原因となったのは、グリード商店で手に入れた『魔法石』だ。あのリンダの言葉を信じるのならば、オーナーには魔族とのなんらかの接点があるのだろう。あれだけの『魔法石』は、王国軍の戦利品でもそうそうお目にかかれない。防衛隊が王国への帰省の際に、きまぐれに拾ってきた『魔法石』が商店に売却されることもあるが、大抵の場合、かなり状態が悪くなっている。あれだけの輝きを保ったままの『魔法石』ならば、少数ではあるが存在すると言われていると交渉して手に入れたと考えるのが妥当か……オーナーのセールストークに惑わされて購入してしまう前に、流通経路を確認すればよかった。

 今からする。

「いらっしゃいま」

 入店したわたしの姿を見るなり、オーナーがぎょっとした顔になった。来客に対してのあいさつが途切れるほどに。

 彼にとってのわたしは、麗しく気高いフォーマルハウト家の娘、だもの。他人の目に触れる場所へと出てきているというのに、このような土埃のついたドレスを身にまとっているなど、天と地がひっくり返ってもあり得ないことだわ。しかも、メイドを侍らせているのよね。

「……どうした、グリちゃん?」

 ただならぬ様子に、の戸惑いの声が上がった。目深にフードを被った、長髪の男。オーナーを愛称で呼んでいる?

「ごきげんよう」

「おやあ。誰かと思えば、フォーマルハウトさんの、お嬢さんじゃあないの」

 わたしはオーナーに会釈したつもりが、フード男が割って入ってきた。これまで『導きの光の乙女』の候補者として生きてきて、一方的に顔が知られている状況には慣れっこだから、フード男にも微笑みかけておく。失礼な男だけど、顔の作りはいいわね。

「お姉さんのほうかな?」

「ええ」

 わたしとリンダ、顔はよく似ているのでこの手の問いかけも頻出する。どちらかといえばわたしのほうがよりお母様に似ているのだけども、遠目で見るとわからないものらしいわ。

「どうなされたのですか、そのようなお姿で」

「どうなされたのですか、ではありません!」

 オーナーがわたしの服装を気遣うセリフを吐いて、ドロシーは激昂した。わたしの代わりに声を荒げてくれるのは嬉しいのだけど……オーナーはすっかり縮こまってしまっている。

「ドロシー、下がっていて」

「ですが、エディス様。この男が売りつけてきた『魔法石』のせいで、エディス様は」

 そうよね。ドロシーが真っ赤になってくれる理由はわかっているのよ。

『魔法石』の話をしてる?」

 争い事を外から眺める野次馬の顔をしていたフード男が、話に混ざってくる。聞き捨てならないわね?

「オレがグリちゃんに『魔法石』を売って、グリちゃんはその『魔法石』を誰にいくらで売ったのかなあって、今日は聞きに来たってワケ♪」

 そう言って、フード男はフードを外した。紅色の瞳に、褐色かっしょくの肌、そして一対の。人間の男ならば喉仏のある部分に『魔法石』が埋め込まれていて、それがやけに輝いている。

「魔族!」

 思わず戦闘態勢に入ってしまう。向かい合う男は、余裕の表情を浮かべていた。

「ここで戦うのはグリちゃんに迷惑がかかるから、やめよう?」

 オーナーのほうに視線を向ける。高速でうなずいていた。

「そうね。魔法学校時代のくせで、つい戦う素振りを見せてしまったけれども、本気で戦うつもりはないわ。むしろ、今のわたしは魔族の側につこうと考えているの」

「エディス様!?」

 ドロシーの声が裏返る。ここに着くまでに、ドロシーには相談してもよかったかしら。

「お前は『導きの光の乙女』じゃあなかったか?」

 先ほどまでは人間だと思い込んでいたから、わたしが『導きの光の乙女』の候補者であると知っているのが当たり前でしたけども、相手が魔族となると話は変わってくるわね。本来ならば倒すべき敵だもの。情報が筒抜けなのね。

「そうよ。だから、を導くの。王国を滅ぼす光としてね」

 あのリンダは、わたしが魔族に寝返るような話をしていたわね。だったら、なってしまえばいいじゃない。王国ではなく、魔族の国の『導きの光の乙女』に。

「エディス様……」

「イヤだったら、ここでバイバイしていいのよ。ドロシーなら、王国軍でも防衛隊でも、ちょっと勉強したら回復術士としてやっていけるわ」

 わたしは励ましのつもりで言ったのだけど、ドロシーはしゃがみこんで、頭に付けていたメイドキャップを取り外す。そこには一対の――

「私はエディス様についていきます」

 があった。元はこちらの男のような立派なツノが生えていたのでしょう。丁寧にそぎ落とされていて、ヤスリがけされている。……お母様、魔族の女をメイドとして雇い入れていたのね。道理で、よそでは働きたがらないわけだ。

「それなら、オレは『導きの光の乙女』をとして迎え入れようか」

 わたしの後ろにするっと回り込んで、腰に腕を回してくる魔族の男。

「は!?」

 やめなさいよ。わたしが腕を払い落とせば、なんだかさみしそうな顔をしている。

「どこか気に食わないパーツがあるのなら、お前のお好みに合わせて付け替える」

「パーツ?」

「……王国では知られてないのか。の肉体は、今、こうなっているのだよ」

 魔族の男――今、魔王って言ったわね――はフード付きの長い丈のローブを脱いだ。肉体のいたるところに『魔法石』が埋め込まれている。さらに、男は自らの頭部を両手で挟んで持ち上げた。

 いとも簡単に外れてしまう。

「スペアがあるんだ。頭も、腕も、足もね」

 外れた頭が喋った。

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