1章 5話「信用」




 教室に戻り、いつも通り授業を受ける。

 隣で黙々と本を読むノアールを横目に見ながら、グリーゼオは少しだけ安堵した気持ちを抱いていた。


 彼女の兄、カイラスから飛び級などはさせないとハッキリ言ってもらえた。

 これで卒業までは一緒にいられる。自分の知らないところでノアールが危ない目に遭わずに済む。それが確定しただけで安心できる。

 自分が思っていた通り、同じような心配を彼女の家族も抱えていた。もしノアールがそれを望んでも、親が許可しなければ飛び級は出来ない。早く前世の自分を見つけ出したいノアールには申し訳ないが、心配する人たちがいることを分かってほしい。


「……おれも、もっと頑張るか……」


 誰にも聞こえないようにボソッと呟いた。

 友達が危ない目に遭うのは嫌だ。ノアールの場合、この先何をしでかすか分かったものじゃない。これから先もノアールの隣にいられるように、もっと勉強して知識を付けよう。グリーゼオは心の中でそう決意した。




 その日の夜。

 仕事から戻ってきたルーフスにノアールは駆け寄って、今日あったことを話した。


「そうか、カイと仲良くなったのか」

「うん。もう心配ないでしょ?」

「う、うーん……」


 単純に男の子の家に行くということに不満を抱いている父。

 腕を組んで悩んでいると、父の帰りに気付いて部屋から出てきたカイラスが階段から降りてきた。


「父様、そんな心配することはないですよ」

「カイ」

「グリーゼオ君は今日話してみて、とても良い子だと分かりましたし、ノアールの前世のことも知った上で仲良くしてくれているんです」

「え、ノアール、話したのか?」

「うん。問題あった?」

「問題と言うか……まぁ、そうか……カイがそう言うなら信じよう」


 まだ少し不満が残っているようだが、カイラスがそこまで信用できるというのだから親としていつまでも反発していたら格好悪い。

 それに娘の数少ない、というより唯一の友達を失わされるわけにいかない。


「ノアール、相手のお家に失礼がないようにするんだぞ」

「うん、大丈夫だよ」


 礼儀作法に関してはどこに行っても恥ずかしくないようにしっかり身に付けさせた。

 これについては何も心配ないが、グリーゼオ以外に前世のことを口にして変に思われたら。魔法のことも儀式もなしに目覚めたことを知られるわけにはいかない。

 ノアールにはなるべく普通の子と同じように成長していってほしい。魔法のことが他の人に知られて、変に調べられたりしたら、ノアールはもう普通に暮らせなくなるかもしれない。

 それは親として避けたい。


「いいか、前世のことはともかく魔法のことは話すなよ」

「分かってるって。昔からずっと言われてきたんだから」

「忘れていなければいい。しつこく言いすぎて嫌な思いをさせているかもしれないが、お前のためを思って言っているんだ。分かっておくれ」

「もちろん、分かってるよ」


 ニコっと笑うノアールに、ルーフスはホッとしたように笑みを零して頭を撫でた。

 前世のことも魔法のことも、まだ分からないことだらけ。娘の足元から小さな小石を取り除くかのように慎重にならざるを得ないのだ。

 ノアールが初めて魔力が目覚めたときのことを、何度も思い出す。溢れ出した赤い魔力が、まるで娘の体を焼き尽くすかのように見えて恐ろしかった。

 あんな思いはしたくない。ルーフスは仕事の傍ら、ノアールのように儀式の前に魔力が目覚めてしまった人や前世の記憶を持っている人の情報を調べている。

 だが、かなり珍しい事例なため情報は少なく、百年に一度の確率でしかそういった人は現れていない。


「父様。そのことなんですけど」

「どうした?」

「僕はグリーゼオ君には話してもいいんじゃないかって思うんです」

「そ、それは何故だ?」


 ルーフスはカイラスの提案に驚いて声が上ずってしまった。


「今日会って、彼は十分に信用できる人間だと思いました。正直、ノアールは頭は良いけどちょっと抜けているし、傍でこの子を見ててくれる人はいてくれた方がいいと思います。僕はノアールより先に卒業してしまうし、学年も違うからいざっていうときに助けには行けません」

「……それは、そうだが……彼をうちの事情にそこまで巻き込んでも大丈夫なのか?」

「それは僕から話します。でも、彼ならノアールの助けになってくれるような気がしたんです。前世の話をしても、変な気を遣ったりせず、協力したいと思ってくれた彼なら……」

「そうか。実際に会ったカイがそこまで言うんだったら、お前に任せるよ」

「はい、ありがとうございます」


 二人はお互いに頷き合った。

 カイラスは人を見る目がある。それは父である自分がよく知ってる。贔屓目なしに、彼の洞察力や観察眼には驚かされることが多々ある。そんなカイラスがここまで気に入るのだから、相当良い子なのだろう。ルーフスは父としての複雑な心境をグッと抑えて、ノアールへと視線を向けた。


「ノアール。あれから魔法は使っていないね?」

「うん。お父様に教わってからずっと魔力を抑えてるよ。暴走もしてない」

「体も平気か?」

「平気だよ。全然痛いとかもないし、魔力もそんな意識しなくても抑えられてるし」

「そうか。確かに魔力の乱れは感じられないな。これも前世の記憶があるから、なのだろうか……」

「分かんない。思い出せる記憶も日常的なものの断片だけで死の間際のことは全然分からないままだし……」


 ノアールは腕を組んで「うーん」と唸った。

 死の間際の記憶。その言葉にルーフスとカイラスは顔を見合わせた。まだ幼い少女の口からききたい言葉ではない。そんな怖い夢なんて見てほしくないし、それを平然とした顔で言ってほしくもない。


「ノア」

「何、お兄様?」

「あまり先を急ごうとしないで良いんだよ。ノアール、人の歩幅は決まっているんだから、無理はしちゃ駄目だ」

「お兄様……うん、大丈夫だよ。ゼオにも言われたんだ、急いだり焦ったりしても失敗するって。何だっけ、どっか遠い国の言葉で、急いては事を仕損じるって」

「ああ、東の国の言葉だな。ノアール、お友達の言葉を忘れちゃ駄目だよ」

「はーい、お父様」


 ノアールは笑顔で返事をした。

 心配は尽きないが、基本的に素直な良い子だ。言えばちゃんとそれに応えてくれる。家族が悲しむようなことをしようとはしない。

 前世のことで焦る気持ちはある。早く会いに行きたい。今すぐ見つけ出してあげたい。

 だが今の自分には何お手掛かりも、力もない。


 今はただ、待っててと言うしかない。

 どこかで待っている自分の半身に。



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