第16回 邪馬台国とは
日本史三大ミステリーの一つ、「邪馬台国」についてが、今回のテーマ。
邪馬台国はどこにあったのか?
というのがよく論争されます。
大きく分けると、「畿内説」、「九州説」があり、どちらにも「根拠」のようなものがあります。
では、それぞれをざっくり上げてみます。
①畿内説
奈良県桜井市三輪山近くの
・「邪馬台」は当時の中国語の発音で"*jamadə"(ヤマダ)であったと言語学的に推定され、当時の日本語では清音と濁音を区別しないことから、「大和」の当時の発音である"jamatə(ヤマタ)"と完全に一致する。
・纏向遺跡の始期や変革期が3世紀である可能性を示す学説があるため。
・纒向遺跡から南関東など北九州以外の広い地域からの土器が出土しているため。
・卑弥呼の遣使の頃の景初三年、正始元年銘を持つものもある三角縁神獣鏡が畿内に分布していること。
・弥生時代から古墳時代にかけておよそ4000枚の鏡が出土するが、そのうち12枚は235年-244年の間に収まって銘されたものが畿内を中心に分布していること。
・『日本書紀』神功紀では、魏志と『後漢書』の倭国の女王を直接神功皇后に結び付けている。中国の史書においても、『晋書』帝紀では邪馬台国を「東倭」と表現していること。また、正しい地理観に基づいている『隋書』では、都とする場所
などが主な説です。
②九州説
福岡県の糸島市を中心とした北部九州広域説、筑後平野説、福岡県の大宰府(太宰府市)、大分県の宇佐神宮(宇佐市)、宮崎県の西都原古墳群(西都市)など、ほとんど九州の全域に渡って諸説が乱立している状態です。
・邪馬台国は
・帯方郡から女王国までの12000里のうち、福岡県内に比定される伊都国までで既に10500里使っていることから、残り1500里では短里説をとれば邪馬台国の位置は九州地方北部にかぎられること。
・福岡県久留米市には、『魏志倭人伝』に記載される「卑弥呼の塚」と規模や副葬品、石棺はあるが
・『魏略』には投馬国も水行陸行の記事も存在せず、また里数記事において末廬国から伊都国への行程記事が不自然であることから、水行陸行の記事が後世の加筆と見られること。
・卑弥呼の墓について倭人伝は「大いに冢を作る」とあり、冢はしばしば墳丘のない墓を指すところ、北九州には墳丘がない環濠集合墓が多数見つかっているため。
・古代中国には、軍事報告書を「実際の距離を正確に10倍して記載する」「露布」という慣習があった。魏志倭人伝は三国時代の史書なので、当時の一里は459m。行政機関と軍事拠点を兼ねた帯方郡の情報を元に書かれたと推定される魏志倭人伝は、露布で千里と記されていても、実際の距離はその1/10の45.9Kmであった可能性がある。この距離は九州と一致する。したがって、魏志倭人伝の里の距離は、古代中国の文献に明記される露布慣習で説明できる。
以上、ほとんどWikipediaに書かれてあることですが。
では、それ以外と言うと。
③東遷説
九州で成立した王朝(邪馬台国)が東遷して畿内に移動したという説。東遷説には、この東遷を神武東征や天孫降臨などの神話にむすびつける説と、特に記紀神話とは関係ないとする説の両パターンがあります。
ちなみに戦前ではよく支持されたそうですが、戦後になるとこの説は割と否定的になっています。
④四国説
日本列島において、初めに淡路穂狭別島(淡路島)、二番目に伊予二名島(四国)が誕生したとされる日本神話の国生み伝説に基づく説で、邪馬台国までの行き方(道順)を表しているとされる「魏志倭人伝」(「南至投馬国水行二十日」を経て「南至邪馬台国水行十日」してたどり着く)の解釈として、まず大陸から渡り着いたとされる九州北部から水路で豊後水道を南下、高知県西部より四国へ上陸、その後は畿内説と同じく南を東と読みかえて陸路で徳島県に辿り着くとの見解が示される事も多いという説。
似た物に「阿波説」(現在の徳島県)にあったとされる説もあります。
⑤存在しなかった説
これは、邪馬台国自体が存在しないということではなく、魏志倭人伝に記されたような規模や距離の邪馬台国という国が存在しなかったというもの。つまり、魏志倭人伝の記載から邪馬台国の位置を読み取るのは不可能というもの。
邪馬台国と国交を結んだのは司馬懿の功績であるが、司馬懿にとってライバルにあたる曹爽は西方の大月氏国と国交を結んだという功績があったので、司馬懿の功績を曹爽の功績に匹敵させるために、邪馬台国を大月氏国に匹敵する規模と距離の国家であるとして史書に記載したというもの。
まあ、軽く調べてもこれだけ出てきました。
ちなみに、卑弥呼は女王として有名ですが、元々は倭国大乱という乱が発生し、男の王が治めていたけど、治まらないから、女性の卑弥呼を女王にしたと言われています。
卑弥呼は、大体170年頃から248年頃が生没年と言われ、ちょうど、中国では三国志の時代に当たります。
卑弥呼は、鬼道(呪術的な物)を使い、実際には彼女の弟が政治をやっていたと言われるので、一種のシャーマン、巫女的な役割だった可能性もあります。
卑弥呼=日巫女、つまり太陽に使える巫女という説があるのです。
なお、卑弥呼の死後、またも国中が乱れて争ったので、仕方なく、
ある意味、現代のライトノベル的と言うか、女性は強い、ということでしょう。
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