第25話 始まり?


 フィーが部屋を飛び出していって、ヒューと私を部屋に残したまま扉はパタンと閉まった。

 そっか、フィーとアークはそうなのか。そっか。あ。


「あ、ヒューは? 婚約者はいるの?」

「いないよ。ボーグ家は姉さんとアークが継ぐし。ニナは?」

「私もいないよ。うちは兄も姉も全員恋愛結婚」

「そっか」


 ヒューは椅子に座り直して足を組み、少し遠くを見た。

 形良く組まれた足も、細い首筋もとても綺麗だった。そのまま暫く沈黙が流れたけど、何も言わないままヒューの次の言葉を待った。



「ねぇ、ニナ」


 暫くして、ヒューが私を呼んだ。


「なあに?」


 ヒューが急に腰を浮かせて、私の方にゆっくりと右手を差し出すから。

 まるで吸い寄せられるように左手を伸ばしたら、ふわりと手が繋がれて。

 繋がれた手をふわりと二人で持ちあげて、テーブルを避けて、ソファを避けて、ゆっくりと窓際まで歩いた。


「ごめん、俺、顔ぐちゃぐちゃだよね、恥ずかしいな」


 窓の外を見上げながら、右手で自分の顔半分を覆ったヒューが言った。


 外はもう暗くて、急に訪れた静けさに海の音が遠くに響いていた。

 繋がれた手が温かいはずなのに、ひんやりとして気持ちが良いような気がした。


「そんなことないよ、大丈夫。ねぇ、全部思い出したの……?」

「うん、きっと。白い靄みたいなのがかかっていたところがハッキリした感じ。あの日、ニナに言われたね、魔力がないからってそれで泣いているだけじゃなくて、魔力がなくても自分に何ができるか一つ一つやってみて探してごらんって」


「うん。当時、私が兄さんにそう言われていたからね。兄さんの魔力を分けて貰う対価が、自分のできることで兄さんたちに協力することだったから。商会を手伝ったり、会議に出たりしていたのはそれだよ」


「そうなんだね。俺があの海で火の魔力を暴走させちゃった時、ニナが水で包み込んで助けてくれて。その時に見えたニナの魔力が本当に綺麗だと思ったの。とても整っていて。それに憧れてずっと憧れて、俺にもできないかなって思って姉さんと毎日研究したんだ」

「そっか……」


「会いに来てくれてありがとね、ニナ」

「うん」

「九年前は俺を、そして昨日は姉さんを助けてくれてありがとね、ニナ」

「うん」


 急に窓の外を見ていたはずのヒューが、私の頬を両手で覆うから。

 私たちは向き合って。ヒューの顔がとてもよく見えた。濡れた赤い瞳がとても綺麗だった。


「あのね、ニナ」

「うん」


「ねぇ、いつ帰っちゃうの? もうすぐ……?」

「あ、今日のリスケ次第だけど、元々は明後日には帰る予定だった」

「そうなんだ。もうすぐなんだね」

「うん」


「あのさ、ねぇ、俺も連れていってくれない? 北でも中央でもいいよ、ニナのところに行きたい」

「え……?」


「今まで、放出と吸収のことは誰に言えなかったから、言えないままただ必死に研究してたの。それを役立てたいんだ。この九年間、日記もつけてたし研究結果も書き残してある。きっとあなたの役に立つよ。だから連れてってよ」

「…………」


「ずっとね、人に触れると感情が流れ込んできて辛かったから、働く前は姉さん以外の人と極力触れ合わないようにしてきたの。例えばずっとその時のまま外に出る機会がなかったとしても、研究結果だけは残るでしょ? これからの誰かの役に立つかもしれない。そう思ってずっと書いておいたし、毎日色々なことを試してみたの。働き出してからもほぼ変わらず続けてたよ」


 そういえば、初めてヒューと話した時に「俺たち研究仲間になれない?」と聞かれて心が躍ったことは鮮明に覚えている。あの時は明確に返事をしなかった。


 でも、それって。



 返事もせずに考えこんでいたら、急に長い腕が巻き付いてきて、ふわりと抱き締められた。

 温かさが伝わってきて心臓が跳ねた。

 ヒューの広い胸の中は、海みたいな香りがした。


「ねぇ、もう離れていたくないよ」


 私の背中に回された腕、ギュって力を込められたから。

 ヒューの心臓の音に密着するようで、それはとても大きく響いた。


 ふとヒューを大きな子どもみたいだな……と思って、九年前の泣き顔を思い出した。

 あの時も今も、子どもみたいなのに一生懸命さが伝わってきて。それをあの時も今もとても可愛いと思ってる。そう気付いたから、私もヒューの背中に手を回してギュってした。


 この一生懸命な人が、少しでも幸せな気持ちになってくれたらいいな。ただそう思って。


 そうしたら、腕の熱でそれが伝わってしまったのか、一瞬だけ離れた胸元を残念に思ってすぐ、唇が塞がれた。それは今までで一番長いキスだった。



 なんだかこんな夜がずっと続くような錯覚でいっぱいになりそうだった。

 唇が離れて、もう一度抱き締められて、髪をゆっくり撫でられて目を閉じたら。


「キスを嫌がらなかったのも、キスに応えてくれたのも、背中に腕を回してくれたのも、なかったことにはさせないからね……!!」


 子どもみたいな言い草のセリフが聞こえてきて、でも必死な感じに縋り付く腕がまた可愛くて。


 これは本格的に困ったなと私は思いながら、笑ってヒューの頬を両手でつねって「はいはい」って言ったら。「ちゃんと聞いてよ」って拗ねた口を前ににゅっと出したから。

 うんと背伸びをして、その唇にキスをした。


 だって、こんな始まりもアリなのかもしれない、そう思ったから。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る