35.覚悟を決めた王子様と私

 翌日、イライジャ様は商人の服ではなく、王子の正装をなさっていた。

 ダーシー様が急遽用意してくれたものだ。彼女は侍女長という立場なので、使われなくなったイライジャ様の御衣装を用意するのは無理なことではなかった。

 私の用意していた衣装はやはり見劣りがしたので、王子の威厳を主張できる衣装になってほっとする。

 その服をマントで隠すようにして包むと、舞踏会が始まる時間まで、私たちは会場の裏口の木陰に隠れて待つことになった。


「さすがに警備騎士が見回ってますね」


 舞踏会場は、王宮から離れた大聖堂で行われる。

 王宮ほどの警備ではないけれど、さすがに今日は裏口もしっかりと警備騎士が配置されていた。

 舞踏会が始まるのは夕方からで、今はまだ昼過ぎ。

 ジョージ様が来られてからでは、さらに警備の数は増えてしまうだろう。そうなっては忍び込むのは困難だ。王族が到着する前に、どうにかして大聖堂に入っておきたい。


「見回りご苦労」


 そう言ってやって来たのは……チェスター様だった。

 チェスター様は見回りの騎士に労いの言葉をかけ、休憩を取らせている。

 先ほどまでの警備騎士がいなくなり、チェスター様と配下の二人だけになると、チェスター様がこちらを見て手招きしてくださった。


「ダーシーから話が伝わっていたようだな。行こう」


 木陰から出ると、慌てずにチェスター様の元へと向かう。


「チェスター!」

「イライジャ様、お久しぶりです。話はダーシー侍女長から聞いております」

「彼らは」

「俺の直属の配下で、信用のおける者を選んだので大丈夫です。さぁ、中へ」


 チェスター様はマント姿の私たちを裏口から中へと入れてくれた。

 各令嬢に用意されている個室のうちの一つに誘導されて、急いで入る。


「ふう、なんとか誰にも見られず来れましたね」

「助かった、チェスター。感謝する」

「いいえ。俺もダーシー侍女長と同じ気持ちです。王子殿下が上に立たねば、この国は腐敗の一途を辿ってしまうでしょう。俺はあなたに、期待しているのです」

「安心しろ。ここまで来たからには、うまくやってみせる」


 イライジャ様がチェスター様の胸板をトンッと叩く。

 好き勝手ばかりの老年官僚に煮湯を飲まされることもあった騎士団長は、心からイライジャ様の復帰を願ってくれているのだ。

 イライジャ様の自信満々な言葉に、チェスター様は嬉しそうに笑った。


「自分にできることがあれば、なんでもします……と言っても、怪しまれないように職務に戻らねばなりませんが」

「ああ、十分だ。ありがとう」


 この部屋には誰も入らぬように、直属の部下の見張りを立てると言って、チェスター様は出ていかれた。

 夕方まで時間ができたと思っていたら、しばらくしてダーシー様の遣いという若い侍女がドレスを持ってやってきた。

 なんだか嫌な予感しかしないのですが?


「クラリス様のお召し替えをさせて頂きます、ゾイと申します」

「私に着替えは必要ありませんが」

「俺がダーシーに頼んだのだ」


 しれっと言われていますけれども!

 いつの間に頼んでいたのですか!


「どうしてそんなことを……」

「貴族の令嬢の集まる舞踏会だ。多少うろついていても違和感のないようにしておいた方が良い」

「私はこの部屋から出るつもりなかったのですが!?」

「ずっと俺のそばにいると約束しただろう?」


 う。しましたけれども、そういう意味では……

 言い出したら聞かないイライジャ様に反論しても、これは無理なやつでございますね……もう。

 私は息を吐くと、仕方なしに納得する。


「……部屋から出られませんし、後ろを向いていてくださいませ……」

「ああ、もちろんだ」


 嬉しそうな顔をして笑ったイライジャ様は、くるりと後ろを向かれた。

 けれど! 同じ部屋にいて着替えなどと!! 気が気ではないのですが!!

 すでにすべてを見せているとか、そういう話ではないのですよ!!

 葛藤する私をゾイは手際良く脱がし、コルセットをつけられたかと思うとこれでもかと締め上げてくる。く、苦しい。変な声が出そう……。

 ドレスは……はい、上品なシルクの生地。淡いクリーム色の地に、鮮やかなピンク色の花々や葉が繊細に刺繍されている。

 この年でピンクって……似合わないに決まっているというのに、どういうチョイスなのか!! 誰ですか、このドレスを選んだの!!

 そして胸元開きすぎ問題が勃発していますが!? 恐ろしくあちこちから寄せられて強調させられた胸が、不自然としか思えないのですが……!

 袖口や襟元には、細やかなレース……ああ、着る人が着れば美しいドレスだというのに……着せられた感が満載なのでは。

 この部屋に鏡がなくて良かった。自分の姿を見ては、ぶっ倒れてしまうところだ。

 さらには化粧や髪も時間をかけていじられて、仕上げにこれでもかとアクセサリーを施される。

 一体どんな姿になっているのだろうか。ゾイには申し訳ないけれど、恐ろしすぎて見たくないし見せたくない。


「お待たせ致しました。お支度が整いましてございます」


 ゾイが一歩下がり、丁寧に頭を下げてくれた。

 私にそんな態度をとる必要など、これっぽっちもないのだけれど?


「ありがとう、ゾイさん」

「いえ、もう、とっても楽しませていただきました!」


 若い女の子らしく、はしゃぐように笑っているけれど……気を遣わせてしまった感が半端じゃない。


「振り返っても良いか?」


 ずっと後ろを向いてくれていたイライジャ様の背中が、なんだかそわそわして見える。

 ああー、嫌です。見せたくないのですが! けれど、そういう訳にもいかない。


「お覚悟をなさってから振り向いてくださいませ……」


 私は諦め声でそう告げた。


「ははっ、なんの覚悟だ!」

「良いのです、とにかくお覚悟を」

「わかった、いつでも覚悟はある」


 イライジャ様のお言葉を聞いて、私は仕方なく許可を出す。


「では……どうぞ」


 言うが早いか、イライジャ様は嬉しそうな顔で振り向かれて……


「……クラリス」


 目を見開いたまま、固まってしまわれましたが!?

 だからあれほどお覚悟をと申し上げたというのに!


「す、すまぬ……覚悟は、していたつもりだったのだが、これは……っ」


 そんなに顔を真っ赤にして怒るほど、似合ってないのですね??

 ああ、今すぐにドレスを脱いで化粧も落としてしまいたい……けれど一生懸命着飾ってくれたゾイの手前、そんなことはできない……


「いかがでしょうか、クラリス様のお姿は」

「あ、ああ……クラリスの魅力を良く引き出してくれている……」

「ありがとうございます!」


 イライジャ様の褒める言葉がぎこちない。さすがに『酷いからやり直せ』とは言えなかったのだろう。

 代わりのドレスもなければ、化粧を落としている暇もない。


「では、私はこれで失礼を致します」


 ゾイは道具を片付けると深々とお辞儀をして、満足そうに去っていった。

 私も今すぐここから出て行きたい。


「綺麗だ、クラリス」

「……お気を使わずとも」

「っく。なんてことだ、キスすると口紅が取れてしまう! これではキスができないではないか!」

「一体どれだけキスをなさりたいのですか!」

「一日中、絶え間なくできるのならそうしていたい」


 いえ、大真面目に言わないでくださいまし。窒息してしまいますが?

 イライジャ様は片膝を付くと、私の右手を奪っていく。


「今はこれで我慢しよう」

「イライジャ様……」

「俺の覚悟はもうできた。そなたも、覚悟はできているな?」


 それは、これから舞踏会に行くという覚悟でしょうか。

 もうここまで来たなら、最後までお付き合いするしかありません。

 舞踏会にも出ようではありませんか。


「はい。私も覚悟はできております。すべては、イライジャ様の思うままに」

「ありがとう、クラリス。愛している」


 イライジャ様は私の指先に優しく口づけてくださって。

 そのくすぐったさに、私は体を震わせたのだった。

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