33.立場が変わった王子様
王都にいてはどうなるかわからない私とイライジャ様は、荒地の小屋へと戻ってきた。
外に出しっぱなしで土埃まみれになったマットを綺麗にし、中へと運び込む。
今やジョージ様が光の子となり、闇の子と認定されてしまったイライジャ様が、小屋の中で息を吐く。
「立場が逆になったな」
力のない声でこぼす、自嘲気味の言葉。イライジャ様らしくもない。
ああ、そうか……
私が思っていた以上に、イライジャ様は私を愛してくださっていたのだ。
これは私の失策と言わざるを得ない。愛していると言われても興味のないふりを突き通し、王子の側仕えを辞めたいと伝えておくべきだった。
そうすれば、あの場で私の姿が見えなくなっても追いかけて来たりはしなかっただろう。因習は断たれ、みんなが幸せになれるはずだったというのに。
私のせいで、とんでもないことになってしまった。
この土地にあるのは小屋くらいで、なにもないに等しい状況。
畑もめちゃくちゃで、やり直しても収穫まで時間がかかりすぎる。
収入につながる仕事などなく、嵐が来れば怯えながら眠れない夜を過ごさなければならない。
期限付きだと思っていたからなんとか過ごせたけれど、そうでなければ住める場所ではないのだ。
私一人であれば、どこか遠くの町でひっそりと暮らそうと思っていたけれど……
「どうしてあのまま、舞台にお立ちにならなかったのですか……」
イライジャ様を責めてもどうしようもないとわかっている。過ぎたことだし、悪いのは私なのだから。
それでも、私はどうしても詰め寄らずにはいられなかった。
「イライジャ様がお戻りになれば、因習を断ち切れたことでしょう。ジョージ様もエミリィもイライジャ様も、この国の双子も、皆が幸せになれたというのに、どうして……」
「そなたはそれで幸せか」
鋭く放たれた言葉に、私は喉を詰まらせてしまった。
私は幸せか、など……私はイライジャ様が幸せになってさえくれるのならば……
「クラリスが幸せでなくては、俺も幸せにはなれない。そなたが消えて、俺が幸せになれるとでも思ったか?」
「それは……」
「二度と俺から離れるな。クラリスは、俺が幸せにするのだから」
差し出されたイライジャ様の手が、私の頬を優しく往復していく。
イライジャ様の言葉に喜びを感じてしまっている私は、本当に側仕え失格だ。
「わかったな? クラリス」
優しい声と瞳。反論などできようはずもなく、頷くしかなかった。
そんな私を見たイライジャ様は、満足げなお顔でくちびるを寄せられる。
もう二度とキスなどできないと思っていたのに。こんな状況で喜んでいる場合ではないのに、胸はきゅうきゅうと鳴き声を上げているから困ってしまう。
「しかし、ここで暮らしていくには無理があるな」
「そうでございますね……」
「今なら金はある。国を出てどこか二人で暮らすか」
イライジャ様の本気とも冗談とも取れる発言に、私は目を見開いた。
確かにその可能性も考えてはいた。しかしそれは、私一人であったなら、だ。
「冗談でございますよね?」
「そう聞こえたか?」
自由奔放で、言い出したら聞かないイライジャ様。
それは、私が一番よくわかっている。
「愛するそなたが一緒ならば、どの町でもかまわぬ」
本気を感じさせられるイライジャ様の発言。私の顔からは、血の気がさっと引いていく音が聞こえた気がした。
ここに住むより別の町に居着いた方が、能力のあるイライジャ様なら余裕のある暮らしをしていくだけの働きはできるだろう。
けれどイライジャ様は闇の子にされたとはいえ、この国の王子。私だけが国から出ていくなら問題ないが、イライジャ様はそうはいかない。
「イライジャ様はこの国に必要な方でございます。他国に行くなど、とんでもございません!」
「ここにいても、俺にできることはない。俺は“闇の子”だからな」
その言葉を聞いた途端、私の引いていた血は一気に駆け昇った。
気づけばパンッと乾いた音がして、イライジャ様の白いお顔に私の手形が浮かび上がる。
どうして、そんなことを言われるのか。私の中で悲しみと怒りが
「光の子だ、闇の子だと一番囚われていらっしゃるのは、イライジャ様でございます!!」
「クラリス……」
「光や闇など、関係ございません! この国の王に相応しい人物はイライジャ様しかおられないのです! ずっとこの荒地で過ごしてきたジョージ様に、王が務まるとお思いですか!! このままではジョージ様は、傀儡として利用されるだけでございますよ!!」
ぜぇぜぇと捲し立てると、なぜだか私の目から熱いものが溢れ出した。
違う。これは私のわがままなのだ。
何度もおっしゃっていた、光の子はただの人だというイライジャ様のお言葉。
私の方こそ、イライジャ様を光の子として特別な目で見てしまっていたのかもしれない。
イライジャ様なら、この国を統べることができると。光を与えることができると。
それが叶うのは、イライジャ様の努力の賜物だというのに。
光の子はこうあるべきだという、勝手な理想を押し付けてしまった。
おそらくは私だけでなく、この国すべての民が過剰な期待をしてしまっていたのだ。
イライジャ様が、光の子であったがために。
それは、どれほどの重圧だっただろうか。
光の子もただの人だと理解を示しておきながら。それでもなお、私はイライジャ様が玉座に就くことを望んでしまっている。
側仕えどころか、恋人としても失格だ。ようやく光の子という縛りがなくなったイライジャ様が望むのならば、この国から出るべきなのだろう。
なのに、私は……
あろうことかイライジャ様の頬を引っ叩いて!
なんという偉そうなことを説いてしまったというのか!!
「イライジャ様、つい……申し訳ありま──」
「いや、良い。目が覚めた」
私の手形がついた頬を撫でながら、イライジャ様は口の端を上げて笑った。
エメラルド色の瞳には力が宿っていて、私は目を見張る。
「そなたの言う通りだ。必死に築き上げてきたものを、父王のくだらぬ策略などで手放すわけにはいかない」
ああ、やはりイライジャ様はイライジャ様だ。
ご自分の為すべきことをちゃんとわかっていらっしゃる。
闇の子と認定されてしまった今、それは果てしなく遠い夢に変わってしまったのもわかっていて、諦めないと言っているのだ。
「それに、あの子と約束したからな。双子で格差をつける制度の廃止を」
以前と変わらぬ煌めく笑顔に、私は頷いてみせた。
ああ、これでこそ私の好きなイライジャ様だ。
突拍子もないことを言い出すのは昔から。諦めるより、こうして前を向いていてほしい。
「泣くな、クラリス。もう泣き言は言わぬ」
「はい。私ももう、なにがあってもイライジャ様のおそばから離れません」
「ああ、そうしてくれ」
イライジャ様がぎゅうっと強く抱きしめてくれる。
今の状態から玉座に就くには、どうすればいいのかまだわからないけれど。
イライジャ様が望まれる限り、私はおそばでお力添えしようと心に決めた。
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