12.七日目。日記を見つけた王子様

「ん、んん……っ」

「大丈夫か、クラリス」


 身体中が痛い。

 なんとか目を開けると、そこには不安そうな顔をしたイライジャ様がいらっしゃった。

 あれから眠ったのか意識を失ったのか、記憶はないけれど。

 私はイライジャ様をお慰めすることができているのだろうか。


「少し節々は痛いですが……イライジャ様が満足していただけたのならば、それでよろしいのです」

「満……足?」


 イライジャ様が顔をしかめるようにして首を捻った。

 満足などと……なぜ私はそのようなことを思ってしまったのか!

 私の体などではイライジャ様を満足させられるはずもないというのに!


「申し訳ございません、もっと私がグラマーであればイライジャ様もご満足いただけたと思うのですが……!」

「いや、そなたはそのままで充分魅力的だが……というか、なにか勘違いをしていないか?」

「え?」

「手は出していない。当然であろう」


 なぜ! 私は!

 手を出されたと思ってしまったのか!!

 そうだ、いくらイライジャ様が困っていたとしても、私のような身分の低い者に手を出すわけがないではないか。

 どこまで私は傲岸なのか。恥ずかしい! はぁ、くらくらする……!


「まだ熱がある。ゆっくりするといい」


 イライジャ様は私の額に手を置くと、優しくそう言ってくださった。

 雨は昨日からずっと降り続いているようで、室内でも湿気がまとわりついてくる。

 そんな中、イライジャ様が取り出したのは、一冊の古びた分厚い日記帳だった。


「今なら読めるか」

「それは……?」

「昨夜、クラリスが眠った後で見つけたんだ。ジョージの日記……だな」

「ジョージ様の?」

「ああ、ベッドの下に置いてあった。昨日は暗くて読めなかったが、今なら……」


 そう言って、表紙をゆっくりと開くイライジャ様。

 ジョージ様に字を教えたのは、イライジャ様だ。それまでは字を読むことも書くこともできなかった。

 イライジャ様はなにかあった時のために手紙を届けられるよう、ジョージ様に字を学ぶよう求め、ジョージ様はそれに応えられた。

 ジョージ様の意欲は凄まじく、あっという間に文字を習得されたのだ。

 くだらぬ因習などなければ、きっと二人は王都で研鑽を高め合っていたに違いない。


「四五九年、四月六日。今日は僕とイライジャ兄さんの十七歳の誕生日だ。兄さんが日記帳をくれたので、今日から日記をつけようと思う」


 イライジャ様が声に出して読み始めた。私も聞いていいということだろう。

 いや、そもそも人の日記を勝手に見てはいけないのでは。けれど、弟のことを知りたいと思っていらっしゃるイライジャ様を、お止めすることはできない。


「兄さんは『予定がある』とすぐに帰ってしまった。きっと王宮でパーティがあるんだろう。どんなことをするのか、僕には想像もつかない。けど、僕にはエミリィとサバンナがいる。二人におめでとうと言ってもらえるだけで、僕は充分だ」


 一日目は十七歳になったばかりのところから始まっていた。私が何も言わずにいると、イライジャ様は次々と読み進めていく。


「四五九年、四月七日。今日はエミリィの十七の誕生日だ。誕生日には普通プレゼントを贈るものらしい。

 だけど僕にはなにも贈れるものがない。手の甲にキスをすると、エミリィは目を細めて喜んでくれた。

 僕のせいでこんな生活を強いられているというのに、どうしてそんな笑顔を見せてくれるのか。申し訳なさが募る」


 ほぼ毎日書かれている日記のほとんどが、エミリィとサバンナへの感謝の気持ちや、野菜の成長記録だった。

 あまりページの捲られる音がしないということは、小さな字で隙間なく書いているのだろう。

 日記帳など、イライジャ様に頼めばいくらでも調達してもらえるというのに。ジョージ様はそれすら遠慮して言えなかったのかと思うと、胸が痛む。


「四五九年、九月二十三日。エミリィが風邪をひいてしまった。サバンナが、兄さんからもらったお金を持って、町へと薬を買いに行ってくれた。

 町までは遠いらしいが大丈夫だろうか。

 俺もエミリィも町を知らない。物心ついてから、ここしか知らない。きっと俺は一生、ここで生きることになるのだろう。

 だけどエミリィとサバンナは、もし良い人に見初められれば、この生活から抜け出せるんじゃないだろうか。そう思うと、胸が苦しい」


 町に出たこともないエミリィが、誰かに会うことがそもそもないだろうけれど。

 それでもジョージ様の懊悩が伝わってきて、私は奥歯を噛み締める。


「四六〇年、二月八日。道に迷ったという商人がやってきて、泊めることになった。

 雪を凌げるだけでありがたいと言った男は、優しそうな人物だった。

 翌日、泊めてくれた礼だと野菜の種をくれた。俺はその商人なら信用できると、有り金をすべて渡して頼んだ。エミリィとサバンナを連れて行き、幸せにしてやってほしいと。

 商人は今の僕たちの状況を察してわかったと言ってくれたが、エミリィもサバンナも納得しなかった。

 揉めているうちに商人はいつの間にか消えていた。お金は持っていかれた。ごめん、兄さん……大事なお金を」


 ああ、ジョージ様はお人が良すぎる。

 エミリィとサバンナしか接触のないジョージ様には、人を疑う能力が欠けているのだ。仕方のない話ではあるけれど。

 ここに来るたび〝なにかあったときのために〟と置いていくお金は、イライジャ様にとってそんなに大した額ではなかった。

 そもそもお金を使う場所がないのだから、ここでは無用の長物に等しいものだろう。

 どうしても必要なものは、サバンナが時間を掛けて歩いて町に行き、買い物をしていたみたいだけれど。

 それも、ジョージ様に行かせることはできなかったはずだ。

 イライジャ様と同じ顔をした方を、人目に晒すわけにはいかないのだから。


「エミリィは僕のそばにいたいと言ってくれている。闇の子である僕なんかのそばに。

 光の子に生まれていたら、エミリィと出会うことはなかっただろう。それだけは、感謝している」


 二人の想い合う気持ちが伝わってくるようだった。

 それからも日記は続いていく。


 日付が進むごとに、二人は愛し合っているのだとわかる内容だった。

 そしてジョージ様は、エミリィとサバンナをこんな生活から脱却させようとする反面、自身はこの地を離れるつもりがないようだった。


「……僕は闇の子として、この国に必要だから。僕という闇があるからこそ、兄さんは輝いていられるんだ……」


 ずっと淀まず読んでいたイライジャ様の言葉が、そこで初めて止まった。

 闇の子として生を受け、理不尽な扱いを受けてきたジョージ様は、そう思うことで自己を保っていたのだろうか。

 己の存在意義をかろうじて見い出していたのが、そんな理由だなんてやりきれない。


「俺はジョージの、なにを見ていたのだろうな……」

「イライジャ様……」


 イライジャ様は、ジョージ様がいなくてもいいだなんて思ってはいない。

 けれど、この国に必要であると、声を大にして言えるわけもなかった。


「この国から出た方が、ジョージは幸せになれたというのに……そんな思い込みのせいでここに居続けていたとは!」

「しかし、ここを出るのは困難な話でございましょう。隣国まではそう遠くはありませんが、もしも陛下のお耳に入れば……」


 私がそこまで言うと、イライジャ様の双眸は赤く光るような怒りの色に変わった。


「あのクソ父王は……ジョージを始末する可能性がある、ということか……!」


 みなまで言わずとも、イライジャ様には伝わった。


 隣国とは険悪とまではいかないけれど、良好とは言い難い間柄だ。

 表面上は取り繕っているものの、互いに虎視眈々と領土を狙っている。

 そこにイライジャ様と同じお顔をしたジョージ様が行けば、利用されてしまうことも十分考えられるのだ。

 陛下にすれば、ジョージ様はいなくてもいい存在だろう。けれど隣国がジョージ様を、イライジャ様の対となる闇の子だと発表してしまえば、放置はできない。

 闇の子とは言え、交渉カードに使われれば、なにもしないわけにいかなくなる。

 双子の片方を闇の子として差別する行為は、国際的には非難の的であるのだから。

 もし国を出ようとした場合、利用される前にジョージ様は消されるということが想像できる。そういう意味では、ジョージ様の国を出ないというご判断は賢明だったと言えるかもしれない。

 たとえバレずに済んだとしても、見知らぬ土地でお金もなく生きていくのは、ジョージ様には至難の業でしょうから。


「どうして我が国は……父王はこうなのだ……!!」


 バサっと音を立てて、ジョージ様の日記がイライジャ様の手から滑り降りる。

 ご自分の父親だからこそ、余計に許せないのかもしれない。

 私は体を起こすと、わなわなと震わせるイライジャ様の拳をそっと握った。

 ハッとなさったイライジャ様の瞳は、一瞬で落ち着かれたようだ。怒りから一点、いつもの美しいエメラルド色へと戻った。


「クラリス……」

「はい」

「俺は、父王のようにはならない」

「ええ、存じておりますとも」


 笑って見せると、イライジャ様は悪戯を許された子どものような顔で微笑まれた。

 ああ、また動悸がする。風邪のせいで心臓が苦しいなど、まったく情けないけれど。

 イライジャ様のほっとされたお顔を見ると、ぎゅっと抱きしめたくなってしまう。


「クラリス。俺のそばにいて、見守っていてくれるか」


 それは、もしイライジャ様がお父上と同じ道を行こうとすれば、ちゃんと道を正してほしいと言っているのだろう。

 イライジャ様が道を違えることなどないと信じているけれど、そんな役を任せてくださることが純粋に嬉しい。


「もちろんでございます。私がイライジャ様のおそばにいられる限り」


 自分の発した言葉に、私は胸が軋むのを感じた。

 私がイライジャ様のおそばにいられるのは、あと少しだけだから。

 この騒動が終わり、イライジャ様が元の地位に戻られた時、私は──


「ありがとう、クラリス。そなたがいてくれるだけで、俺はなんだってできる」


 真っ直ぐで、キラキラした少年のような瞳に見つめられる。

 どうしてイライジャ様はこんなにも、一転の曇りもなく透明で美しいのでしょうか。

 私だけを見てくださっていることが嬉しくて……また、熱が上がってきてしまったようです。


「大丈夫か、クラリス」


 そう言いながら私の背中を抱えて、ゆっくりと横たえてくださる。

 イライジャ様のお顔が目の前にあって……

 もしも恋人同士であったなら、キスまでできてしまいそうな位置に、イライジャ様のくちびるが……


「ぐう」

「寝るのが早すぎるぞ、そなたは!」


 私はそのまま、たぬき寝入りを決め込んだのだった。


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