第22話 科学VS魔法①
月島の地下鉄から私鉄をいくつか乗り継ぎ、たどりついたのは同じ東京湾河口の街でも、多摩川を擁する大田区だった。
こちらは昔からものづくりが盛んらしく、埋め立て地や多摩川沿いを中心に、大会社の工場から小さな町工場まで、製造業の企業が沢山集まっていた。
ひばりが訪れたのは、その中でも『ミワ金属工業株式会社』という、金属加工関係の会社である。
扉が大きく開け放たれた工場内を覗くと、プレスや旋盤の機械が稼働する音が響き、時折火花も上がって賑やかだ。
倉庫の横に事務所棟のビルもあり、すれ違う社員の人に挨拶しながらひばりが目指したのは四階最上階の社長室である。
ノックとともにドアを開けると、ワイシャツに作業ジャンパーを着た還暦過ぎぐらいの男性が、執務デスクの電話を切ったところだった。
「──おお、ひばりちゃん!」
「お久しぶりです!」
社長の名は三輪
「いやあ、どうしたんだいったい。家じゃなくて工場の方に来るなんて。ああ座った座った。おーい、誰かお茶持ってきてくれないか──」
太郎は部屋の外に向かって声をはりあげつつ、ひばりを応接セットに座らせる。
「ちょっと近くを通りがかったので。あのこれ、佃島の佃煮屋さんで買ったんです。おいしいのでお義母さんと一緒にどうぞ」
「前に貰ったやつだよね。あれは確かにうまかったよ!」
電車に乗る前に買ったお中元の品を、紙袋ごと太郎に手渡す。建前上は、エンリギーニと同じ時候のご挨拶ということにしていた。
「皆さんお変わりありませんか」
「ないねえ。母さんは相変わらず習い事三昧だし、私は尿酸値がまずくてビール禁止だ」
太郎はさっそく持ちネタを披露していた。
先代からこの工場を継ぎ、二人いる息子のうち長男も、同居して太郎の仕事を手伝っているという。完全に家を出て別の仕事をしているのは、次男の伊吹だけだった。
「
「おかげさまで、伊吹さんと協力して楽しくやってます」
笑顔で模範解答を口にする。これは決して嘘ではない。
その後も当たり障りのない話を二、三し、庶務の人が持ってきてくれたお茶を一口飲んだ頃、太郎が言った。
「それで? ひばりちゃん。本題は?」
「……え?」
「とぼけないでいいよ。わざわざ母さんの目が届かないところで、私に話があって来たんだろう。何か頼みたいことがあるんじゃないか」
ソファの向かいに座る太郎は、相変わらず気のいい笑顔を浮かべているが、眼差しはいつも抜け目がないのだ。
(ああ、お義父さんたら。さすがです)
感服する。こういう話が早いところが、大好きなのだ。
いざ口にしようとすると、気恥ずかしさが先に立つ。ひばりは伏し目がちに、ややはにかみながら答えた。
「その……顔合わせの会食の時、お義父さんはおっしゃってたじゃないですか。
「ああ、言ったね」
場所は近くの品川のホテルで、祖父新八とともに食べた会席料理の味を、今もよく覚えている。
「溶接もやってて、特に酸素とアセチレンガスを使ったガス溶接は、最高三〇〇〇度にもなるんだって話が印象に残ってたんです。すごいなあって」
「女の子でそういうことに興味もつのも、珍しいね」
「そんなことないですよ」
ようは都市ガスや料理用ガスバーナーなど、目ではない高温であるということだけは覚えていた。
ひばりは太郎を真摯に見つめながら、アルミホイルの包みが入ったビニール袋を取り出した。
「お義父さん。どうか何も言わずに、『これ』をバーナーで焼いてくださいませんか?」
魔法め。現代科学の力を思い知るがよい──。
*
社長室がある建物を出て工場の方に移動すると、太郎は目についた若手社員に声をかけていた。
「社長ー、ほんとやっちまっていいんすかー?」
「いいからつべこべ言わずにやるんだ。責任は私が取るから」
溶接用の防護服を着ている青年は、「ういーっす」の一言で甲冑のようなマスクをかぶり直し、太郎から受け取った包みのアルミホイルをはがして作業台に置いた。そうするといかにも凍った生肉な見た目があらわになるが、気にせず火を噴くトーチを向けて炙りはじめた。
「あのっ、ちょっと解凍が難しいお肉なんです。表面が溶けたら、後は軽く焦がす程度でお願いします!」
「ういーっす」
火花などが飛んでこないよう、ひばりたちは少し離れた所で作業を見守った。
(そうよがんばれ。行け行け科学)
なんとなくデコった団扇を振って、応援したくなる。
今のところ台所で見せたような抵抗は見せず、雪華竜の肉は素直に焼かれているようだ。
「なあ、ひばりちゃん」
「はい、なんでしょう」
「あの肉、普通の肉とは違うよな」
「どうなんでしょうねー。伊吹の会社の取引先からいただいたってだけで、私も詳しいことはわからないんですよ」
もうそういうスタンスで行くことにしたのだ。
「海外の輸入品ってことぐらいしか。冷凍のコンテナに長く入ってたみたいで、家のグリルだとなかなか焼きにくくて困ってて」
「というかランズエンドのものだろう、あれ」
電車に乗る間に考えた、ひばりなりに整合性があって嘘でも本当でもなさそうな説明を、太郎は一言で看破してしまった。
取り繕うこともできず、まじまじと舅の顔を見返してしまう。彼は神妙な顔で腕組みし、脂をにじませ焼かれている雪華竜の肉を眺めている。
「……ご存じだったんですか」
「伊吹が就職する時に、『MKL』の幹部の人が来てくれたから、多少はね」
嘘でしょという気分だった。
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