私がいなくなっても、あなたは探しにも来ないのでしょうね

大舟

第1話

「何度言えばわかるんだエリス!二度と私の言うことに逆らうなと言ったはずだ!」

「っ!!」

「女のくせに生意気な…!いいか!私がお前を婚約者として受け入れなかったなら、お前など他の誰にも求められることなく残り物になる運命だったんだぞ!それをこうして受け入れてやったというのに、その恩義も忘れたか!」

「そ、それは……」


豪華な装飾が施された部屋の中で、一組の男女が言い合いをしている。

男の名はリーウェル・グランと言い、セントレス社という大会社の社長の御曹司で絶大な富を有する、いわゆる大金持ちだ。

一方、女の名はエリス・ローメックと言い、生まれこそ貴族家の生まれではあるのだが、父親の残した負の遺産が影響したことで、もはや貴族を名乗ることはできないほどの状態にあった。


「分かってるだろう!お前の家は貴族家のくせに、もはや名を聞くことさえもなくなった没落貴族!そんなお前の家を立ち直らせるには、私の助けがないと無理なんだよ!」

「…!」

「分かったなら返事をしろ!そして誓うんだ!もう二度とこの私に逆らったりはしないと!」


リーウェルはエリスに対し、手こそ上げてはいないものの、荒々しい言葉で彼女の心を激しく攻撃していた。

その言葉は、エリスの心の中にという感情を湧きあがらせ、彼女は言葉にしないまでもその心の中でこう言葉をこぼした。


「(この人との婚約なんて、私は最初から嫌だったのに…。どうして私はあの時、その場から逃げ出してでもこの婚約を断らなかったんだろう…)」


…そう、この婚約は本来、エリスが望んでいたものではなかった。

しかしエリスの事を手に入れるべく、半ば強引な形で婚約を結んだリーウェルと、そんな彼に協力したエリスの母親のために彼女はこの婚約を結ばされることとなったのだった。


「さぁ、私たち二人はこれから新しい一歩を共に歩むんだ。まずはその事を共に感じようじゃないか…」

「ひっ!!!」


リーウェルはエリスの体をイスの上に押し付けると、自身の顔を彼女の唇に近づけてキスを図る。

しかしエリスは涙ながらに抵抗をしてリーウェルの顔を遠ざけ、そのキスを拒む。

…当然、リーウェルの機嫌はさらに損なわれ…。


「…なんだ?なにがしたいんだ?お前のたった一つの取り柄はその若い体だろう?それをなくして私はお前の事を婚約者として迎えることなどなく、お前の家の面倒を見るつもりもなかった。…しかしその唯一の取り柄さえ差し出さないというのなら、お前は何のためにここにいるんだ?」

「う…うぅ…」

「…泣かれても困るんだが?むしろ泣きたいのはこっちの方なんだが?なんでお前が泣くんだ?一体どういう神経をしてるんだ?」


自身の顔を手で覆い、痛々しい様子で涙を流しているエリス。

そんな彼女の事をリーウェルは慰めるわけでもなく、ただただ自分の都合のままに言葉を発していた。


「…こんなろくでもない身勝手女だと最初から分かっていれば、婚約などしなかったというのに」

「っ!!!!」


愚痴のように履かれたリーウェルのその言葉。

本人はただただ自分の思った通りに言葉を発しただけなのだろうが、その言葉はエリスの痛み切った心にとどめを刺すには十分なものだった。


エリスは顔を手で覆ったままその場を立ち上がると、その勢いのままに部屋から飛び出し、その姿を消していった。

リーウェルはここでもそんな彼女の事を止めることも、追いかけることもせず、ただただ他人事のような雰囲気でその場にくつろぎはじめる。


「(なんだよ、自分が勝手なことをしておいて、追いかけてほしいとでも言いたいのか?どこまでも性格の悪い…。やっぱり若いながら体が良い女は、醜いほど性格が悪くなるんだろうな…)」


その時、そこから出ていったエリスがまさかを図ろうなどとは、リーウェルは想像だにしていないのだった…。


――――


「はぁ…はぁ…」


勢いのままにリーウェルの元から飛び出し、屋敷の最上階を訪れたエリス。

無我夢中で屋敷の中を駆けたため、彼女の衣服は少しやつれてしまっており、彼女自身の体力もまたすり減っていた。

そしてそれは体や衣服のみならず、彼女の心もまた…。


「(私だって…あんな男と婚約なんて絶対に嫌だったのに…。それなのに…それなのに…)」


一方的に足蹴あしげにされ、ひどい言葉をかけられ続けていたエリス。

そんな彼女の心の中に唯一、温かい光を放つ存在があった。


「(クライス…。私はやっぱりあなたのことが…)」


クライス・フラン、それは彼女よりも一つ年上の男性で、彼女が長きに渡って恋心を抱き続けていた人物だった。

しかしリーウェルとの婚約が成立してしまったため、クライスと会うことは一切禁止されてしまい、それ以降クライスは彼女の心の中に生きるのみの存在になっていた。


エリスは屋敷の最上階の窓から下の景色を見下ろしつつ、どこか切なそうな様子でこう言葉をつぶやいた。


「…クライス、私がここから落ちちゃったら、助けに来たりしてくれないかな…」


もはやエリスの心の支えは、クライスだけだった。

もしもクライスに会うことが叶うというなら、それこそエリスはどんなことでもやって見せるだろう。

…しかし反対に、なにをしてもクライスに会うことが叶わない現実があるというのなら、エリスの中に湧き出る思いは一つしかなかった…。


「(どうせリーウェルは、放っておいても私が戻ってくると思ってるんでしょうね…。私に何かをする勇気なんて、一つも有りはしないと決めつけて…。こんな時間がこれからもずっと続いていくくらいなら…。もうクライスに会えずに終わるくらいなら…いっそのこと…)」


刹那、一つの影が屋敷の最上階から勢いよく落下していった。そこに大粒の水滴を伴って…。

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