27.バリエンダール共和国との国境の町で
バリエンダール共和国との国境の町には夕暮れ前には着いた。
魔術騎士団と近衛兵に取り巻かれて馬車が町に入ると、大勢の人々が道の脇に立って迎えてくれる。バリエンダール共和国との国境の町は水の加護が行き渡っていて、誰もが豊かで幸福そうに見えた。
鞘腫の屋敷に着くと、広間に通されて敷物の上に龍王とヨシュアが座ると、領主が床に頭をこすりつけるようにして挨拶をしてくる。
「龍王陛下と王配殿下にお越しいただき誠に光栄であります。我が領地はバリエンダール共和国に狙われております。バリエンダール共和国は龍王陛下の到着に備えて、龍王陛下を攫う計画も立てていると言われております」
「わたしが簡単に攫われるものか」
「龍王陛下はわたしがお守りする。攫われるようなことはない」
龍王は本性の龍にもなれるし、龍族であるので腕力も細い体に似合わず強い。それは龍王も自覚があった。龍王を攫おうとしても簡単にはいかないだろう。
「バリエンダール共和国から難民が我が領地に入り込もうとしております。龍王陛下、今は国境の柵で持ちこたえている状況ですが、そのうちに突破されないとも限りません」
「バリエンダールの民は、自分たちの土地を捨てるまで飢えているのか?」
「そのようです。元はこの地もバリエンダールが王国だったときにはバリエンダール王国の一部でした。龍王陛下が即位なされた年に、バリエンダールから忠誠の証として捧げられたのがこの土地です」
今は志龍王国の一部となって水の加護も得て、領民は豊かに平和に暮らしていると聞いて、ヨシュアをちらりと見た後に、龍王は満足して頷いた。ヨシュアの青い目が周囲を警戒しているし、近衛兵も魔術騎士も周囲に控えているので、龍王の安全は確保されていた。
「そういえば、即位後の初めての視察で出向いたのがこの土地であったな」
「覚えておいででしたか。そのおかげで龍王陛下の水の加護を得ることができて、荒れ果てていたこの土地はこんなにも豊かになりました」
今後十年分は貯蓄があると領主が言うのを聞いて龍王が僅かに俯いて考えた。冠に付けられた飾りがしゃらしゃらと涼しい音を立てる。
「今年の冬を越せるだけの実りは十分にあるのだな?」
「はい。今年の冬を越すだけでなく、貯蓄を更に増やすだけの実りが今年も期待されております。それも全て龍王陛下のおかげでございます」
この国では誰もが龍王を敬い、決して危害を加えようとしない。それは信仰にも似ていた。龍王の与える水の加護なしにはこの国は立ち行かないのだ。
「この地の貯蓄をバリエンダール共和国に支援するのはどうだろう。そなたの顔も立つだろうし、龍王の威光も示せる」
「わたくしは構いませんが、バリエンダール共和国に支援をしてよろしいのですか?」
「バリエンダール共和国は我が国よりも西に位置して、冬は寒さが厳しいと聞いている。冬を越すだけの実りがないのであれば、貧しいものから死んでいくだろう。食糧支援を持ち出して、バリエンダール共和国に我が国に難民を雪崩れ込ませるようなことは止めるように伝え、共和国となったバリエンダールと改めて交友を持つようにすれば、この地も狙われなくなるであろう?」
そのためには龍王がバリエンダール共和国の上層部と話を付けなければならない。バリエンダール共和国が王政だったころには、志龍王国との交友があった。それもここ五年で王政が倒されて共和制になってしまってから、うやむやになっている。
改めてバリエンダール共和国には志龍王国との立ち位置を決めてもらわねばならなかった。
「龍王陛下、使者を立てますか?」
「頼む」
「魔術騎士団のシオンを使者に任ずる。龍王陛下のお言葉をバリエンダール共和国に届けた後、迅速にバリエンダール共和国の議長をこちらに連れてくるのだ」
「心得ました、王配殿下」
魔術騎士の中でも若い黒髪に緑の目のシオンがヨシュアに呼ばれて歩み出て、龍王の前に深く頭を下げる。龍王はヨシュアの顔を見た後に小さく頷いて、シオンに言葉を託した。
「志龍王国はバリエンダール共和国と友好を結ぶつもりがある。その証として、バリエンダール共和国と接する国境の町が十年分は暮らせる食糧をバリエンダール共和国に支援する。これに応えるつもりがあるのならば、性急に国境の町に来て、我が国との交友を示せ」
「間違いなく伝えます」
移転の魔術で飛んでいくシオンを見送った後で、領主は屋敷に貯めてある十年分の食料をすぐにバリエンダール共和国に送れるように準備していた。
龍王とヨシュアは今日泊まる部屋に案内されて、椅子に腰かけて一息つく。
「何か飲まれますか?」
「レモネードが飲みたいです」
「ネイサン、龍王陛下にレモネードを。おれには、香茶を」
「レモネードは温かいものにしますか? 冷たいものにしますか?」
「そういえば朝夕は冷えるようになってきたな。星宇、どうしますか?」
「温かいものを」
細やかにヨシュアが龍王の世話を焼いてくれるのが嬉しくてたまらない。
馬車の中では口付けを受けてくれたし、龍王とヨシュアの距離はますます縮まっているのではないだろうか。
期待してしまう龍王はちらちらとヨシュアの唇を見詰めていた。
ヨシュアは肌の色が白いので唇の色がはっきりとよく分かる。薄赤い唇は柔らかく、口付けたらもっと口付けを続けたくてたまらなかった。
口付けていたら止まれなくなる気がしたので、必死に我慢したのだが、できればもっと口付けを続けていたかった。
お茶請けに出された焼き菓子を食べながら、レモネードを吹き冷まして飲む。温かいレモネードも蜂蜜の味が濃く感じられてとても美味しかった。焼き菓子はラバン王国のものだろうか。パンに付けるバターと卵の香りがしていた。
「ヨシュア……」
「なんでしょう?」
「わたしは龍王として毅然として振舞えているだろうか?」
ふと不安になって問いかければ、ヨシュアは存外優しく微笑んでくれる。
「星宇は立派な龍王陛下ですよ」
「ヨシュアには何度も情けないところを見せた気がする」
「それも少しずつ変えていきましょう。三百年、龍王陛下を続けられるのでしょう? まだ星宇は五年目ではないですか」
五年間、ずっと孤独に龍王を続けてきた。
諫めてくれる宰相もいたし、今は三大臣家となったが、四大臣家も龍王を支えてくれた。けれど水の加護を国土全体に行き渡らせることができるのは龍王だけで、その能力を求められることに常に孤独が伴った。
ヨシュアに玉を捧げることを考えたときに一番に浮かんだのは、ヨシュアにも水の加護の力が分け与えられて、龍王と共にこの国を背負ってくれるということだった。
それ以上に重い長い寿命のことは聞いたが、ヨシュアと生きていくのならば龍王は寂しくはないと思っていた。
ヨシュアを置いて死ぬこと、ヨシュアにその後新しい相手ができることを考えると、絶対に耐えられない。
それくらいならば、生きるのも死ぬのもヨシュアと共にした方がいい。
龍王の方は本気でそう思っているし、心変わりすることなどあり得ないのだが、ヨシュアの方は不安に思っているようだ。
悪夢を見たことを龍王に教えてくれた。
未来のことは分からない。
いつか志龍王国の王族が滅んで、そのときに龍王が生きていれば、再び王位に就くこともあり得ないとは言い切れない。そのときにもヨシュアが隣りにいてくれれば、龍王は責務を果たせるし、ヨシュアもまた龍王の水の加護の力を分け与えられているので共に国を治めることが不可能ではなくなる。
それだけの心をヨシュアに傾けているのだが、ヨシュアの方はまだ龍王を信じられていない気がしてならない。
愛していると何度言っても分かってもらえないのならば、行動で示すしかない。
まずは龍王が龍王に相応しい行動をして、ヨシュアの信頼を得ることだ。
バリエンダール共和国の議長との会談に龍王は気合を入れて臨むことにした。
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