21.ハタッカ王国との国境
新婚旅行の最初の地は、ヨシュアも遠征で来たことのある志龍王国と東のハタッカ王国の国境の町だった。龍王が即位してから領地を捧げられて国土となったこの町には、まだ龍王は足を踏み入れたことがなかった。
「この土地にヨシュア殿は遠征に行かれていましたよね。どのような印象を持たれましたか?」
「志龍王国の領土にしては水の加護が少ないようには感じました」
そのせいで領民は貧しく、元のハタッカ王国に戻ろうとする領民も多くいた。それが諍いの元になっていたとヨシュアは話してくれた。
「わたしが至らないばかりに」
「まだ新しい土地なのでしょう。これから龍王の威光を見せていけばよいのではないですか」
あなたにはそれだけの力があります。
落ち込みそうになっているのを勇気付けられて龍王は顔を上げる。
領主の屋敷に招かれているので、そこに降り立ったのは日も暮れた後だった。
疲れているが夕食も摂っていないし、湯あみもしていない。
龍王が領主の屋敷に入るのを領民が
「あれが我らが龍王様」
「龍王様が来てくださったからには、この地にも水の加護が満ちる」
「今年の冬は豊かに越せそうだ」
明らかに領民には安堵の色がある。それを龍王も感じていた。
「歓迎の宴を用意してあります。どうか、王配殿下と共にご参加ください」
領主はヨシュアと龍王が宴に参加するように言っているが、龍王はヨシュアの顔色を伺う。一日の移動で疲れてしまった龍王とは違って、ヨシュアは豪奢な金色の髪も艶々として顔色もよく元気そうだ。
「喜んで参加させていただきたく思います。龍王陛下、よろしいですよね?」
「あなたが一緒にいてくれるなら、わたしも楽しく宴を過ごせるだろう。どうか、一緒に」
これまではどこに行くにも一人で相手をせねばならなくて、龍王は疲れている上に領主の出してくる料理を疑うそぶりを見せるわけにはいかなくて、堂々と毒見ができないので、何も食べず飲まずで宴に参加していた。ヨシュアが一緒ならばそんなことにもなりはしない。
領主の屋敷の広間に用意された敷物の上に座って、湯気を上げる料理を見ているとお腹が空いているのがよく分かる。大皿からどうやって食べればいいのか迷っていると、素早くヨシュアが小皿に取り分けてくれた。
「これはもち米と鶏肉と茸を炊いたもののようですね。こちらは豚肉の角煮と卵です。揚げた魚もありますよ。どれも素朴ですが美味しそうです」
「ありがとう。いただこう」
ヨシュアが取り分けてくれたということは、それが安全だということを示していた。皿を受け取って龍王は箸を持ち上げる。もち米と鶏肉と茸を炊いたものはもち米にしっかりと味が付いていて美味しく、角煮は蕩けるように柔らかく、卵は角煮の味をよく吸っていて美味しい。揚げた魚は素朴な味だったが、添えられた柑橘を絞ると味が締まって美味しかった。
酒も勧められたのでヨシュアに確かめてもらって、少し飲む。龍族なので酒に弱いわけではないが、飲んでいると頭がふわふわとしてくる。
「龍王陛下が我が領地の食事に箸を付けてくださっている。この料理を龍王陛下が食べたものとして売り出さねば」
領主は龍王が食べていることに感動しているようだった。
ヨシュアも龍王の隣りで細々と、別の料理も取り分けてくれて、自分も食べている。酒は飲まないようだが、料理を味わって食べているヨシュアの表情が柔らかく見えて、龍王は少し安心した。
案内された湯殿は青陵殿のもののように広くはなかったが、龍王一人で入るには十分な広さだった。
先に龍王が入って、次にヨシュアが入る。
通された客間はヨシュアの部屋よりも狭いが、広い寝台と長椅子と卓が用意されていた。
「わたしは長椅子で寝ますので、龍王陛下は寝台で寝てください」
「ヨシュア殿は馬車の中でも床の上に敷物を敷いて寝ていたではないですか。寝台はヨシュア殿が使ってください」
「もし、この領地のものに見られて、龍王陛下が長椅子で寝ていたなどという噂が立てば、この領地の評判は地に落ちます。ご自分のされることに自覚を持ってください」
そう言われると寝台を譲ることができなくなってしまう。
「それならば、王配が寝台で寝ていなかったというのも問題なのでは?」
「わたしはいいのです」
「よくないと思います。あなたはわたしの寵愛を一身に受けている王配ということになっているのですから」
言い返せば珍しくヨシュアが返事に困っていた。
こういう機会でもなければヨシュアと褥を共にすることなどできない。
言い張る龍王にヨシュアも折れたようだった。
「わたしに手を出すようなことはなさらないでくださいね。わたしも龍王陛下を寝台から蹴り落としたくはありません」
蹴られたら寝台から吹っ飛んで落ちる自信しかない。
一緒に寝台で眠るが何もしないと誓って、龍王はヨシュアと共に寝台に入った。
布団は青陵殿のものほどではないがふかふかで、秋に入りかけている季節だが、暑さは残っていたので薄い掛け布団が用意されていた。
同じ洗髪剤と石鹼の匂いのはずなのに、ヨシュアの匂いに胸が高鳴る。手を伸ばせば触れられる位置にヨシュアが横になっていることが落ち着かず、龍王はなかなか眠れなかった。
隣りで何度も寝返りを打つ龍王に、ヨシュアの方も眠ってはいないようだった。
秋用の薄い寝間着だけで同じ寝台で眠る夜。
ふと目を開けるとヨシュアが目を閉じていて、その金色のけぶるような睫毛の長さにくらくらとする。
色の薄い唇に吸い付きたい。白い首筋に跡を残したい。その肌に触れたい。
わいてくる欲を必死に抑えて、龍王はほとんど眠れぬままに夜明けに起き出した。
ちょうど太陽が昇るころに長椅子に座って目を閉じる。
この領地の水の加護が非常に薄いことは感じ取っていた。
水の波紋が広がるように水の加護を広げていく。
龍王を中心に領地に水の加護が行き届くのを目を閉じたまま龍王は感じていた。
目を開ければヨシュアが寝台に起き上がってこちらを見ている。
「あなたは息をするように水の精霊を操るのですね」
「水の精霊というものをわたしは意識したことがないのです。幼いころから水の加護を届ける方法は父から習っていました」
魔術師のヨシュアからしてみれば水の精霊を操っているように見えるのかもしれないが、龍王にとってはそれは無意識のことだった。水の加護を広めること。それは自分の力を国土全体に行き渡らせることに繋がる。
龍王は前龍王のたった一人の後継者だった。二百年近くを生きた前龍王だが、子どもに恵まれず、龍王と梓晴の二人が晩年に生まれただけだった。
龍族の血も濃くなりすぎると後継者が生まれにくくなるのかもしれない。
龍王と梓晴ならば、どちらが龍王としての資格があるかといえば、水の加護を使う力は龍王の方が格段に上だったので、龍王が前龍王の後継者に選ばれた。
過去に女性の龍王もいたようだが、梓晴にこの責務を負わせずに済んだことに関しては、龍王は自分でよかったと心から思っていた。
幼いころに子種をなくす病気をしてからも、龍王は変わらずに後継者の位置にいた。龍王以外が龍王位を継げるわけがなかったのだ。
「龍王陛下、王配殿下、着替えをなさってください。領主が挨拶をしたいと言っております」
龍王は従者に手伝ってもらって、ヨシュアはネイサンに着替えだけ持ってきてもらって着替えを済ませる。そちらを見てはいけないと思っていたが、肌着のヨシュアの方をちらちら見ようとしてしまって、龍王は必死に耐えていた。
「龍王陛下の水の加護が領地に行き渡ったとの知らせを受けております。これでこの領地も今年の冬は豊かに越せそうです。誠にありがとうございます」
昨夜の宴の痕跡もなく片付けられた広間に出て行けば、領主だけでなく領主の補佐やこの土地の有力者などが集まって、早朝から広間を埋めていた。全員が床に膝をついて深く龍王に敬意を示している。
「わたしの命がある限り、この地に水の加護を届けよう。この地は王都から遠く離れているが、我が志龍王国の国土である。志龍王国は龍王の国であると覚えておくがいい」
「龍王陛下、ありがとうございます」
「龍王陛下万歳!」
広間の中は龍王を讃える声で満ちていた。
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