15.黒幕の真意
幼いころから龍王は着替えや湯あみなど生活のあらゆることを侍従に手伝われていた。
ヨシュアの部屋でも着替えるとなると、侍従が新しい衣を用意して、帯を外し、長衣を脱がせ、下衣を脱がせ、肌着だけにして新しい衣を着せて、ときには肌着も着替えさせてくれる。
されているのが当たり前だったので、ヨシュアのように自分で何でもする姿を見ていると、始めに思うのはすごいということと、次に思うのはヨシュアは他人に肌を見せたがらないということだった。
湯あみをするときもヨシュアは誰にも手伝わせていないらしい。
ヨシュアと湯あみをしたわけではないのではっきりとは分からないが、手伝いを申し出た湯殿の係の者は外に出されたと聞いている。
呪いの矢でヨシュアは左腕を負傷した。
魔術で守っていたところを、全部の矢は放ち終えたものだと油断して、魔術を放つよりも早く矢が来てしまって、簡単な魔術しか纏わせていない左手で素手で矢を掴んだら、腕の内側が呪いの黒い炎に焼け焦げ、止めようとした手の平を矢が貫通したのだ。
呪いを先に解いてから、治療の魔術を施したようだが、ヨシュアの左腕の動きはぎこちなかった。
「左腕を見せてくれませんか?」
龍王が願えば、ヨシュアは苦い笑みを浮かべながら左腕を覆い隠す長衣の袖を捲り上げた。
白い逞しい腕の内側に薄赤くできたばかりの皮膚が傷を塞いでいるのが分かる。手の平には裏も表も同じように薄赤い部分がある。
「治療の魔術も一度で完璧には治せません。今は表面の傷を覆っただけですが、明日も、明後日もかけ続ければ綺麗に治ります」
「痛くはないのですか」
「少しは痛いですよ」
「ヨシュア殿は身の回りのことを一人でやっていると聞いている。不便ではありませんか?」
龍王の問いかけにヨシュアがちらりと控えている栗色の髪の侍従を見る。栗色の髪の侍従は深く頭を下げて床に膝をつく。
「わたしの侍従が手伝ってくれるので大丈夫です」
わたしの侍従。
ヨシュアは龍王の配偶者である。
たった一人の王配である。
それなのに、龍王ではなく侍従に心許しているとなるとなんとなく面白くない。
あの侍従は独身で、ヨシュアの乳兄弟として育ったという。小さいころからヨシュアを知っているのかと思うとなおさら嫉妬の念がわいてくる。
「わたしのせいで怪我をしたのだから、わたしが手伝ってはいけませんか?」
「いけません」
「な、なにゆえ!?」
はっきりと断られて龍王は椅子から立ち上がりそうになる。
「龍王陛下にはわたしを気遣うよりも、政務に集中していただきたい。それに、あなたは傅かれる方のお立場で、わたしの世話などできないでしょう?」
そう言われれば龍王は黙り込むしかない。
できないはずはないのだが、それが侍従以上に上手にできるかといえば、そういうわけではない。それどころかヨシュアの肌に触れるとなると、よからぬことを考えて手が泊まりそうなのも事実だ。
「ヨシュア殿はわたしに手厳しくありませんか?」
「わたしは龍王陛下が龍王としての責務を果たすためにこの地にやってきたのです。龍王陛下に世話を焼いてもらうためではありません」
言外に、龍王陛下の世話を焼くためでもないと言われた気がしたが、龍王はそれは聞かなかったことにした。
「傷が治るまでは青陵殿で安静にしていてください」
「そういうわけにもいきません。呪術師を操っていたものはまだ残っている可能性が高いのですから」
警護のために龍王のそばにヨシュアがいてくれるのは嬉しくないわけではないのだが、ヨシュアの左腕に関しては心配だ。傷は骨にまでは達していなかったが、呪いがどこまでヨシュアの体を侵食したのか分からない。
「呪術師を操っていたものは残っていると?」
「呪術師が命を代償に呪いの矢を放ったこと自体、おかしいとしか思えないのです。雇われた呪術師ならば、代償がなくなった時点で一旦退いて体勢を立て直すものでしょう。自分の命を代償にする呪術師など聞いたことがありません」
どういう理由で呪術師が自分の命を代償にしなければいけなかったか。それには何か黒幕の存在が関わっているのではないかとヨシュアは思っているようだ。
呪術師を脅し、命を懸けさせるだけの黒幕。
呪術師がただ龍王を暗殺したかっただけならば、代償がなくなって次の矢が放てなくなった時点で、形勢を立て直すために一度退いて、もう一度代償を集めてから攻撃をし直せばよかっただけの話だ。そうしなかったのは、誰かからの脅しがあったに違いないとヨシュアは考えている。
「わたしを暗殺したい人物など、この国にはわたしの従弟くらいしか考えられませんね」
「そうでしょうね。龍王の座が空になれば、この国の豊かな水の加護は失われる。それはどの権力者にとっても不利益にしか働かない。龍王陛下は、この国のどの権力者からも、国民からも敬われこそすれ、狙われる立場にはありません」
狙うとすれば、龍王の座を奪えるかもしれない従弟くらいだろう。
「一応、確認しておきますが、王女殿下は龍王の座には就けないのですか?」
「梓晴にはその能力がない。わたしが不慮の事故で死んだ場合には、梓晴が結婚して子どもを産んだらその中から能力の高いものを選んで次の龍王とすることが決まっています」
「それまでは龍王位は空になるということですね。それはますます国益を損なうので、国民のみならず、周辺諸国も望まないのではないでしょうか」
志龍王国の周辺諸国も志龍王国の恵みを受けて暮らしているところがほとんどだ。ラバン王国しかり、他の国も志龍王国の豊かな水の加護をあてにして、食糧支援を得る代わりに志龍王国に従っているような状態だ。
大陸で一番大きな国となってしまった志龍王国の龍王という存在がいなくなることは、大陸にとって大きな痛手となるのは間違いなかった。
「梓晴が結婚して子どもを産めば、情勢は変わってくるかもしれないが、梓晴はまだ十八で成人したばかりです」
「王女殿下には婚約者はおられるのですか?」
「貴族の男性がこぞって名乗りを上げているが、梓晴の気持ち次第でしょうね。今のところ、決まった相手はいません」
龍王の言葉を聞いて、ヨシュアが形のいい白い顎を右手の指先で撫でる。
「今回の暗殺に龍王陛下を殺すまでの意図はなかったとしたら?」
「どういうことですか?」
「龍王陛下が傷を負って政務を休んでいる間に、龍王陛下の後継ぎが性急に必要だと言い出して、王女殿下との結婚をほのめかすものがいたとしましょう」
「わたしも二十五歳で初めての結婚をしたし、梓晴にも急がせるつもりはなかったのですが、今回のことで結婚を急がせるように言って来るものはいるかもしれません」
「わたしは、その中に黒幕がいるのではないかと思うのです」
冷静に判断したヨシュアに、龍王は感心してしまう。
自分の命を狙って益があるのは叔父夫婦が龍王を暗殺して処刑されたときに異国に逃げたという従弟くらいだと安直に考えていたが、ヨシュアはそれだけではない可能性も考えている。
「それならば、梓晴の結婚を早めようとするものが怪しいと?」
「いえ、こういうことがあれば、宰相殿も四大臣家も王女殿下に結婚を勧めては来るでしょう。自然な流れです。龍王陛下がお命を狙われたのですから」
「それならば、わたしは誰を疑えばいいのですか?」
「それはこれから判断していかねばなりません」
梓晴の結婚の話は龍王が即位したときから持ち上がっていた。梓晴があまりにも若かったので、急ぐことではないとはされていたが、龍の本性になれるほどの濃い血を持つ龍族は王族しかいない。
龍王に子種がない以上は次の龍王は梓晴の子どもということになるだろう。
「呪術師の身元を徹底的に調べさせます。もしかすると異国から呼び寄せられたのかもしれません」
そうだとしても、梓晴は異国のものとは結婚させないと龍王は決めていた。
異国の血を入れては龍族の血が薄まるからだ。
梓晴自身、王族として政略結婚はつきものだし、それを受け入れるつもりではあるようだ。
「わたしの命を危険に晒し、梓晴と結婚しようとするもの……それが誰なのか」
龍王にも予測の付かない事態がまだまだ起こりそうだった。
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