9.侍従長の教育

 ヨシュアの部屋で眠ると侍従に告げると、侍従たちが騒ぎ出した。

 侍従長が呼ばれ、厳かに龍王の前に歩み出る。


「龍王陛下におかれましては、閨教育を拒まれたので王配殿下とのつつがない閨のために幾つかお伝えしておきたいことがあります」


 ヨシュアの部屋に行くということは、これまで誰とも体を交えたことがない龍王が、初めて王配であるヨシュアと体を交えるのだと勘違いされたようだ。

 青陵殿の方ではヨシュアが長椅子で寝るのはまずいということでもう一台寝台がヨシュアの部屋に運び込まれようとしているのだが。

 それを侍従長も知らないわけではないが、万が一のことを考えて教えてくれるのだろう。龍王も女性とのことはなんとなく予測が付いていたが、男性と体を交わすとなると分からないこともあったので、聞いておくことにする。


「男性同士の場合、どちらが抱くかを先に決めておく必要があります。龍王陛下が王配殿下に体をお任せになりたいのであればその旨を伝え、龍王陛下が王配殿下を抱きたいのであればその旨をお伝えにならねばなりません」

「はっきりとどっちがどっちか確認しておくのだな」


 侍従長の話を聞きながら龍王は考える。

 どうしてもヨシュアが龍王を抱きたいというのならばそうしてもいいのだが、できれば龍王もヨシュアを抱きたい。あの美しい男に欲を感じていることを龍王ははっきりと悟った。


「男性には女性のような受け入れる専用の場所はありません。濡れないので潤滑剤として香油を使わねばなりません」

「どのように使うのだ?」

「指にたっぷりと絡ませて、入れる場所に馴染ませ、最低でも指が三本くらいは入るように解さなければ行為はできません」


 真剣に侍従長が話してくるので、龍王も真剣に聞く。

 本来ならば龍族として十八歳で成人したときに聞いておくはずの話だったのだが、龍王が性的なことは遠ざけていたので今になってしまった。


「最高級の香油を用意させます。つつがなく閨が執り行われますように」


 頭を下げる侍従長に、実はそういうことではないと告げようとしたが、侍従長もヨシュアと龍王の言い合いは耳にしているはずだし、万が一のことを考えての指導にしか過ぎないと考えて龍王はそのまま侍従長を下がらせた。


 湯を浴びて楽な格好に着替えて青陵殿に行けば、ヨシュアがいつもの青い衣で待っている。

 夕食を共にする約束だった。

 夕食の川魚の塩焼きはとても美味しくて、小さな一匹を龍王は全部食べてしまった。茸と魚の切り身と三つ葉と銀杏を土瓶蒸しにしたものもとても美味しい。茸と魚の出汁がよく出ている。


「その茸は香りがよいと有名なのです」

「いい香りがするし、歯ごたえもいい」


 穏やかに夕食を終えて、竹の台に豚の毛を植え付けたものと塩で歯を磨き、侍従に寝間着に着替えさせてもらおうと、ヨシュアは呆れたようにため息をついていた。


「本当にこの部屋で眠るつもりですか?」

「いけないのか? あなたはわたしの伴侶だ。伴侶の部屋で眠る権利がわたしにはあるのではないか?」

「この結婚は見せかけだけのものです。龍王陛下はわたしと褥を共にしないと宣言しています」

「褥を共にしたい気持ちはある。だが、ヨシュア殿がそれを望まないのであれば、別々の寝台でも構わない」


 この上なく呆れた顔をされたが、気付かぬふりをして寝台に入ってしまえば、ヨシュアは鮮やかな青い衣を翻して部屋を出て行った。


「体を流してきます。先にお休みください」

「戻ってきてくれるのか?」

「ここはわたしの部屋ですからね」


 背を向けたままでも拒絶はされなかったことに安心して、龍王は寝台に入って夏物の薄い上掛けに包まった。

 外は蒸し暑い風が吹いているが、部屋の中は天井まで届くような巨大な氷柱が立ててあるので涼しく保たれていた。

 ヨシュアがいなければ警護の兵士がいることになる。

 部屋の灯りは落とされていたが警護の兵士の気配に眠れずにいる龍王は、ひたすらヨシュアの帰りを待っていた。

 ヨシュアはしばらくして淡い水色の寝間着を纏って戻ってきた。

 広いヨシュアの部屋に新しく運び込まれた寝台に横になると、警備の兵士が部屋から出て行くのが分かる。

 ヨシュアと龍王だけになった部屋に暗い沈黙が落ちる。

 ヨシュアは香炉の中に安らげる香を入れて火をつけたようだった。優しい花の香りが部屋に満ちる。


 黙っているとだんだんと瞼が重くなってきて、龍王は眠ってしまった。


 目が覚めると朝で、衝立の向こうでヨシュアが着替えている気配がして、龍王も起き出して侍従の手を借りて着替えると、朝食が運ばれてくる。

 朝食はいつも粥なのだが、ヨシュアの部屋に運ばれてくる粥は使っている出汁が違うことが多い。


「今日は魚の出汁か」

「熱いので気を付けてお召し上がりください」


 侍従に促されて熱い粥を食べると、汗が滲んでくる。部屋を涼しくしているとはいえ、季節は夏だった。


「明日は冷やし茶漬けにでもしますか?」

「冷やし茶漬け? それはどのようなものなのだ」

「氷で冷やした茶を炊いた米にかけます。塩昆布や梅干しを添えると美味しいのだとか」

「氷か。必要ならばわたしが用意しよう」

「わたしも魔術で用意できるのでご心配なく」


 この真夏に氷を用意できるのは龍族でも力の強い水の加護を得ているものしかいないと思っていたが、ヨシュアはそういうこともできてしまう。

 龍の本性になれる龍族の王族ということで、龍王は自分が一番この国で強いのだと信じていたが、ラバン王国で一番強い魔術師のヨシュアならば、龍王に匹敵する魔力を持っているのかもしれない。


 力が強いということはそれだけ孤独だということだ。

 ヨシュアとはこの孤独を共に分かち合えるのではないかと考えていると、ヨシュアの国から連れて来た侍従がヨシュアに何か耳打ちしている。


 話を聞いたヨシュアは頷いて、龍王に向き直った。


「明日の朝食がご一緒できなくなりました」

「なにゆえ?」

「王都の近くの集落で、集団感染が発生したと聞いています」

「魔術騎士団は衛生兵とは違うだろう。行くことはない」

「魔術騎士団は衛生兵としても訓練を受けています。特に治癒の魔術を使えるものもいます。わたしもその一人です。病気の全てに治癒の魔術が使えるわけではないのですが、役に立つのならば現地に出向きたいと思っています」

「だが……」


 一歩間違えればヨシュアが感染してしまうのではないか。

 龍王の不安を取り払うようにヨシュアは続ける。


「わたしが感染していないことを確認するまでは、龍王陛下とはお会い致しませんので安心してください。万が一わたしが感染したとしても、わたしは栄養状態もいいですし、薬学の知識もある魔術騎士もいます。すぐに治療できると思います」

「あなたは、どうしてそんなにも国民のために尽くすのだ?」

「龍王陛下も国民のために尽くしているではないですか。国民のために国土に常に水の加護が行き渡るようにしていらっしゃる。それと同じです。王族として生を受け、わたしはこの国に必要とされて嫁いできました。敬われるものとしての責務を果たしましょう」


 行ってほしくないと口から出そうになって、龍王はそっと口を閉じた。

 それは龍王の口から出れば命令になってしまうし、魔術騎士として国民を守ることを一番に考えてくれているヨシュアの矜持を傷付けることにもなりかねない。


「あなたは感染症に対して十分に注意を払うだろうし、魔術で常に自分を清潔にしていると思う。あなたが戻ったらすぐにわたしはあなたに会いに行く」

「龍王陛下、わたしが感染している可能性もお考え下さい」

「わたしが感染したところで、死ぬような病ではないのだろう? 龍族はとても頑丈なのだ」


 これだけは退けないと龍王が示せば、ヨシュアは呆れたように苦笑している。


「分かりました。わたしが戻ってから、着ていたものを全部着替えて、湯あみして、体も清潔にした上でしたら、お会いしましょう」


 譲歩してくれたヨシュアに、龍王は「冷やし茶漬けの件、忘れるなよ」と小さく呟いた。

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