違いましたか

 Eさんは、その日深夜まで会社に残り資料を作成していた。

 ふとオフィスの時計を見ると、午前二時。

(流石にこれくらいにしておくか)

 Eさんはスマホのアプリでタクシーを呼び、ノートパソコンを鞄にしまってオフィスを後にした。

 数分後、タクシーが到着する。

「月島駅まで」

 運転手に行先を伝えながら後部座席に乗り込んだEさんは、疲れからか、すぐに寝入ってしまった。


 Eさんが目を覚ました時、タクシーは既に停止していた。着いたのかと思い鞄を手に持ったEさんだったが、そこで(おや?)と思った。

(ここどこ?)

 タクシーはどこかの一軒家の前に止まっている。が、Eさん宅ではない。

 窓越しに付近を見渡す。一軒家の立ち並ぶ住宅街であるが、どこなのかは全く見当がつかない。自宅の近くどころか月島駅の周辺ですらないようだった。

 と、Eさんの目に、料金メーターの数値が飛び込んできた。

「一万円!?」

 Eさん勤め先から月島の自宅まで、普通なら深夜割増込みでも三千円かからない。

 慌てて腕時計を確認する。午前三時十分。本当ならとっくに家に着いているはずの時間である。

 状況から察するに、道に迷って無駄に何十分も彷徨ったようであった。

「運転手さん、全然場所違うよ」

 ……

 運転手はなぜか何も言わない。

「ちょっと、聞いてる?」

 ……

 やはり何も言わない。

 とその時、運転手が助手席側の窓を開けて、タクシーの左手に建つ一軒家の方をじっと見つめはじめた。

 つられてEさんも一軒家の方に視線を移す。

 その家の玄関が開いている。どうやら運転手は、その開いた玄関の中を見ているようだった。

(この人、何を見てるんだ?)

家の人が出てきたのかと思ったが、そうではない。玄関の中は真っ暗で、人がいる気配はなかった。

「あの、もしもし?」

「……あ、違いましたか」

 ようやく口を開いた運転手は、助手席の窓を閉めてタクシーを出した。


 その後タクシーは、何事もなくEさんを自宅まで送り届けた。

 Eさんは料金に文句を付けようとしたが、その前に運転手の方から「お代は結構です」と言われたという。

 とはいえ、全く知らない家に連れていかれたことを不問に付すわけにはいかなかったので、次の日タクシー会社にクレームの電話を入れた。

 運転手の名前とナンバーはしっかりと記憶していたので、昨夜の出来事ともに伝えたところ「その運転手は退職済みだ。何かの間違いではないか」との返答があった。そんなはずはないとEさんは食い下がったが、結局話は平行線を抜け出さず、クレームは受け付けられなかった。


 この話を聞かせてもらった際に「そういえば、当時は気になりませんでしたけど……」と、Eさんが次のように語った。

「運転手の言った『違いましたか』って、私はてっきり、自分に向けられた言葉だと思い込んでいたんですけど、その時運転手は真っ暗な玄関の方を向いたままだったんですよね。だから、もしかしたら、そこにいた誰かに『違いましたか』って言ってたのかなって、今更だけど思うんです。

 でも私が見た限り、その家の玄関には誰もいなかったはずなんですよね。だから、一体誰に話しかけていたのかがさっぱりわからず……。

 そもそも『違う』って、一体何のことなんでしょうか?」

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