魔導師は聖女を隠す ~結婚相手は御年八十歳のオジイサマではなく、超絶美貌の魔導師でした~

真白清礼

序 魔法使いとの出会い

 サウラン領にしかない、稀少な青月花セイレーンが咲いた春の朝。

 アルカ=エルドレッドの実母は、病で息を引き取った。

 そして、その半年後。

 母を喪った悲しみを癒す間もなく、アルカの父は再婚した。

 嫁いできた女性は、アルカより一歳年下の男の子を連れていた。

 家督は男子が相続しなければならないというのが、この国・ミスレルの法律だ。

 成長したところで、アルカは家督を継ぐことは出来ない。

 サウラン領主であった父は代々継承してきた土地を護るためにも、遠縁の未亡人を妻に迎えたのだそうだ。


『この結婚で、エルドレッド家の結束力は強まるだろう。戸籍上は義弟だが、あれが成長したら、アルカをめとらせるつもりでいる。すべては、お前の将来を考えてのことなのだ』


 そんなふうに、小難しい言葉を駆使して、父はアルカを諭した。

 ……けど。

 結果的に、父の目論みは狂いまくってしまった。

 気位の高い継母と我儘な義弟に、アルカはまったく馴染めず、可愛げがないと苛められる一方で、孤独感は増すばかりだった。

 いつの間にか、アルカは独りで屋敷の庭を歩くのが日課になっていた。

 このまま誰にも見つからず、朽ちてしまえば良いのにと願い続ける日々。

 そんな時だった。

 亡き母が就寝前に読んでくれた絵本「魔法使いレトとお姫様」の「レト様」が、アルカの眼前に現れたのは……。


『……こんなところで、会えるなんて』


 それは何の前触れもなく、唐突にやって来た。

 実体を伴わない声だけを、彼はアルカの脳内に送りこんできたのだ。


「誰?」


 その日も、継母から八つ当たりで叱られて、裏庭の茂みで独り泣いていたアルカは、きょろきょろ周囲を見渡して、誰もいないことを確認すると、驚きと興奮でその存在に向かって、猛然と語りかけたのだった。


「何で!? この庭には限られた人しか入れないはずよ。貴方は一体、何処にいるの?」

『えっ……と、そうですね。近くにはいますけど、君には視えないところかな』

「貴方、魔法使いよね?」

『はっ?』

「魔法使いでしょ?」


 アルカは確信していた。

 大好きな絵本の世界が現実になったのだ。

 家族から苛められていたヒロインの前に現れた、髭もじゃの魔法使い。

 彼女はこの魔法使いの力で、王子様と出会い、結ばれるのだ。


『いや、厳密に言うと違いますけど、それに近い存在……なのかな』

「やっぱり、そうなのね! じゃあ、貴方は「レト様」なんでしょ?」

『レト?』

「母様が読んでくれたお話に出てくる魔法使いよ。真っ白なお髭で、地味な格好をしているけど、とても強くて、いつもお姫様を護ってくれるの」

『なるほど。そちらにも魔法使いの伝承はあるんですね。だったら、聖女の話も伝わっているのでしょうか?』

「……聖女?」

『世界が混沌の闇に呑まれる時、聖女は復活する。聖女の左手は万民を癒し、右手は国土の荒廃を防ぐ。神が授けた清らかなる存在って。……知りませんよね?』

「何、それ?」

『やっぱり、知らないか。聖女というのは、君の言う「お姫様」みたいなものです』


 魔法使いの声は、心なしか若いような気がした。


(あれ? なんか……子供のような?)


 アルカは一瞬そう感じたが、今更訂正するつもりはなかった。

 自分にとっての「レト様」を逃すつもりなんてなかったのだ。


「じゃあ、私がお姫様で貴方がレト様ね? 私のことを見つけ出して、助けに来てくれたんでしょ?」

『えー……と。うん、まあ、そういうことで、良いのかもしれないな』

「だったら、貴方は私をここから救い出して、王子様に会わせてくれるのよね? だって、ずっと苛められていたお姫様は、最後に王子様と結婚して幸せになるんだから」


 目をキラキラさせながら、アルカは視えない存在に向かって手を合わせた。

 ようやく、自分のもとにも救いの手が差し伸べられたのだ。

 罵られるだけで、ろくでもない毎日。

 いっそのこと、母様のところにいきたいと嘆いていたけれど、でも、レト様がいてくれるのなら、もう少しだけ頑張ってもいい。


(レト様がいてくれるのなら……)


 本当にアルカが困ったら、きっとレト様が屋敷から救い出してくれるはずだ。


 ――けれど。

 彼はアルカを助けてくれなかった。


 その後も、アルカの脳内に現れては叱咤激励してくれたが、彼がしたのはそれだけだった。


(……私、寂しかったんだわ)


 大人になって冷静に当時のことを振り返ってみると、その存在はアルカが作りだした妄想としか思えなかった。

 いつも、あの裏庭でしか声がしなかったのは、他の場所だとアルカが「レト様」を想像できなかったからだ。


 レト様は迎えになんて、来やしなかった。

 彼は「魔法使い」でもなければ、実在する人間でもなかったのだ。


 ――それでも良かった。


 孤立していたアルカにとって、彼の存在が唯一の生きる希望だったのだ。

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