19. 一瞬の狼狽
翌朝、ラウル様が帰宅しなかったことに気付いたサリアはこれ以上ないほど大袈裟に騒ぎ立てた。
「信じられないわ! まだ新婚のお義姉さまを置いて、一体どこにお泊りになったのかしら……。お義姉さま、何も聞いていらっしゃらないの? ……え? 連絡さえなかった? まぁ……! それって、もしかしてロージエと……!? やだぁ不潔よ! 信じられないっ! 許せないわ、あの二人ったら……! お義姉さまが可哀相。本当に可哀相だわ、新婚なのに……!」
サリアが喋るたびにどんどん気分が重くなり、朝食も喉を通らない。苛立ちを懸命に抑えながら、私はカトラリーを静かに置き、向かいの席でまくしたてるサリアを咎めた。
「……あのねサリア。大きな声で騒ぐのはもう止めてちょうだい。この屋敷にはあなたと私の二人きりではないのよ。ラウル様はとてもお忙しい身なの。別に外泊をなさるのが今日が初めてというわけではないわ。お仕事が終わらなければ、王宮に……」
「でも新婚なのよ!? 独身の頃と今は違うわ。お義姉さまという妻がいるのだから、妻を大切に思っていれば外泊の連絡くらいはするはずよ普通」
「……」
「ひどすぎるわ! これは裏切り行為よ。ね、お義姉さま。ラウル様をちゃんと問い詰めなくてはダメよ! 一体どこで何をなさっていたの? 職場に浮気相手でもいるの!? って。それにね、もしそれが真実だったなら、お義姉さま……離縁も視野に入れた方がいいと思うわ。不幸な一生を過ごすことになるのは目に見えてるもの。お義姉さまにはもっと他にお似合いの、誠実で素敵な高位貴族の殿方がいるはずだわ。これ以上お義姉さまが不幸になることなんて、きっとお義父さまも望んでは……」
「もういいから。黙りなさい、サリア」
ついに私は厳しい声でピシャリと言った。きつく睨むと、サリアが少し怯んだ。
「私は不幸なんかじゃない。勝手な妄想をして一人で突っ走っているけれど、ラウル様に限ってそんな浅はかな行動はなさらないわ。ヘイワード公爵家のご令息を何だと思っているの。少しは言葉を謹んで。私は離縁なんてしないわ」
そう言うとサリアは明らかにムッとした表情をし、あろうことか、大きな声を上げて泣き出した。
「ひ……っ、う、うわぁぁぁん!! ひどい……! ひどいわお義姉さまぁ……っ、あぁぁんっ!!」
「っ! ち……、ちょっと、」
「ひぃぃぃん……! あ、あたし、あたしただ、お義姉さまのことを心配してるだけなのにぃ……。お、お義姉さまが、可哀相だから、幸せでいてほしいから……。あたしにできることをしようと思っただけなのよぉ……! それなのに、そんなに強く怒るなんて……、うわぁぁぁんっ!!」
「サリア……! もう止めてよ。落ち着いて」
「一体何事だ朝から。騒がしい」
「……っ!」
その時。間の悪いことに、たった今帰宅されたらしいラウル様が様子を見にやって来た。サリアの泣き喚く声が食堂の外にまで聞こえていたのだろう。控えている使用人たちの目も冷やかだ。
「おっ、おかえりなさいませ、ラウル様。あの、これは……」
「ラウルさまぁ!! ようやくお戻りになったのですね!?」
私がラウル様に話しかけるのと同時にサリアまで立ち上がり、ラウル様に声をかけた。たった今まで号泣していたとは思えない切り替えの速さだ。
そしてサリアは、耳を疑うようなことを言い出した。
「ラウル様、そんなにお義姉さまのことがお嫌いですか? もっとお義姉さまのお気持ちを考えて差し上げてくださいませ! ただでさえお義姉さまはラウル様の態度が冷たいことを気に病んでおられるのに……。夕べは一晩お戻りにならないものだから、お義姉さま、ラウル様が職場の女性と浮気をしてるんじゃないかってずっと悩んでおられるのですよ!?」
(──────っ!! な……っ、)
「何を言うのサリア! 止めなさい!」
私は慌ててサリアを叱ると、ラウル様の方を振り向いた。申し訳ございません、ラウル様。そう謝るつもりで。
けれど。
(……え……?)
私を見つめるラウル様の顔は、見たことがないほど強張り、しかも目があった瞬間、彼は狼狽えたように私から目を逸らしたのだった。
それらの行動はほんの数秒にも満たない間のものだったけれど、その不自然さは明らかに何かを誤魔化す雰囲気があった。
けれどすぐに冷静さを取り戻した彼は、スッと私に向き直った。その瞳には軽蔑と、そして憎悪の色がありありと浮かんでいた。
「……くだらない。君たちは朝食の席で、そんな低俗な話をしていたのか。呆れて物も言えない。私は王宮での仕事の他に、公爵領の経営管理の仕事もある。いちいち本邸に帰宅する時間がとれないことだってたびたびあるんだ。……君は侯爵家のご令嬢だ。そんなことくらい、当然承知の上だと思っていたが、」
「……ラ、ラウルさま……、分かっております、私は……、」
「まさかここまで低俗な女性だとは思わなかった」
「──────っ!」
私を
しばらくの間、彼の後ろ姿が消えた扉の向こうを呆然と見つめているしかなかった。すると私のそばにいそいそとやって来たサリアが、耳元で囁いた。
「ほら。ね? やっぱり様子がおかしかったでしょ? 女ってすぐに分かっちゃうわよね、ああいうの。……ラウル様、やっぱり浮気してるわ」
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