16. 義妹の来襲

 どうにか話し合いたいと願う私の気持ちを決して受け入れないと固く心に決めているかのように、翌日からもラウル様の態度は崩れることがなかった。

 まず、初めての夫婦の食卓となるはずだった朝食の席に姿が見えなかった。私はおそるおそるヘイワード公爵家の侍女に訪ねてみる。


「……あの、ラウル様は……?」

「……? とうにお仕事に行かれましたが。ご存知ありませんでしたか?」

「……っ、」


 不審げな侍女の声さえも辛く感じる。そうよね。昨夜初夜を過ごしたばかりのはずの新妻が、なぜ翌日の夫の予定も把握していないのかと疑問に思うのは当然だろう。だけど私たちは、寝室さえ共にしていないのだから。

 夫の予定も知らず、真っ赤に目を腫らしている私のことを、この屋敷の侍女や使用人たちはどう思っていることだろう。


 ヘイワード公爵や夫人に相談したくても、お二人は普段この屋敷で生活していない。ヘイワード公爵領は広大で、領地の中にいくつもの別邸があるのだ。しかもヘイワード公爵は外交官長として忙しく飛び回っており、この本邸に戻ってこられるのは、一年のうちでほんのひと月ほどしかないらしい。昨日の結婚式には列席してくださったけれど、そのまま別邸にとんぼ返りなさっていた。


(……そもそも、相談してしまえば父にも話が伝わってしまうかもしれない……。それだけは避けたい)


 父には余計な心配をかけたくないし、失望させたくない。

 できれば早いうちに、二人だけで解決して円満な夫婦生活を送りたかった。


 夜の帰宅を待って声をかけてみたり、朝はできるだけ早くに起きてラウル様が出かける前に顔を合わせるようにしてみたりするけれど、彼は私の顔を見ると必ず眉間に皺を寄せ、まるで害虫でも見つけてしまったかのように目を逸らす。

 それでも私は、話し合うことを懸命に試みた。

 そしてある朝、ついにこう言われてしまった。


「……いい加減にしてくれないか。朝から君の顔など見たくもない。必要最低限の話なら聞くが、無闇矢鱈と目の前をうろついてくれるな」

「……っ! ラ……、」


 あまりにも手酷く突き放され呆然とする私を置いて、ラウル様は振り返りもせずに屋敷を出て行ってしまったのだった。


 取り付く島もないラウル様に、ため息が止まらない。一体なぜ? どうしてこんなにも突然豹変してしまったのだろう。せめてその理由だけでも教えてもらえたら、私にもまだできることはあるかもしれないのに……。


(本当にこのまま私と白い結婚を続けるつもりなの……? じゃあラウル様はヘイワード公爵家の跡継ぎのことを、どう考えていらっしゃるのかしら……)


 分からない。

 何もかも、私には分からないことだらけだった。




 そんな風に思い悩む中、ある日突然、サリアがこのヘイワード公爵邸を訪れた。何の前触れもなく。


 その日私は、まだ不慣れなヘイワード公爵領に少しでも早く馴染むべく、朝から侍女を伴って領内の様々な場所を見て回っていた。ヘイワード公爵領は本当に広大だけれど、その中でもこの本邸付近は特に都会で、整備された大きな通りを中心としてとても賑わっていた。新しい土地の物珍しさもあって、私は束の間悩みを心の隅に追いやり、楽しい気持ちで視察をして回った。


 そして夕方前にようやく帰宅すると、家令が少し慌てた様子で玄関ホールに出てきて言った。


「若奥様、妹君のサリア様が数刻前からお出ででございまして……」

「……サリアが?」


 なぜ突然? 今日ここに来るなんて連絡はもらっていない。一体どういうことだろう。

 家令は困ったように続ける。


「若奥様がお戻りにならないので、ラウル様がずっとサリア様のお相手をなさっておられます。非常にお疲れのご様子でして……」


(────っ!! しまった……っ!)


 その言葉を聞いて焦った私は、慌てて応接間に向かった。




「サリア……!」

「あら、やっと帰ってきたの? お義姉さまったら。お邪魔してまーす。ずっとラウル様とお喋りしてたのよぉ。一体どちらでお暇を潰してらっしゃったの? いいわねぇ。ヘイワード公爵令息夫人はお気楽で。うふふ」

「……っ、」


 私の顔を見た途端、サリアは悪びれもせずそんなことを言ってうふうふと笑う。こちらを振り返ったラウル様の目には、激しい怒りと不快感が浮かんでいた。


「……義姉上が戻ったようだ。私はこれで失礼する」

「えぇっ!? もうですかぁ? あぁーんあたしもっとラウル様ともお話ししたかったですぅ」

「サリア! 止めなさい!」


 全く空気を読まないサリアの猫なで声に、さすがに大きな声を出してしまった。ただでさえ険悪な状態の私たち夫婦なのに、これ以上彼の機嫌を損ねるようなことをされては困る。


「きゃっ! ……やぁだぁ、お義姉さま。突然怒鳴るなんて、ひどぉい……。怖いよぉ。あたしはただ、お義姉さまとラウル様とあたしの三人で仲良くお喋りがしたかっただけなのにぃ」

「……ラウル様、本当に申し訳ございません」


 全身から冷気を漂わせながら私を睨みつけ、私が立ち尽くしている扉のところまで歩いてきたラウル様は、すれ違いざまに小さな声で言った。


「妹君を招いたのなら、ちゃんと在宅していてくれ。一人で待たせていようとすると大声で抗議してくるものだから相手をするしかなく、貴重な数刻を潰されてしまった」

「っ! ち、ちが……、」

「これ以上私を苛立たせるのは止めてくれ。迷惑だ」

「……っ、」


 まるで宿敵にでも対峙したかのような目で私を睨みながらそう言うと、ラウル様は応接間を出て行ってしまった。彼が横を通り過ぎる時に揺れた空気の冷たさに、心臓が凍りつきそうだった。



 



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