9. 募る想いと苦悩(※sideアルバート)
だがそんな俺にも、物心つく前からの婚約者がいた。友好関係継続のために決められた、隣国の王女の一人だった。
以前はそのことを、何とも思っていなかった。王族の定めとして、このリデール王国にとって最も有利となる縁を結ぶ。皆そうしてきたわけだし、俺自身も、それを自分の当然の責務として受け入れていた。
けれどティファナへの恋心を強く自覚するにつれ、徐々に憂鬱な思いを抱えるようになってきていた。ティファナは王太子との婚約が叶わなかったとしても、誰か別の、おそらくは国内の有力な高位貴族の子息の元に嫁いでいくのだろう。そして俺は、ティファナではない女性を妻にする。
どんなに想いを募らせようとも、俺がティファナを得ることができる日など、決して来ないのだ。
その揺るがぬ事実が、俺の心に重くのしかかっていた。
24の歳になる頃から、俺は自身の見聞を広めることと国内の治安維持を名目として、王国内を飛び回るようになった。もちろん各地で真面目に仕事に取り組みはしていたが、本音を言えば、これ以上美しく成長していくティファナの姿を間近で見ていることが辛かったのだ。
蹴りをつけねば。この思いを早く断ち切り、自分の責務にのみ集中せねば。そんな焦りが、俺を突き動かしていた。
けれど、離れて会わなくなればあっさり忘れられるほど、この想いは軽いものではなかったらしい。
毎日毎夜、俺の心の中にはティファナの愛らしい笑顔があった。消えてくれる日など、一日たりともなかった。
ならばもう、それでいい。俺は彼女への狂おしいほどの恋心をうちに秘めたまま、この長い人生を生きていこう。
いつしか俺は、そう達観するまでになっていた。
そんな日々が二年ほど続いた頃だったろうか。俺の元に、オールディス侯爵夫人の訃報が飛び込んできたのは。
知らせを聞いた瞬間、何を考える間もなく、俺は馬車に飛び乗っていた。頭の中にあったのはティファナの顔だけ。可哀相に。敬愛する母上を失い、どれほど気落ちしていることだろうか。
そばに付いていてやりたい。俺の存在が、ほんのわずかでも彼女の気を紛らわせることができるのなら、俺は何でもする。
そう願い、彼女の元に駆けつけた。
オールディス侯爵夫人の葬儀に間に合い、俺はそこでティファナと再会した。
漆黒の衣装に身を包み、凛とした佇まいでいたティファナの瞳は充血し、心なしか頬は痩けていた。
「……アルバート王弟殿下、本日は母の葬儀にわざわざ足をお運びいただきましたこと、感謝いたしますわ」
16歳になった彼女は、息を呑むほどに大人びていた。窶れていてもなお、より一層美しさを増し、そんな彼女を目の前にして俺は一瞬めまいさえ覚えたほどだ。
(……ああ、やはり俺はティファナのことが好きだ。どうしようもなく)
およそ二年ぶりの再会は俺の心を思う存分掻き乱し、己の恋心を嫌というほど痛感させられたのだった。
気丈に振る舞い笑顔を見せる目の前のティファナを、衝動のままに抱きしめることができたらどんなによかったか。
「……お悔やみ申し上げるよ。大変だったね、ティファナ」
自分の激情をどうにか堪え、俺は静かに言葉を紡いだ。
葬儀が終わった後、しばらく二人きりで話をした。主にティファナから、オールディス侯爵夫人の思い出話を聞いていた。
時折言葉を詰まらせ、震える指先でハンカチを取り出し瞳をそっと抑えるティファナの肩に、俺は無意識に手を伸ばし、抱き寄せていた。
これくらいは許されるだろう。今日だけ。たったひとときだけのことだ。許してほしい。
誰にともなく、俺は心の中で言い訳がましい謝罪を繰り返していた。
オレの腕の中で小刻みに震える彼女の柔らかな髪から、野に咲く花々のような優しい香りがした。
それからまた月日は経った。俺は相変わらず国内を飛び回り、あの日以来ティファナにも会うことはなかった。再会してますます、彼女のそばにいるのが自分にとってどれほどマズいことかを再認識したのだ。そばにいれば、いつか箍が外れてしまう。そんな予感がした。
しかしそんな折、俺の耳に王太子の婚約者がエーメリー公爵令嬢に決定したという情報が届いた。
(……そうか。やはりカトリーナ嬢に決まったか。まぁ、そうだろうな。エーメリー公爵家の令嬢が優秀であるならば、順当に決まるのは何も不自然ではない)
ティファナは王太子とは結婚しない。
喜んでもよさそうなものなのに、俺の心は深くどんよりと沈んでいった。
幼い頃から、誰よりも努力していたのに。
数年前、王宮図書館の前で会った時に、あまりにも根を詰めすぎじゃないかと俺が心配したら、「私が王太子殿下の婚約者になることは、両親の悲願ですから!」と、明るい笑顔を見せてくれたな。
報われなかった今、どれほど落胆し、自分を責めているだろうか。
ティファナの胸の内を思うと、呑気に喜ぶ気になど到底なれなかった。
そして、その知らせからほんの数ヶ月後のことだった。
俺と隣国の王女殿下の婚約が、解消されたのは。
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