アーデルベルト編 前編

 サローイン様との婚約破棄が成立した夜。


 私はお父さまから、新しい婚約者の絵姿を渡された。


 お父さまは、彼が婚約解消を言い出した時にはすでに彼に愛想をつかし、早い段階から水面下で婚約者探しを行っていたらしい。


 そんな、貴族らしく、やり手の商人でもあるお父さまに、ここまでの私の我儘に対する、心からのお詫びとお礼を伝え、受け取った。


 婚約者に内定している方の絵姿をみた私は、そこに描かれた若い男性の姿にとても驚いた。


 婚約破棄を恥とする貴族社会の中で、相手の有責とはいえ、そのレッテルが張られた私に来る縁談など、先妻をなくされた方か、初婚でも少々問題があり、結婚とは縁遠かった方だと思っていたからだ。


 絵姿にあるのは、夏の暑い日の太陽の様な金色の髪に、その木漏れ日の様な琥珀の瞳をした、私と同じ学園の一つ上の学年に在籍なさっている方で、お名前を拝見して、やっとこの縁談話に納得がいった。


 お名前はアーデルベルト・ハイド伯爵令息様。


 我が家はハイド家と商売のお付き合い以上に懇意にしているという話を耳にしたことがある。


 そしてこの方も、今回のサローイン様の起こした騒ぎの事で、婚約解消された方の一人だった。


 私との婚約は、半年の待機期間をもって、婚約宣誓書に署名の上の発表し、私の卒業と同時に結婚をすると決定していると言われて、承知しました、と私は頭を下げてお父さまの書斎を出た。


 その際、もうわがままは許さんぞ、と仰ったお父様に、申し訳ございませんでした、と、私はもう一度頭を下げた。


 自室に戻った私は、湯あみをした後、侍女に腕や足、顔についてしまった、小さいけれど、数え切れないほどたくさんの傷の手当てをしてもらい、床についた。


 暗くなると、見慣れた天蓋が涙で滲む。


 私のせいではない、悔しくない、辛くない、もう大丈夫だ、と、涙を止めようとしても、ただただ溢れて止まらなかった。


 必死に止めようと声を殺し、枕に顔を埋めた私がようやく眠りについたのは、東の空が白み始めた頃だった。






 翌日。


 寝不足と、たくさん泣いたせいで、とても頭も体も痛く重かった。


 寝床から起き上がり、ズキズキと痛む重たい体を不思議に思いながら、お気に入りの鏡台の前に座ったところで、私は鏡に映る自分を見て、小さく悲鳴を上げた。


 朝の支度を手伝いに来てくれた侍女も、私を見て悲鳴を上げ、慌てて部屋を出ていった。


 一晩泣いたために、目の周りが腫れていたのはもちろんのこと。


 顔が右の顎から頬にかけて、形が変わるほどに腫れていたのだ。

 

 よく見れば、手も、足も、同じように腫れ、ズキズキと痛みを訴えている。


 手も、足も、もちろん顔も、生け垣に突き飛ばされた時に、剪定を終えたばかりのとがった枝先や、花自体が持つ小さな棘によって出来た大量の小さな傷が、一つ一つが赤く腫れ、顔の右側全体の形を変えてしまっていたのだ。


 一通り手当てをしてくれた侍女が止める中、一応は制服に身をつつみ、学校へ行く用意をして食堂にむかった。


 食堂に入れば、お父さまは信じられないと言った顔で目を見張り、お母さまはつんのめるように私の傍にくると、顔半分を覆うガーゼに触れ、半狂乱で抱きしめられた。


 その後、傷が治るまで学園を休みなさいと、お父様に言い渡され、私室へ戻り制服から、傷にさわらぬように柔らかなワンピースに着替えさせられた。


 窓辺のソファに座ると、睡眠不足からうとうとするが、痛みですぐに目が覚める。


 部屋で食べるようにと届けられた柔らかい食事や氷菓も、食欲がわかず、半分も食べられなかった。


 そうして一日を過ごし、学園が終わる夕方を過ぎたあたりから、友人やクラスメイト、そして話を知った他家から、お見舞いの品や手紙が届いた。


 無理しなくていいのだ、というお母さまに大丈夫と伝え、届いたお手紙やお品にお礼を書くために読んでいく。


 手紙の内容は、1/3は好奇心、1/3は憐れみ、残りは心からの心配したといった内容で、しかし、届いたものすべてに目を通し、用意した便箋に返事を2つ、3つと書き終わらぬうちに、私の目の前が真っ暗になった。




 目が覚めた時には真夜中。


 ベッドの隣に座り、頭のタオルを替えてくれ、ハーブ水と氷菓を少しずつ口に入れてくれたお父様から、手紙を書いているうちに、熱を出して倒れたのだと聞かされ、ゆっくり休むように言い渡された。


 熱は丸2日続き、3日目に下がり、5日目にようやくベッドから起き上がる事が出来た。


 6日目には、腫れもかなり引き、傷も痛まなくなって大分楽になっていたため、私は窓際の、桃色のアナベルが飾られたテーブルの傍のソファに座ると、頂いていたお手紙に返事を書くことにした。


 友人以外の手紙や見舞いの品に関しては、お父さまが全て返事を返してくれたとのことで、私はいらぬ心配をすることなく、友人たちに返事を書くことが出来た。


 そして最後の一通。


 倒れる前には見なかったそれを手に取った私は、名前を見て手を止めた。


 何故? と、首をかしげる。


 間違いなく『ナジェリィ子爵令嬢 クローディア嬢へ』と書かれたそのお手紙は、裏には私の見たことのなかった柔らかな桃色の封蝋が押され、その下に力強い字で『アーデルベルト・ハイド』とサインされていた。


(ハイド伯爵令息様が、何故?)


 確かに婚約者として内定はしたが、確定ではないし、婚約者としての発表も、顔合わせもしていない。


 そんな方から何故手紙が来たのか。


 私は1つ、2つと深呼吸をすると、少し震える手でその手紙の封を切った。

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