―3―
黄金のゲートで65階へ。
バルコニーから見渡す外の景色は、不気味なくらいうつくしい銀世界だった。あたりいちめんにひろがる荒廃した遺跡群・・・それらはまるで、砂糖をまぶしたクリスタルでアイシングされた、ヘンリー・ダーガーの怪獣を彷彿させる。
人けはなく、物音さえしない。ここには何もない。科学に文化、宗教さえも。あるのは空虚のみ。じわじわと確実に蝕む癌のように、衰退の一途を辿っていく星のすがた・・・
ふたりとも、血も凍るほどの寒さには慣れっこだった。けれど、しずかな夜は奇妙に感じた。雪が止んで、尚かつ霧も晴れているなんて。そんな日は滅多にない。昼だろうと、夜だろうと。
「・・・神さまもさ、きっと大して頭がいいわけじゃないんだろうね」
ようやく下ろしてもらえたマリナが、脈絡もなくそんなことを言う。
「うん?」カロリスは怪訝そうに首をかしげる。「そんなこと言うものじゃないよ。どこで聞いてるかもわからないんだから」
「べつにいいのよ。神さまがすてきな夢をみられるようにって、わたしたちはこんなに本を読まされているんだから」
パールの欄干にゆっくり歩み寄るマリナ。
「でも、もうほとんど読み尽くしてしまった気がする」
カロリスの声は、かのじょの背中に届かなかった。かれのことばに、やっぱり感情の色はない。かれらは神さまから残酷な鉄のカルマを背負わされていた。
「88日間の退屈を凌ぐのに、この図書館は物足りないよ」皮肉めいた独り言。しかしそれは、かれの本心だった。せめて記憶ごとリセットしてくれたら。百億の昼と千億の夜を通してかれらは痛感していた。
夜の空気は円熟しているのに対し、かれらのいのちはあまりにも幼かった。
そのとき、マリナはくしゃみをした。かつて本で読んだ小動物のように可愛らしい響きに、カロリスは笑いを堪えるのに必死だった。自分のダウンコートを脱ぎ、かのじょの細い肩にそっとかける。
「そんなことしたら、あなたが風邪を引いちゃう」
「大丈夫だよ。トレーナーとレギンスでじゅうぶん温かいから」
「ありがとう」渋々ながら納得したようすでマリナが頷く。と、不意に閃いたアイデアを提案する。
「じゃあこの手袋、かたっぽだけ貸してあげる! シンクの毛皮で編んだ温かいやつよ、ほら」
カロリスにとって些かサイズのちいさい手袋だったものの、やっぱり温かかった。手袋のないほうの手は、お互いにダウンコートのポケットの中で握りしめあった。
あいての温もり、肌触り、香りすべてが失われていくようすが、ありありと感じ取れた。大気散逸。太陽の燃えるあくび、その粒子が水素やヘリウムになって宇宙にかえるように。
「真理は、ひとを自由にする」ーーどちらかの口から、そんなことばが洩れる。ふたりは目が合い、いっしょに笑った。
この数日、かれらは地球という星で紀元前6世紀から口頭伝承されつづけた旧約聖書に夢中だった。
やれやれ、笑わせてくれるよ。カロリスは肩を竦めるーーあんな書物、滑稽なドラマにも程があるだろう?
この世にモラルなんてない。あるのは、誰かにとっての身勝手な都合だけ・・・。
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