第3話

「あら、風羽ヒグラシがいないわ」


 と、炎羽アゲハがくるりと上向きのまつ毛をしばたたかせた。


「風羽ヒグラシ、あいつの歌を、そういえば、あのお方は気に入っていたな」


 土羽ウマオイはそう言って、辺りを見回した。


「風羽ヒグラシは居眠りのくせがある。どこかで寝過ごしているかもしれない」

「誰よりも遅く起きて、誰よりも早く眠るのにね」

「歌うためだけに起きているようなものだ」

「舞うためだけに起きている炎羽アゲハのようなものだ」

「奏でるためだけに起きている土羽ウマオイのようなものだ」

「語るためだけに起きている水羽カゲロウのようなものだ」


 いつしかお互いをからかう声が響きあい輪唱となって、森の子らは憎悪を忘れ、失望を打ち消され、楽しげな足取りで庭を飛び跳ねた。

 しかし、それも長くは続かなかった。


「あのお方は、今宵もわれらに命令をくだすだろう」

「われらは命令に束縛されるだろう」

「アロマ因子に満ちたヒトを授けてくださるならば、それもしかたない」

「われらが力を合わせれば、一人くらい手にはいりそうなものだ」

「そりゃ、はいるだろう。けれど、われらが力など合わせられると思うか」

「われら森の子はてんで勝手だからな」


 そこで、また、笑い声が広がった。


「一刻、いや、半刻だったら、だいじょうぶじゃないか」

「弱っているヒトなら半刻でもいけるかもしれない」

「もし手に入れたなら、誰が最初に恩恵を受ける?」

「そんなの決まっている、早いもの勝ちだ」

「厳正な審判を仰ぐべきではないか」


 けたたましい声での主張。


 われ先にと優位を述べる。


 ざわめき。


 いったい何を話しているのだろう、ノアにはよくわからないが、不安だけがつのる。


「争いになって、結局もとのもくあみになってしまう」

「だったら、オレがかけあってやってもいいぜ、ロータスに」


 突然声をかけてきたのは、ロータスの付き人のカストリウムだった。

 彼は半身を起こしておもしろそうにこちらを見ている。


「あのお方を呼び捨てになさるとは、ふとどきなやつだ」

「カストリウム、あのお方の付き人」

「自分を上等なやつだと思い違いをしているやからなど、信用できない」

「ヒトも信用できない、自分たちも気まぐれすぎて信用できない、でも、命令されるのはイヤだじゃ、どーしよーもないなー。オレはアシッドアンバーのおこぼれさえもらえれば、後は好きにやるのさ。おまえらをかたっぱしから琥珀で固めて、闇市で売りとばしたってかまわないんだぜ」


 暗く光る眼差しに、にやりとゆるむ口元。

 邪悪なものが意思を持ったかのような表情。

 森の子らは声をひそめてささやきあう。


「御奉公だもの。われらは、しょせん、あのお方に生かされてる存在。われらは潤い、あのお方も潤う。それでわれらもすんなりといく」

「でも、気は許せない」

「そりゃそうだ、なにせ、あのお方はヒトだから」

「そうだ、ヒトは信用できない」

「森の子であるわれらを、自分たちの意のままにできると、かんちがいしている」

「ヒトは、ヒトを裏切る」

「ましてや、ヒトでないものなど、ちりあくた以下だ」

「そうだ、ちりあくた以下だ」


 くり返される人間への呪いの言葉。

 森の子は、感情に流されやすい。

 心地よい感情がここにあれば、それが増幅して、彼らも落ち着くだろうに。


 ノアはため息をつく。

 ああ、でも、こんな風な気持ちの浮き沈みは、ノアにも経験があった。

 うわさ、それも、ろくでもないものほどオーバーなって、いくらでも広がっていく。

 そのうわさは、多くの人のエネルギーが上乗せされていくから、一人のエネルギーでは対抗できないほどの力を持ってしまう。

 そんな風なうわさをされたことが、ささいなことではあったけれど、いやな記憶としてノアに蘇る。

 今となっては遠い過去にしか思えないけれど、決して風化はしない、心の傷。







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