12
「誰に?」
静かに淳平が囁いた。俺は、首を横に振った。答えたくない。これ以上、自分の感情と向き合いたくない。壊れてしまう、と思った。母の顔が浮かんだ。黒いワンピースと、艶やかに整えられた長い髪、そして、ぐちゃぐちゃに潰れた顔。俺にとってあれが、人間が壊れたときの姿だった。だから、怖かったのだ。壊れることが、とても。
「……俺が、東京出てどっか田舎に就職するって言ったら、あんた、ついてくる?」
代わりに出てきた言葉には、自分でも驚いた。自分がそんなことを言うとは思っていなかったので。一人暮らしは16からだから慣れていたし、東京に強い執着があるわけでもない。ただ、東京を出たことがこれまでないというだけで、その気になればひとりでどこまででも行けると思っていた。
淳平も俺の急な発言に驚いたようで、数秒の間ができた。俺は、その間のあいだに淳平の腕をどけ、身体を起こした。
「……冗談だよ。」
淳平がどう答えても、自分は傷つくような気がした。そして俺は卑怯な人間なので、傷つくのは嫌なのだ。どこまで自分が耐えられるかもわからなくて。
「祐樹、」
「ごめん。帰るよ。」
「俺、」
「言わないで。」
なにも。
淳平は、硬く唇を結ぶと、俺の顔をじっと見た。俺は、そんな彼に笑いかけた、上手く笑えていればいいと思った。この部屋で、淳平の腕の中で、俺は壊れそうな自分をなんとか癒して、誤魔化し誤魔化しここまでやってきた。言葉に尽くせないくらいの感謝があった。それでも、彼を好きだと言えない自分がいた。男漁り用の、アプリさえ消せずに。
胸に、突き刺さっているからだと思う。あの日の姉が。あの、はじめの日、男に倦んだ娼婦みたいな目で俺を誘った姉が。
ごめん、ともう一度心から詫びた。淳平はなにも言わないで、俺が服を着るのを待ち、ベッドから身を起こすと、玄関まで送ってくれた。
いつでも、また来ていい。
そういう印だと分かっていた。優しい淳平が、黙って俺に示してくれる好意。それに慣れている自分に嫌気がさした。背後で扉が閉まる音は、しなかった。淳平が俺の背中を見送ってくれている。その事実は、確かに俺の力になった。怖くない、と思えた。
ジーンズのポケットからスマホを取り出し、姉に電話を掛ける。姉の夫が出るだろうか、と、ちらりと思ったけれど、それならそれで、姉に代わってもらえばいいと思い直した。
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