6
「おはよう、祐樹。」
リビングのドアが開き、姉がひょっこり顔を出す。寝乱れた髪に、パジャマ代わりの縒れたTシャツ。ごく当たり前の寝起きの姿。けれど、この家に嫁いでくるまで、ふたりで暮らしていた間は、姉は俺にこんな姿を見せはしなかった。
「朝ごはん、作るからね。」
「……うん。」
記憶の残滓を拭えないままの俺は、ぼんやりと姉を眺めながら、煙草を吸う。姉は、軽く眉をひそめた。
「煙草、またたくさん吸って。」
「……ごめん。」
「少し控えたほうがいいわ。」
「……うん。」
だからといって俺から煙草を取り上げたりはせず、姉はキッチンに引っ込んで行った。手慣れた動作で作るのは、トーストとベーコンエッグだろう。昔は、朝食は白米と味噌汁に決まっていたのだけれど。
「できたわ。食べてね。」
姉が、木製の盆に乗せた朝食を運んできて、リビングテーブルの上に並べる。俺は煙草の火を消し、大人しくテーブルに着いた。姉と向かい合っての食事が始まる。
「今日、学校は?」
「休み。」
「じゃあ、アルバイト?」
「うん。」
「なにも、問題はないのね?」
「うん。」
なにも、問題はない。俺の暮らしには、なんの波風もない。俺はなんとか姉に笑いかけると、食事を終え、立ち上がった。
「帰るよ。」
「もう?」
「うん。」
バイト、遅れるから、と、嘘をついた。今日のシフトは昼からだった。でも、これ以上、素顔の姉と顔を合わせていたいとは思えなくて。
「また、電話するわね。」
姉は俺を玄関まで見送りに来てそう微笑んだ。俺は黙って頷き、重い玄関の扉を開け、マンションの共用廊下へ出た。じゃあね、と手を振る姉に手を振りかえし、廊下を抜けてエレベーターに乗り、一階まで降りる。外に出ると、真夏の日差しが真っ白く降り注いでいた。
なにもかも冗談みたいだな、と思う。姉の家に泊まってきたことも、姉と抱き合っていたことも、もっとさかのぼって母親が死んだことも父親が蒸発したことも。全部全部冗談で、今ここにいる俺はほんの小さい子供で、なにもかもをもう一度やり直せるとか、そんなふうだったらいいのに。そんなふうだったら、今度こそ、足を踏み外さずにまともな人生を送れるかもしれないのに。
そんなことを思いながら駅までの徒歩5分をぼんやり歩き通し、電車に乗り込む。一人で住んでいるおんぼろアパートまでは、乗り換えを一度して30分くらいかかる。でも、今はあの家に帰る気になれなかった。姉の部屋も、あの黄ばんだ畳の部屋も封鎖して、今あのアパートは俺一人の気配だけれど、それでも。
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