豚、ナンパされる

 俺の名前はピグスという。歳は二十、俗に言う豚面である。ちなみに猪人オークではない。

 村では豚とからかわれ、時には家畜小屋に閉じ込められもしたことだってある。

 けれど両親の温かい愛を受け、健やかに育ち、十三の頃に村を旅立ってからは流れの冒険者として営みを送っている。

 使う得物は剣。背は伸びたが横幅が減ることはなく、どれほど鍛えようと丸みが削れることもなく、私腹を肥やした貴族のように肉の塊。故に付いた通り名も容姿の如く『豚紳士ピグトル』である。

 

 さて、俺のことはそれぐらいにしておこう。

 助けた女にすら怯えられる豚の過去などに価値はない。取るに足らない自語りなど、酒の肴にする時だけで十分だ。

 

『ふくよかで腕の立つ冒険者様を捜しています。名前は不明です。存じ上げている方がいれば、情報提供をお願いいたします。サザンカエル国第三王女、ヘルナ・サザンカエル』


 まじまじと眺めてしまっていたのは、ギルド支部内に貼られた、粗い一枚に描かれた一人の男。

 それは半年ほど前から貼られている、この国の王女様から公布された人相書きである。

 決して手配書ではないのだが、どうにもお尋ね者の指名手配としか思えないその一枚。

 しかし前から思っていたが、生け捕りのみとは珍しい。王女に直接指差された捜し人にしては高待遇、果たして余程の聖人か悪人か。

 だがまあ悪くない面持ちだ。小太りと称されながら、顔面は不釣り合いな程度に美男子ではないか。

 もう少し俺が男前であれば、この色男に立候補する一人になっても良かったのだかな。……ふふっ、残念だ。


「よお豚野郎! そんなに熱心に眺めちまって、さては観念して出頭かい?」

「馬鹿を言うなラッツ。俺を指すのであれば、もう少しこの鼻を真似てほしいものだ」

「……確かに! こんな美男子とは似ても似つかねえ豚っ鼻だわな!」


 けらけらと下品に笑いながら、酒瓶片手に肩に回してきた男。

 酒に染まった口臭を不快に思いながら、たぽたぽと俺の柔らかい頬を叩いてきたその男を雑に振り放す。


「いってぇ……。相変わらず手厳しいなぁピグスぅ?」

「臭い口で絡んできたのが悪い。不満であれば少しは気にして欲しいものだ」


 大げさに地面へ転がりながら、それでも酒瓶だけは死守する茶髪の男。

 名前はラッツ。この街で知り合った同業者で、良くも悪くもこの街で名の知られた冒険者である。

 こんなのでもこのグルングルの街では腕が立つ部類だというのだから、やはり冒険者というのは荒くれ共の行き着く先で間違いないのだろう。

 まあ自分もその末端に所属している身として大きな口は叩けまい。所詮は同じ穴の狢というやつだ。


「うっぷ、あー美味え。やっぱこれがなきゃやってられねえ……」

「……飲むのは勝手だが、この前は娼館でも出禁を食らったらしいじゃないか。そろそろギルドからも注意だけじゃ済まないんじゃないか?」

「まあそん時はそん時さ。……そうだな、そうなったらどっかで農業でも勤しもうかねぇ!」


 或いは酒屋ででも雇ってもらおうかと。

 一席にどさりと掛け、一層下品に噴き出しながら、我が物顔で俺を手招きしてくるラッツ。

 通りがかるギルド職員の不快そうな表情。……こいつそろそろ、本当に出禁の食い扶持無しになるだろうな。


「なあ知ってるか豚野郎? あんな紙切れが掲示されてから王城は少し混乱しているらしいぜ。愛らしき第三王女様の御執心、それはまさにご乱心ってな!!」

「知らんよ。日銭を稼ぐ場末の冒険者風情の耳に、煌びやかな王女の都合など届きはしないだろう」

「違えねえ! お上の金より目先の銅と酒ってな! ごろつきにはそれがお似合いよっ!」


 ばんばんとテーブルを叩きながら、一層強く下品に叫ぶラッツ。

 迷惑にもほどがある。今日は一層酔いが酷い、さては一夜まるまる飲んでいたのだろう。


「しっかしお前も物好きだよなぁ! 通り名っつう大層なもんが豚野郎ピッグ! 名前と身体と同じく尻まで汚い家畜だぜ? 俺だったら恥ずかしくって外なんざ歩けたもんじゃねえ!」

「家畜で結構。この国で、この街で、豚を家畜と呼べているのは実り豊かな証拠。人々の平和と安寧の礎である生き物に、俺は常に敬意を抱いている」

「……けっ、やっぱり性根まで豚野郎だぜ。似合ってねえ、透かした態度取りやがってよぉ」


 俺の態度がつまらないと、不満げな顔で酒瓶へと口を付けるラッツ。

 豚で結構。朝から晩まで酒に溺れる人よりかは、ぶーぶー鳴いて仕事をしていたい。それこそが、一日の締めを美味い飯と酒を彩ってくれるのだ。

 しかしやはりだる絡み、これ以上時間の無駄。これ以上は不毛だろうし、とっとと仕事先へ向かうとしよう。

 

「お、お仕事かぁ? 豚野郎は勤勉だねぇ!」

「そうだとも。お前も精々野垂れ死なないよう努力しろよ。金を貸す気はないからな」


 明日には冒険者でなくなっているかもしれない、哀れな酔っ払いに背を向けて。

 冒険者ギルドを出た俺は、門を目指してずかずかと幅を取りながら街中を歩いていく。


 サザンカエル国、五大都市の一つであるグルングルの街。

 荒れ地と鉱山と囲まれた石の街。多少は野蛮だが、それでも活気溢れた自由と力と鉄の街。名産の豚の料理も美味ばかりの街。

 立ち寄ったのは偶然だが、存外に居心地が良く、滞在し始めてからもう一年が経とうしている。

 酒も肉も美味く依頼も事欠かない。まさに冒険者にとって理想の一つであろう。

 

「おう豚の旦那! 今日は買っていかないのかい?」

「ああ。では一本頼む。外へ出る前に精を付けたいからな」

「あいよ! 毎度あり!」


 道すがら、声を掛けてきた馴染みの屋台の店主に声を掛けられて。

 香ばしいタレの香りとその元気に釣られてしまい、日課の如く串焼きを一本買ってかぶりつく。

 口の中に広がるタレと豚の厚い旨味。特製ダレと肉汁と熱の調和が俺の舌を歓喜で満たしてくれる。

 この一年様々な店を回ったが、やはりこれが断トツで舌に合っている。自省せねば毎日でも食べてしまいそうで、共食いと揶揄されても仕方の無いことだ。

 これが朝でないのならエールでも呷りたかったが残念ながらそうもいかない。……ふふっ、あの酔いどれラッツに何かを言えた口ではないな。


「はふはふっ……ふうっ、ぶふっ」


 熱さを乗り越え食べ終えて、満たされた気持ちに成りながら串をゴミ箱に捨てて歩を再開する。

 この串焼きを食べてしまえば最早無敵。今日という一日に死角はなく、ぶひぶひと薬草採収を果たせるだろう。


「……ん?」


 そうしてしばらく歩き、街の正門──巨人すら阻む大鉄門が見えてきた頃。

 門の前方にいつもより人の密集が多いのを目にした俺は、つい小さく首を傾げてしまう。


「何事か?」

「ん? おお、豚紳士ピグトル! 喧嘩だとよ喧嘩っ! タイランと女の殴り合い! 女の方が喧嘩を売ったんだぜ!」


 手近にいた冒険者に声を掛けてみれば、何でも喧嘩が起きているらしい。

 確かにグルングルで喧嘩は珍しくない。荒くれ共が多いのもあり、多少のいざこざは一般町民でも比較的慣れてはいると思う。

 殴り合いまで行けば余所にも迷惑が掛かるし、そこまで行けば警備隊も動いて両方捕縛されるのも時間の問題ではある。だからまあ、放置しておいても問題があるわけではない。

 しかし男の方──タイランはこの街でも腕利きの巨漢だ。ラッツ同様に荒い男ではあるが腕は確か。岩すら砕く斧を振るう怪力を前に、並の相手では容易く大怪我に繋がってしまうだろう。

 

「お、何だ? あんたも賭けてくるかい?」

「馬鹿を言え。くだらん賭けは不成立だ」

 

 馬鹿な提案をしてくる男を、そして人混みを押しのけ前へと進んでいく。

 くだらない喧嘩の仲裁し、依頼のために街を出る。

 賭けをしている野次馬共には恨まれるだろうが、そんなの俺の知ったことではない。どうせ警備隊が来るまでに不成立なのだから、それが少し早まっただけだ。


「……ほう」


 そうして掻き分け、ぽっかり空いた穴の中で戦う二人を目撃し、少しばかり感心してしまう。

 予想とは違い、タイランの太く荒い拳の応酬を華麗に、後ろに纏めたを靡かせながら踊るように回避している一人の少女。

 腰には細長い刀身の得物。形状から刺剣か細剣の類、装飾からして相当に金の掛かっている品であろう。

 普通の冒険者はあんな見るからに高そうな装備は持たないし持てない。恐らく世間を知らないお偉いさん……貴族か、或いはそれを身につけるに足る実力の持ち主か。


「く、くそぉ……」

「どうしました? それではわたしを守れませんよ?」


 足を止め、相手を睨み付けながら息を整えるタイラン。

 感心すべきは乱れることなく、肩を弾ませることもなく少女の呼吸か。

 一目瞭然なほど疲弊しているタイランとは違い、まだまだ余裕が窺える黄金髪の少女。

 中々に強いな。タイラン相手にあそこまで立ち回れるのであれば上々だろう。

 しかしいけない。その勝ち誇ったような挑発は。この街の連中に、血気盛んな荒くればかりな冒険者にその態度は、思わぬしっぺ返しを食らうだろう──。


「こ、このガキぃ……!! ぶっ殺してやる……!!」


 怒りを込めたかのように、両の拳を赤き揺らめきで染めるタイラン。

 魔力の解放。純粋な強化。少女がどれほどの実力でも、その先はもう喧嘩では済まなくなる力。

 


「それまでだ。双方、剣と戦意を収めてくれ」



 だから声を上げ、軽く跳躍し、どしんと音を立てて彼らの合間へと割り込む。

 向かい合うはタイラン。背にするは黄金髪の少女。先に止めるべきは、当然タイランだ。


「邪魔すんじゃねえぞ豚野郎ッ!! その女の肩持つってならまずお前から殺すぞッ!!」

「そうはいかん。事情は知らんが、これ以上は回りの迷惑だ。俺の顔を立てて、どうかこの場は収めてくれ」


 出来なければと、タイラン同様拳に魔力を集めながら問うてみる。

 タイランは荒っぽい男だが馬鹿ではない。ここまですれば、多少は頭から血も引くだろう。

 だが落ち着く様子はなく、なおも怒りの染まった瞳を向けてくるタイラン。

 ……この少女は何を言ってここまで怒らせたのか。仕方ない、多少は強く押さえるしかないか。


「冒険者殿、失礼した! わたしの言葉が悪かった! 謝罪します!」


 戦闘は避けられないかと、怒れる巨体を前にそう覚悟したまさにその時だった。

 不意に背後から黄金髪の少女が前に出て、タイランへ謝罪しながら勢いよく頭を下げる。

 その謝罪をきっかけに空気が弛緩していく。少なくとも、これ以上の戦闘はそれこそ無粋であろう程度には。


「……だそうだ。そこまで子供ではないだろう、タイラン」

「……ちっ」


 大きく舌を打ち、苛つきながらもこの場から去っていくタイラン。

 それをきっかけに散っていく人の中で、どうにか被害なく片付いたことに一安心と息を吐く。

 

「あ、ありがとうございました! おかげでどうにか穏便に済みました!」

「……無事で何より。どんなきっかけは知らないが、君も軽率な発現は慎むように」


 両者の言動を鑑みるに、どちらにも非がある喧嘩だったのだろう。

 だから黄金髪の少女へ一言、少し厳しく注意してから彼女へ背を向け、門への道のりを再開する。

 これ以上の面倒はごめんだ。俺にも予定がある。早々に薬草採取へと向かいたいのだ。

 

「あ、あの! 私のことを覚えていますか!?」

「知らないな。そのように艶やかな金の髪の少女など。男を誘うのであれば、丸々とした豚ではなく人を選ぶといい。ではな」

「え、ええっ!?」


 去り際に、そんなことを訊いてきた黄金髪の少女。

 考えることもなく、可憐な少女覚えはないと即答してそのまま門へと進んでいく。

 別に嘘ではない。冒険者を始めてから、このように可憐な少女が見たことがない。それだけだ。

 

 それにしても、黄金の髪に琥珀色の瞳か。まるで噂に聞いた、サザンカエルの王族の特徴ではないか。

 ……ふっ、まさかな。そんなはずはあるまい。仮にそうだとして、護衛もなしにこんな荒っぽい街まで来るまいよ。

 しかしあんなに女性の顔が近かったのは久しぶりだ。……びっくりしてしまった、ぶふっ。

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