第2話

 で、冒頭に戻るが、僕は次の勤務帯の店員仲間に引継ぎを終え、一階の倉庫のちょっとした整理を頼まれていたのだが、そこで何やら見ていると落ち着かない、ざわざわした気分にさせられる妙な戸板を発見したのだ。


 開けてみようか? いかにも秘密めいたその戸板は、誘いかけるように静まっている。


 古い、貴重なマンガでも収納しているのかもしれない。


 誰もいない倉庫は俄かに犯罪現場のような緊張を帯びてきた。というと言い過ぎか。


 タイムカードはもう押している。そう、サービス残業なのだ。


 五、六分で済んでしまう慣習のようになっているもので、今のところ特に不満はないのだがモヤモヤはある。そういう気分も余計なことをしてみようかという僕のこの衝動に拍車をかけていた。


 周囲に視線をやり、そっと耳を澄ませてみる。人の気配はない。


 僕はそっと床の戸に近づいて、古い前世紀の遺物のような取っ手に手を伸ばした。


 少し開けて中を見てみるだけだ。中に入るつもりはない。どうせ大したものは入っていまい……。


「あらあ」


 牧歌的な掛け声と共に床の戸がパカっと開いた。


「人が居るとは思わなかった」

 素の声もキーが高い。声のイメージの通りの柔和な面持ち。


「じょ、女性かと思いました」


「良く言われるんだよねえ」


 良く言われるとはいうが、見た目の話ではないだろう。歳の頃は若そうだが頭髪の額から頂にかけてだいぶ薄くなっており、身体は丸々と健康的に太っている。


 ただ頭以外、黒々とした部分は多く眉毛も髭も濃い(髭は一応剃ってはいたが)。


 総体に毛量の多い福助か、無精な大国様といった風情の人だ。まぁ間違っても女性には見えない。


「君は……店員さんかなあ?」


 そうですね、と答えながら僕は内心、なにかピリピリしたものを感じていた。目の前の人物はニコニコしているが、何か油断ならない感じがする。


「ああ、そうなんだ。じゃあしょうがないね。あの、聞いてないのならしょうがないけど、ここは開けないでくれる? 業務に使う物は入ってないから」


「いえ、あの、あなたはどなたです?」


 スタスタと歩き去ってしまおうとする若ハゲの人物に、僕は辛うじてこれだけの問いを投げかけた。


「僕? 僕は紀見屋仙一だけど……え? 知らなかった?」


 なんと! 紀見屋はここのオーナーの姓だったはず。会ったことはないが、非常にワンマンでクセの強い人物らしい。


 ただ、目の前の彼とは歳が合わない。


「ああ、息子。子供だよ。オーナー紀見屋幸一の息子。ちょっと手伝いみたいなことしてるんだ」


 僕がまごついているのを見て、向こうから言ってくれた。羽虫の飛び込みそうな大口を開けて笑っている。


 何か空虚なものを感じさせる笑顔だったが、悪い人物ではなさそうだ。


 その後、ちょっと無駄話をして仙一氏は去って行った。僕より一回りくらい上の年齢に見えたが、実際はわからない。


 エネルギッシュな雰囲気は若そうな印象だし、あの妙に落ち着いた態度には老成を感じさせる。


 どうも若ハゲが年齢不詳を加速させている気がする。


 次の出勤日の時、僕は棚の紙差しを引っ張り出して、最初の研修以来見たことがない会社の組織図を確認してみた。


 〝紀見屋仙一〟。ある。以前は店内のどこかにでも貼り出していたのだろう、電灯に焼けた古く黄ばんだ紙の、比較的上の方に名前があった。


 命令系統の上の方である。肩書には〝取締役〟とあった。


 今もこの通りかどうかはわからないが、降格はしていないだろうという気はする。


 どうだろう? 仲良くしておいた方がいいのだろうか? 


 少なくとも機嫌は損ねないほうが良さそうだ。僕は文字の掠れかかった組織図をそっと棚に戻した。

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