1-6 魔法の訓練

朝日が昇る頃、エリーナは静かに屋敷の裏門から忍び込んだ。幸い、誰にも気づかれずに自室に戻ることができた。昨日の疲れが体中に残っていたが、心は不思議なほど軽やかだった。


「エリーナ!!」


1日を乗り切る体力を取り戻すため、自室でしばしの休憩を取っていると、突然の大声にビクリと大きく体を揺らして目を覚ました。


「昨日は仕事をさぼってどこに行っていたの!?」


よほど頭に来ているのか、早朝からカタリナが部屋まで怒鳴りこんで来ていた。


「えっと⋯⋯あの、昨日は、体調を崩して⋯⋯休んでおりました」


「嘘をつきなさい!! 部屋まで見に来たけれど、昨日は居なかったわ!」


「あの⋯⋯ここではなく、えっと⋯⋯リネン室で動けなくなって横になっておりました」


カタリナはエリーナのその言葉に一瞬鼻白んで言葉を飲み込んだ。納得いっていないような表情を浮かべながらも、冷静さを取り繕うようにカタリナが言った。


「そう⋯⋯今日は昨日の分もちゃんとやるのよ」


そういうとカタリナは冷たい目でエリーナを一瞥し、部屋から出て行った。


「今日も頑張ろう」


エリーナは小さく呟き、日課の家事に取り掛かるため素早く身づくろいをして、部屋から出た。


朝食の準備、掃除、洗濯⋯⋯。これらの仕事は今までと変わらなかったが、彼女の心持ちは昨日から大きく変わっていた。


昼過ぎ、庭の手入れをしていると、兄のヴィクターが近づいてきた。


「おい、使用人。昨日、どこにいってた?」


エリーナは一瞬凍りついた。


「え⋯⋯私は⋯⋯リネン室で休んでいました」


「嘘をつくな。お前が昨日、森に向かって歩いていくのを見たぞ」


ヴィクターの目は冷たく、エリーナを見下ろしていた。


「あの、私は⋯⋯」


「父上に言いつけてやろうか?」


その言葉に、エリーナは必死で頭を下げた。


「お願いします。そんなことはしないでください」


「まぁいいさ。どこに行ってたか知らないが、大方仕事が嫌になってサボってたんだろ。お前のような下賤な者を家に住まわしてやってるだけで感謝してほしいくらいだ」


エリーナを困らせるためだけに言いに来たようで、そう言うと彼は去っていった。


(バレないように気をつけないと⋯⋯)


***


宵の口、家の用事を全てすまし、自室に戻ったように見せかけてエリーナは森の中にやってきた。

昨日リュシアンと出会った場所だ。心臓が高鳴り、手のひらには冷や汗が滲んでいる。


(本当に来てくれるかしら⋯⋯)


不安な思いが胸を締め付ける。今までの人生で、約束を守ってくれた人などいなかった。エリーナは幾度となく裏切られ、失望してきた。


そんな彼女の耳に、枯れ葉を踏む音が聞こえてきた。


「やあ、エリーナ。待たせてすまない」


リュシアンの声だった。エリーナは安堵のため息をつくと同時に、喜びで胸がいっぱいになった。


「リュシアンさん! 来てくださったんですね」


彼女の声には、驚きと喜びが混ざっていた。リュシアンは優しく微笑んだ。


「約束したことは必ず守る。それが騎士の誓いだ」


その言葉に、エリーナの目に涙が浮かんだ。信頼できる人に出会えた喜びが、彼女の心を温かく包み込む。


「さて、今日から君の魔法の訓練を始めよう」


リュシアンは真剣な表情で言った。


「まずは基本から。魔力の制御だ」


エリーナは緊張しながらも、頷いた。


「はい、頑張ります!」


リュシアンは地面に小さな円を描いた。


「この円の中に、魔力を集中させてみろ。できるだけ細く、強く」


エリーナは深呼吸をし、手のひらを円の上に翳した。魔力が指先からじわじわと溢れ出す。しかし、うまく制御できず、魔力は円からはみ出してしまう。


「うぅ⋯⋯難しい⋯⋯」


エリーナは顔をしかめた。リュシアンは優しく微笑む。


「焦るな。ゆっくりでいい。呼吸を整えて、魔力の流れをイメージするんだ」


エリーナは目を閉じ、深く呼吸をした。魔力の流れを感じ取り、それを細い糸のように想像する。少しずつ、魔力が円の中に集中していく。


「よし、その調子だ!」


リュシアンの励ましの声に、エリーナは目を開けた。薄い青白い光が、円の中で揺らめいている。


「わぁ⋯⋯できた⋯⋯」


エリーナの目が輝いた。初めての訓練の成功に、胸が高鳴る。


「素晴らしい。もともと君の魔力制御はずば抜けていたが、初めててこれほどとは」


リュシアンは満足げに頷いた。


「君には確かな才能がある。これからもっと磨いていこう」


その言葉に、エリーナの心は希望で満たされた。今まで誰にも認められなかった彼女の才能を、リュシアンは真剣に評価してくれている。


「リュシアンさん⋯⋯ありがとうございます」


エリーナの声は感謝の気持ちで震えていた。リュシアンは優しく彼女の頭を撫でた。


「さあ、次は魔力の形を変える練習をしよう。光の玉を作れるか?」


エリーナは小さく頷き、手のひらを上に向けた。集中すると、小さな光の玉が浮かび上がる。


「その玉を、少しずつ大きくしてみろ」


リュシアンの指示に従い、エリーナは魔力を注ぎ込んでいく。光の玉は徐々に大きくなっていった。


「すごい! エリーナ、君の制御力は本当に驚くべきものがある」


リュシアンの賛辞に、エリーナは頬を赤らめた。


「で、でも、まだまだです⋯⋯」


「いや、本当に素晴らしいんだ。これだけの才能があれば、きっと魔法学院にも⋯⋯」


その言葉に、エリーナの表情が曇った。


「でも⋯⋯父は絶対に許してくれません」


リュシアンは真剣な眼差しでエリーナを見つめた。


「エリーナ、君の人生だ。自分の道は自分で決める権利がある」


その言葉が、エリーナの心に深く響いた。今まで、自分で何かを決める機会など一度もなかった。


「私にも⋯⋯決める権利が⋯⋯」


エリーナは小さく呟いた。リュシアンは優しく頷く。


「ああ、そうだ。君には無限の可能性がある。それを閉ざすのは愚かなことだ」


エリーナの目に、決意の光が宿った。


「リュシアンさん、私⋯⋯魔法学院に行きたいです」


その言葉に、リュシアンは満足げに微笑んだ。


「よし、その意志があれば必ず道は開ける。俺が全力でサポートする」


エリーナの胸に、温かな希望が広がっていく。今まで閉ざされていた未来が、少しずつ開かれていくようだった。


「さあ、もう一度魔力の制御をやってみよう。今度は、光の形を変えてみるんだ」


リュシアンの指導の下、エリーナは夢中で魔法の練習に励んだ。時間が過ぎるのも忘れ、彼女は魔力を操り、様々な形を作り出していく。


星空が広がる頃、ようやく二人は練習を終えた。エリーナは疲れきっていたが、その目は満足感で輝いていた。


「今日はここまでにしよう。よく頑張ったぞ、エリーナ」


リュシアンの言葉に、エリーナは嬉しそうに頷いた。


「ありがとうございます、リュシアンさん。本当に楽しかったです」


「明日も来られるか?」


「はい! 必ず来ます!」


エリーナの声には、強い決意が込められていた。リュシアンは満足げに頷いた。


「よし、では明日に。屋敷が見えるところまで送ろう。気をつけて帰るんだぞ」


家に帰る道すがら、エリーナの心は希望で満ちていた。厳しい現実が待っているのは分かっている。しかし、もう彼女は一人ではない。

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