第3幕 ヴァレッタに行きました

「ひいっ! ひいっ! ちょっと待ってくれ! 少し休ませてくれ!」

「もうすぐ着く。あとひと踏ん張りだ、頑張れ」


 畜生! 何でこんなに体力が無いんだ!

 絶対地球でニートしてただろ!


「お前に魔力があれば飛行魔法で飛んで行けたんだけどなあ」


 俺のスタミナ切れにより何度か休憩を挟んだせいで、昼に出かけたはずなのにもうすぐ日が暮れる。

 もう少しでエルフに会えるという希望を活力に変え、俺は重い足を引きずった。

 オベイの家から北東に十五キロほど。

 この世界で最大規模の国土と人口を持つヴァレッタ王国。

 地球では空想上の存在だったエルフやドワーフ、獣人族なども多数居住しているらしい。

 霧でかすむ視界の奥に、うっすらと石壁が見えた。


「見えてきたな。あれがヴァレッタを囲む外壁だ」


「随分高いな。上の方が見えないぞ」


「鳥の魔物に入って来られないようにするためさ」


 俺はヴァレッタに入るために検問の列に並ぼうとしたが、オベイに引き留められる。

 ここで待っていろと言われたので待っていると、オベイは検問をしている兵士の中で、一際装備が豪華で強そうな奴に話しかけに行った。

 遠くでよく見えないが、なにやら兵士の方がペコペコしている気がする。

 あ、こっち向いた。

 その後も少し話をしていたようだが、暫くしてオベイが戻ってきた。


「よし、許可もらったから入ろうぜ」


 あの兵士がやたら頭を下げていたし、顔パスで連れの俺ごと国の中に入れたし、こいつは一体何者なんだろうか。

 なんて思いながら、俺は期待に胸をおどらせ門をくぐった。

 目の前に広がってきたのは、中世ヨーロッパのような古風な街並み。

 明るい色のレンガの屋根が目を引く、石造りの建物がズラリと並んでいる。


「あらアンタ、見ない容姿だね。外の人かい?」


 異世界の街の雰囲気を堪能していると、手押し車を押していた女性が話しかけてきた。

 黒髪黒目はこの世界ではやはり珍しいのか、一瞬でヴァレッタの人間ではないことがバレる。


「ヴァレッタ名物、ヴァレッタ饅頭。美味しいから買っていきな、特別に安くするよ!」


 門の前を見張って、こうやって外から来た人に商品を売っているのだろう。


「二つもらおう」


 オベイがふところから小銭を取り出し手渡す。


「毎度あり!」


「ほら、食ってみろ。美味いぞ」


 俺は手渡された饅頭をかじる。

 肉汁が口いっぱいに広がり、中の具のいい匂いが鼻腔をくすぐる。

 なんだこれ、超美味い!

 表情が顔に出ていたのか、俺の顔を見たオベイがニヤニヤしながら。


「まだまだ美味い物はたくさんあるぞ。せっかくだ、色々見て回るか」


 それから俺はオベイに連れられてヴァレッタを観光した。

 飲食店や魔道具店、ちょっぴり大人な店など。

 五時間ほど観光したが、初めて来た俺よりも、オベイのテンションの方が終始高かった。

 こいつ、この国の事好き過ぎないか?


「そろそろ泊まる宿を探すか」


「そうだな」


 色々見て回ったはずなのに、最後に入ったエルフのお店のことで頭がいっぱいだ。

 今なら死んでも悔いはない。


「そういえばオベイの用事ってなんだ?」


「ちょっと野暮用がな。明日にでも済ませてくるさ」


 ……それにしても治安良いな。

 魔物に追い詰められている世界だし、貧困問題だとか食糧問題だとか、最悪の場合、喧嘩や盗難事件で溢れている可能性もあるなどと勝手な偏見を抱いていたのだが、そんなことは全く無かった。


「なあ、本当にこの世界って魔物に追い詰められているのか?」


「何だ急に。今の情勢を一言で表すなら、かなり劣勢だな」


「この国を見ていると、危機感とか一切感じられないんだが」


 危機感どころか、安心感と居心地の良さで溢れている。

 平和の具現化だと言っても過言じゃない。


「この国の国王が優秀なんだ。実際この国は十数年前のあの事件以来、一度も侵攻を許してない。それどころか兵力も財力も増加の一途を辿っている。内政だけじゃないぞ。外交も、ガーナピット以外とは上手くいっているようだ」


 誇らしそうに語るオベイ。

 オベイが今までで一番生き生きしている気がする。

 早口で喋るし、なんか日本のオタクみたいだ。


「今は厳しい状況だが、この調子で行けば人間側が優勢になる日も来るだろう。また人間同士で潰し合う様な馬鹿な事が無ければな」


 人類が滅亡したらあのエルフのお店も無くなってしまうということだ。


「……人類は俺が守る」


「ん? どうしたんだ急に。お前はまず自分の身を守れる様にしないとな」


 ……言ってみたかっただけです。

 イメージするのは得意なんだけどなぁ。

 前世では厨二病をこじらせて日々妄想を巡らせていたに違いない。


「……術式解析、頑張るかあ」


「そうだな」


 ◆


「疲れたぁぁ!」


 部屋に入るなり、ふかふかそうなベットが視界に入った俺は、思わずダイブした。

 柔らかく心地のいい弾力が俺の全身を包み込む。

 部屋の中の装飾も豪華だし、結構高級な宿だと推測できる。


「明日はどうする? まだ行ってみたい場所とかあるか?」


「んー、ケモミ……獣人の少女達がおもてなししてくれて、膝枕とか添い寝してくれる店に行きたい」


「何だその存在そのものがアウトな店は。あるわけないだろ」


「じゃあもう一度エルフがたくさんいた店に行きたい」


 細身で色白、尖った耳、気高く凛とした立ち振る舞い。

 まさに美しさの権化。

 普通の人間には出せない独特な魅力に、俺の心はあっという間にとりこになった。


「まあ確かに綺麗だとは思うが、そこまでハマるとはな。あそこの姉ちゃん達、損得勘定を常に考えながら行動している感じがして、俺は少し落ち着かなかったぞ」


「そりゃあ客商売なんだから人の顔色も伺うし、足元も見るだろうさ」


 相手が打算的な女達だと分かっていても通ってしまう。

 圧倒的な魅力には勝てない。

 大抵の男なんて所詮そんなもんだ!(※個人の見解です)


「お前、やっぱり少し変わってるな。ロリコンだし」


「ちょっと待て。俺はロリコンじゃないしまともだ」


 俺は断じてロリコンではない。

 少女を可愛いと思うはことあるが性的対象として見てはいないからな。

 ケモミミに関しては皆好きだろ。(※個人の見解です)

 嫌いな奴がいるなら見て見たいくらいだ。


「まともな奴は虚無的な笑みを浮かべながらやばい二択の花占いなんかやらないぞ」


「あれは状況的に精神が参っていたんだから仕方ないだろ! というかお前だって熟女趣味じゃねえか!」


「別に熟女趣味というわけではない! あいつが魅力的な女性すぎるだけだ!」


「合ってるじゃん」


 熟女を見て魅力的に思ったということは、熟女趣味だって自白している様なものじゃないか。


「ふん、お前も当人に会えば良さが分かるだろうさ」


 釈然としない表情を浮かべながら、オベイは仰向けにベットに倒れ込んだ。


「まあお前は恋愛に縁が無さそうだしな」


「よーしお前、なにが根拠でそう思ったのか教えてもらおうか」


「店に入ってからしばらく挙動不審だった上、話しかけられるたび視線を反らしていた。お前が女に耐性が無いことなんて、ひと目見れば誰でも分かる」


「……今度から気をつけます」


 あのエルフ達やその場にいた他の客は、今日の俺の姿を見て裏で笑っていたのだろうか。

 想像したら恥ずかしさが込み上げてきた。


「まあ俺らくらいの歳ならそれくらいの反応が普通さ」


「お前は歳の割に達観しすぎだろ」


 まあオベイはイケメンだし、そこらへん経験豊富なんだろう。

 店でもオベイの周りの方が女の人が多かった気がするし。

 なんか悔しくなってきた。


「何だ、俺の顔をジロジロ見て」


「なんか残念な奴だなって思って」


「誰の顔が残念だ」


 いや、せっかく顔が良いのに熟女趣味な所とかが。


「まあとりあえず寝るか! 明日の観光も楽しみだな!」


「ちょっと待て! さっきおかしな奴扱いをされたことを根に持っているのか?それは悪かったが、流石に容姿の否定は傷つくというか… 」

「ちげーよ! お前の容姿を否定できる権利、俺にはねえよ! それに俺はおかしい奴じゃ無いし根にも持ってない!」


 ならどうして急に? と呟きながら首を傾げるオベイ。

 やっぱりこいつ、少し変わってるな。

 そう思いながら俺は布団に潜り、重い瞼を閉じた。

 

 ◆


 次の日の朝、俺が起きるとオベイの姿が見えなかった。

 机の上に書き置きが残っていたので読んでみると、用事とやらを済ませに行ったらしい。

 それほど時間がかかる事でも無いらしいし、チェックアウトまでの時間にも余裕がある。

 俺はここでのんびり待つ事にした。


 そういえば俺も異世界に来てから結構経った。

 以前は少量の水を出しただけで魔力欠乏症になったが、今なら少しは成長しているかもしれない。

 術式もたくさん解析したしな、構築に関しては全く理解できていないが。


 水ではなく術式でイメージ……。

 確か水の術式は……手のひらから出す……勢いはいらない……。

 これでどうだ!

 ……すると、手のひらから異臭を放つ液体が出てきた。


「何だこれ! ネバネバするし変な匂いするし、なんか目眩がしてきた… 」


 水ですらない何かを少量出しただけで魔力が尽きた。

 大失敗だ。


 全く同じ二つの魔法でも、術式にすると全く同じなんて事は滅多に無い。

 おそらくだが、その場の風速や明るさ、湿度や大気中の各物質の含有率

 など、些細な違いで術式の構造は大きく変わる。

 もしかしたら、人間には測定不能な何かが要因かもしれない。

 それらを完璧に把握して、完璧な術式を組み立てれば消費魔力無しで魔法が使えるのかもしれないが、正直無理ゲーだ。

 だが、完璧とは言わずとも、今の俺の魔力量でもそこそこの魔法が打てるくらいにはなりたい。


「やばい、掃除しなくちゃいけないのに動けねえ……」


 机の上と床がびしょ濡れだ。

 拭こうにも魔力欠乏の影響で強い倦怠感が身体中を襲う。

 少し休んでからにしよう。

 ガチャリとドアが開けられた音がした。


「お、もう起きてたのかコリン……何だこの匂いは⁈」


 異臭がする机の上を見た後、疲弊しきった状態でベットに寝っ転がる俺も見るオベイ。

 そして何を思ったのかそっとドアを閉めようと……。


「おいちょっと待て、なんだそのぎこちない反応は。何か勘違いしてないか?!」


「いや、まあ確かにな。俺の配慮が足りなかった、また三十分ほど出掛けてくるから……」


「妙な気遣いしてんじゃねえよ! 何勘違いしてんだよ! これは魔法を使ったら出てきただけだ!」


「分かっている、とりあえず出掛けてくる」


「ちょっと待て、何も分かってない! よく見ろ! お前の思っているようなものじゃない!」


 頑なに出掛けようとするオベイに対し、上手く動けない俺は必死に声を上げ弁明する。


「いや、異世界人だから体内で生成される物質が違う可能性が……」


「こんな異臭のする透明でネバネバな体液分泌しねえよ! エイリアンじゃあるまいし!」


「……俺から見たらお前はエイリアンだろ」


「……確かに」


 その後も必死に弁明し、俺はなんとかオベイの誤解を解いた。


 ◆


「結局この液体は何だ? どう術式を組み立てたらこんな得体の知れない液体が出てくるんだ」


「変なにおいもするし……。毒とかじゃないよなこれ」


 恐る恐る触ってみると、熱した冷えピタの表面のような感覚が指先から伝わってくる。

 本当になんだこれ。


「おいおいちょっと待て、もしかしてこれ、焼けたスライムじゃないか?」


「は? スライム? あのベタベタするおもちゃか?」


「地球のスライムはおもちゃなのか……。違う。この世界のスライムは、透明でひたすら草を食って分裂している半液体状のモンスターだ」


 ああ、モンスターの方か。

 だがなんで俺の手から焼けたスライムが?


「多分スライムの召喚魔法と炎魔法を同時に発動したとかだな。お前の魔力量じゃ完全に発動しきれず、スライムの一部が過熱されて出てきたんだろう」


「何それ気持ち悪い」


 何で水魔法が炎と召喚魔法になるんだ。

 訳が分からないよ。

 そのうちダークマターとか生み出さないだろうか。


「オベイはどれくらい術式を使いこなせるんだ? 俺が来る前から一人で解析してたんだろ?」


「単純な水魔法程度なら本来の三分の一くらいの魔力量で出せるな。もちろん失敗してスライムが出てきたりはしないぞ」


 ニヤニヤしながらさりげなく煽ってくるオベイ。

 こいつ、スライム風呂に沈めてやろうか。


「まあこればっかりはトライアンドエラーの繰り返しだ。でもお前、魔力が少ないからすぐバテるしなあ……」


「そんな憐れんだ目で俺を見るなよ」


 チート能力が貰えてればなあ……。

 チート無双をする自分を妄想しながら、俺はテーブルの上に散らばったスライムの焼死体を片付ける。


「でもそれだけ魔力が少なければ暴発しても大した事にはならないし、ある意味安心して何度も挑戦できるぞ」


「オベイは暴発した事あるのか?」


「……あれは後処理が大変そうだった」


 悲惨な過去を思い出したのか、頬をひくつかせながらスライムを片付けるオベイ。

 一体何があったんだ……。


「せっかくだし、魔力が溜まるたびおみくじ感覚で魔法を発動してみたらどうだ?」


「確かに、ソシャゲのガチャみたいで少しワクワクするな」


 ソシャゲとは何だ? と首を傾げるオベイを他所に、俺はもう一度水魔法を出そうと術式を思い浮かべる。


「これでどうだ!」


「ゲコッ!」


 元気な鳴き声が響き渡る。

 緑色でツヤツヤした体躯たいく

 俺の目の前には、よく跳ねる元気なカエルがいた。


「いや……うん……そういう時も…… グフッ」


 体を震わせ、笑いをこらえるオベイ。


「何で水魔法を使おうとしたら何か召喚するんだ俺は……」


 焼き焦げたカエルが出てこなくて良かったと思いながら、ひとまずこのカエルをどうしようかと悩んでいると。


「召喚魔法は本来イメージが難しい上、色々手順が複雑な高等魔法だ。それをカエルやスライムとはいえ、できるのはすごい事だぞ」


「召喚魔法使い……良いかもしれない」


「まあお前の今の魔力量じゃ、術式を経由しないとカエルすらも召喚できないけどな」

「だよな……」


 などと話していると、突然、カエルは高く飛び、換気のために開けていた窓から外に出ていってしまった。


「お前なら十分ほどで魔力は全快するだろうし、こまめにやってればいつしか感覚も掴めるだろう。今度は何が出るか当ててみるか」


「お前めっちゃ楽しんでるだろ」


「だって面白いじゃん」


 と言いながらオベイが何かの魔法を発動させる。


「ゲコッ」


 いつの間にか、オベイの手のひらにはさっき飛んでいったカエルが。


「お前もいつかこれくらいできるようになるさ」


「精進します……」


 些細な条件で変化する術式の仕組みを完璧に把握しない限り、構築する段階で理屈では説明できない感覚、いわゆる第六感が必要になる。

 術式の仕組みを完璧に把握するのは限りなく不可能に近い。

 つまり第六感という本当にあるかも分からない感覚を掴むしかないという事。

 無理ゲー過ぎる。

 どうやら俺が大魔法使いになるための道のりは想像していたよりも遥かに険しく長い様だ。

 ……心折れそう。


 ◆



「あら、お兄さん達、また来たの?ゆっくりしていってね」


 宿を出た後、どこに行こうか迷った結果、いつの間にかこの店の前に立っていた。

 この店には人を無意識に引き寄せる何かがあるに違いない。


「お姉さん、オススメのウイスキーをストレートで」


 俺は練習しておいたセリフを言い、キメ顔をしながらエルフのお姉さんに注文する。

 よし、決まったな。


「コリン、一応言っておくがカッコ良くないぞ」


 ジト目で指摘してくるオベイ。

 遠くにいた他の客が鼻で俺を笑ったのが見え、俺は恥ずかしくなり思わず下を向いた。


「それにしてもお前好きだよな、ここ。今日帰るつもりだったけどもう一日泊まるか?」


「欲を言えば毎日通いたい。というかこの店に住みたい」


「それは流石に迷惑だろ」


 せっかくエルフに出会えたのだ。

 できるだけ堪能していたい。

 カウンターにいたお姉さんが、注文した飲み物を渡すついでに話しかけてくる。


「あら、お客さん達外から来たの? そっちのお兄さんはヴァレッタの事詳しかったから、ヴァレッタの人だと思っていたのだけれど」


「……よくヴァレッタには来るからね」


「そうなのね。あら、君、大丈夫?」


「え、あ、はい? なんて?」


 なんか話しかけられた気がするが、頭がフラフラしてうまく聞き取れない。

 調子に乗って人生初のウイスキーを頼んでみたのはいいものの、ストレートはやり過ぎたようだ。

 一口飲んだだけで体の感覚が鈍くなり、目の前の景色がゆがんでいく。

 あ、ヤバいこれ、意識が。


 ◇


「飲めないくせに注文するなよ……」


「あらあら。まだお客さんもそんなにいないし、寝かせておきましょうか」


「酔っ払ったこいつを運ぶのも面倒臭いしな。助かるよ」


「ふふふ、この子は常連さんになってくれそうだし、優しくしないとね」


「商魂たくましいことで。多分優しくしなくてもこいつは来るぞ」


 あっという間に潰れたコリンを見て、俺は懐かしさを覚える。

 俺も最初は酒に弱かったなあ。

 辛い事を忘れるためにやけ酒しまくった結果、耐性ができてしまった。


「そういえば、あなた達は何目的でヴァレッタに来たの?」


「俺は野暮用があってな。コイツはエルフに会いたいって理由で付いてきた」


「あらあら、嬉しい理由ね」


 白いネグリジェを着たエルフが、毛布をコリンに掛けながらクスリと笑う。

 そして俺の顔を覗き込む様に見ると。


「やっぱりあなたの顔、見たことあるのよね。何処かで私と会ったことないかしら?」


「どうしたのセラフィ、ナンパの常套句みたいなこと言い出して。お客様に手を出すのは営業時間終わってからにしなさい。そういう決まりでしょ」


 随分緩い決まりだな。

 そういえば長命種は普通の人間より温柔になりがちだとは聞いた事がある。


「ふふふ、冗談よ。ただ、五十年ほど昔にあなたによく似ている人を見たことがあってね。あなたのお父さんはヴァレッタ出身かしら?」


「さあな、俺は物心ついた頃には孤児だったからな。父親の顔は覚えていない」


「それは悪い事を聞いたわね。忘れてちょうだい」


 セラフィは少しバツが悪そうにしながら、他の客の方へ向かって行った。


「ごめんなさいね、あの子を許してあげてちょうだい」

「そんなに気にしてないさ。それに俺くらいの歳で孤児なんて、珍しくないだろう?」

「……そうね」


 ガーナピットとの争いで一般人にも大きな被害が出た。

 その時に孤児になった子供も少なくない。


「ねえあなた、ちょっと聞いてもいい?」


「なんだ?」


「勘違いだったら悪いんだけど、あなた嘘ついてない?」


「ついてない。と言っても信じないだろう? 水掛論になるぞ」


 このエルフの目は、俺が嘘をついていると確信している。

 まさかこの女……。


「お姉さん、幾つだ?」


「あら、レディに年を聞くのは失礼じゃ無くて? まあいいけどね。一五〇〇は超えてるわ。後お姉さんじゃ無くて、私のことはリリィって呼んでちょうだい」


「リリィさん。あんた、ハイエルフか」


 ハイエルフは通常のエルフよりも長命で、エルフの国の貴族や王族から生まれることが多い。

 長い間、地位を羨まれ、すり寄ってくる人間の嘘や造り笑顔を見てきた彼女に、ごまかしは効かないだろう。


「すまないが、なぜ嘘をついてるかは言えない。決してこの国に害をもたらそうとかは思っていないから安心してくれ」


「ねえ、あなた。もしかして……」


「うーん、あれ? 俺寝てた?」


 リリィが何か言いかけた所で、カッコつけ寝坊助の目が覚めた様だ。


「あら、目が覚めた様ね。ウイスキーは飲めなさそうだし、何か別の飲み物にする?」


「それじゃあレモンサワーで……」


 何があったのか思い出したのか、再び恥ずかしそうに下を向くコリン。

 コイツ、頭はいいと思っていたのだが、勘違いだったのかもしれない。

 それにしてもこのハイエルフ、気付きかけているな。

 バレるのも時間の問題か? それなら……。


 ◇


「俺が寝ている間に何話してたんだ?」


「カッコつけて撃沈したどっかの馬鹿を笑ってた」


「そ、そんな事ないですよ、ただの世間話です!」


 今日の出来事は事あるごとにフラッシュバックしそうだ。

 また、つまらぬ黒歴史を作ってしまった……。


「リリィさん、後で時間ありますか?」


「ええ、お店が閉まってからでもいいならいいわよ」


 なんか俺が寝ている間に二人が仲良くなっている様な気がする。

 ちゃっかり名前で呼んでるし。

 コイツ、この店のエルフには興味がないみたいな雰囲気を漂わせておいて、本当は興味津々だったに違いない。


「……熟女好きのくせに」


「おい、変な事を言うな」


「あら、つまり私は彼のお眼鏡に叶ったってことかしら?」


 それだとお姉さんが熟女だって事になるんですが。


「えっと……」


「オベイと呼んでくれ」


「あ、俺はコリンで」


「分かったわ。オベイ君は熟女が好きなの?」


「別にそういうわけじゃない。俺が惚れている女が少し年増なだけだ」


「へえ! 誰なの?」


「この国の王太后おうたいこうらしいです」


「お前ペラペラと喋りやがって、酔っ払い過ぎだ!」


 エルフと仲良さそうで嫉妬心を煽られた俺は、酔っ払ってブレーキがぶっ壊れていたため、止まらない止められない。


「何だお前、一途に愛せないのか? そんな奴に女はなびかないぞぉ!」


「そうね。浮気はダメよ」


「リリィさんも乗っからないでくれ! あぁもう! お前はもう一回寝ていろ!」


「うるせえ! 俺もエルフのお姉さんとお店が閉まった後もイチャイチャしたいんだよ! お前ばっかりずるいぞ!」


「酔いが覚めた後、今の言動を思い出して悶絶もんぜつしても知らないぞ。そもそもお前が思っている様な目的で誘ったわけじゃない!」


「うるせえ! 俺もイチャイチャしたい!」


「だめだコイツ、早く何とかしないと……」


「なんか面白そうな話してるわね」


 声をかけられ振り向くと、白いネグリジェ姿のエルフが興味津々な顔でこちらを見ていた。


「え! あれいやそのですね!」


 突然美人エルフに話しかけられ、耐性の無い俺は言葉に詰まる。

 我ながら情けない。


「彼の好きな人がこの国の王太后おうたいこうだって話をしていたのよ」


「へえ! 王族に恋をするなんてロマンあるね。せっかくだし手紙とかで気持ちを伝えてみたら? 未亡人だしワンチャンあるかもよ? 当たって砕けてみようよ!」


 いや砕けちゃダメだろ。

 だが、オベイが砕ける所を見てみたい。

 俺はオベイの肩にそっと手を置き、うながす。


「よし、砕けよう」


「砕けたらダメだろ。そもそもそんなことをする資格、俺にはない」


「あら、いくら相手が王族でも、手紙を書くのに資格なんていらないわよ。そんなイケメンなのに、恋愛ごとに謙虚なのねえ」


 ネグリジェのエルフはオベイの隣に座ると、リリィにお酒を注文する。

 そして、右手で髪先を指でクルクルと回し、左手でオベイの背中をバシバシと叩きながら。


「若いんだからもっとズバズバ行っちゃっていいのよ。遠慮なんて必要ないわ」


「セラフィ、アンタは少し遠慮をしなさい。オベイ君困ってるでしょ」


 オベイが困っている姿を見るのは楽しいが、俺が蚊帳かやの外状態なのは気に食わない。

 そんな俺の気持ちをみ取ってくれたのか、リリィが俺に対して話しかけてくる。


「コリン君は気になる人とかいないのかしら?」


「お、お姉さんの事が気になります!」


「あら嬉しい」


 心臓をバクバク鳴らしながら割と攻めた回答をしたはずなのに、笑って流される。


「やめておけ。女性の扱いに慣れていないお前じゃあこの店のエルフには歯が立たないぞ」


 オベイが嘲笑するかの様に俺の肩に手を置いて煽ってくる。

 そしてさらに畳み掛ける様に。


「こいつ、昨日の夜一人で決めポーズとセリフの練習をしてたんです。痛過ぎて見てられませんでしたよ」


 さっきの仕返しと言わんばかりに、この店全体に聞こえる様に大きな声で俺の痴態を言いふらす。

 他の客のみならず、エルフの店員たちまでもが俺の方へ視線を向けてきた。


「や、やめろー! 俺の負けでいいから!」


「ふん。歩く黒歴史製造機が恥の掻かせあいで勝てるわけないだろ」


「何だその不名誉な呼び方は! そんな事ない!」


 俺は机に拳を叩きつけ抗議する。

 そんな俺を、オベイは鼻で笑うと。


「こいつ、初めて会った時、道に座り込んで花占いをしていたんだ。その内容がな……」


「やめろっていってんだろ! 俺が悪かったから!」


 その後も今までの異世界生活でやらかしたエピソードをバラされ、最初は面白そうに聞いていた皆がドン引きし始めた所で俺が見事な土下座を披露し、恥暴露はじばくろ大会(ほぼ一方的)は終わりを迎えた。


 ◆


「もうあの店行けねえよ……」


 店の外に出た俺は、その場で膝から崩れ落ちた。


「どうせ明日にはコロっと忘れてまた行きたいって言ってるよ」


「俺の知能はニワトリ並かよ」


 俺を送り出す時の店員達の引きった笑顔が頭をチラつく。

 これ絶対定期的にフィードバックして悶え苦しむ奴だ。

 そんな俺を苦しめた原因の男は、横で眠そうにあくびを噛み殺しながら。


「どうする、まだ行きたい所はあるか?」


「いや、もういいや。家帰って今日の記憶が無くなるまで寝たい……」


 ケモミミはまた今度来た時に拝むとしよう。

 帰るために立ちあがろうとしたところで、自分の足が思う様に動かないことに気がつく。


「あれ? イテテテテ。足が動かないんだが」

「……筋肉痛だな。多分この店に行くまではテンション上がってて気付かなかったんだろう」


「え、待って。これ本当にヤバい、歩けない」


 立ちあがろうと力を込めるたびに足の筋肉が悲鳴を上げる。


「……この店で少し休ませてもらうか」


「待ってくれこれ以上恥をかかせないでくれ」


 結局、オベイに肩を貸してもらいながら宿まで戻り、もう一泊することになった。


 ◇


 結局次の日もコリンに半ば強引に誘われてエルフの店に行った。

 あいつの頭は鶏並み、いや、それ以下かもしれない。

 バカなのか天才なのかわからないな。


 ◆


「だめだ! 全然上手くいかねえ!」


 ヴァレッタから帰ってきて三ヶ月ほどたったある日。

 地面でのそのそ動いているザリガニを見て、俺は絶望していた。

 あれから俺は魔力が貯まるたびに魔法を発動していたのだが、水を出そうとしても石ころが出たり、ショボい生物を召喚したりと、何も進歩していなかった。


「魔力も全く増えないし、術式も全然使いこなせていない。もう魔法を使うのは諦めて、気分転換に農業でもしたらどうだ?」


「せっかく魔法がある世界に来たのに畑耕して過ごすなんて、そんな勿体無い事するわけないだろ! 俺は諦めないからな!」


 とはいったものの、コツが全く掴めない。

 そもそも本当にそんなものあるのか、インチキだろとすら最近思い始めてきた。


「以前言っていた指向性エネルギー砲とやらを作ってみたらどうだ? 弱い魔物程度なら倒せると思うぞ」


 そんなものを使ったらほとんどの魔物は木っ端微塵になると思うのだが。


「俺は魔法で戦いたいんだよ、地球の兵器なんて使ったら世界観台無しじゃないか」


「そんなのにこだわっていたら、いざという時に自分の身を守れないぞ」


 呆れて溜息を吐きながら、構造式と睨めっこをするオベイ。

 俺が化学反応式という存在を教えた日から、自分の分かる範囲で教えているのだが一向に進歩しない。

 

「お前は俺とは逆で、こういうの苦手だよな」


 元素記号や日本語を習得するのはすぐだったのに、何で構造式や化学反応式の仕組みは未だに理解できないのだろうか。


「暗記をするのは得意なんだが、計算をしようとするとなんか記号や数字が頭の中で踊り出して何がなんだか分からなくなるんだよ」


「なるほどわからん」


 術式の組み立てと同じ様にはいかないらしい。

 オベイは、貧乏ゆすりをしながら持っていた紙を投げ捨てる様に置き、その後頭を抱えて唸る。

 まるで点数が伸び悩む受験生の様な、悲壮感あふれる背中を漂わせていた。


「別にそんなの理解しなくても、この世界では生きていけるだろ」


「解析の効率が良くなるから覚えたいんだが、諦めも肝心だな」


 覚悟を決めてビリビリと紙を破きながら、スッキリした様子のオベイ。

 俺も諦めれば幾許いくばくか気分が楽になるのだろうか。

 いや、俺は諦めないけどね!


「さーて、続きを取り組むとするか」


「またか? 一日の二分の一くらい、解析に費やしてないか?」


「構造式や化学反応式の勉強をする必要が無くなったから、これからはもっと費やせるぞ」


「お前、ヴァレッタから帰ってきてからやけに気合い入っているよな。もしかしてあのエルフのお姉さんと夜に会った時に何かあったのか? 術式十個完璧に解析できたら結婚してあげるとか言われたのか⁈」


「そんなわけないだろアホか」


「じゃあ会って何してたんだよ! 次の日店行った時なんか二人の距離感縮まってた感じしたし!」


 もう十回以上同じ質問をしているのだが、オベイは一向に話してくれる気配がない。

 ただ、早朝に帰ってきたオベイは眠そうに目を擦りながらも、何かつっかえが取れた様な、爽やかな顔をしていたのを覚えている。


「気のせいだ。そんなくだらない事聞いてる暇があるなら手伝ってくれ。またあの店連れてってやるから」


「俺に任せろ」


 その日解析できた術式の数は、またもや最高記録を叩き出したそうだ。







  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る