Act.2:知略家の戯れ




 夜のとばりの中でこそ活気づくメイザースの街にあって、裏方業務の支度は日の出ているうちに済まされている事が意外にも多い。


 例えば歓楽街の中でも一際絢爛な輝きを放つナイトクラブとして有名なヴァルプルギス・ナハトの仕込みは、すべてのショーが終わって客がけ、清掃が一通り済んだ昼前にはもう始まっている。


 便利屋のここでの仕事は、正規ルートでは持ち込めないような訳アリの品々の配達が主であり、政財界の裏庭としての側面も持つクラブの性質上、その日のゲストによっては護衛を兼ねたドライバーを務めることもままある。


 エンターテインメントを媒介とし、裏社会の広範にコネクションを持つシンジケートからの依頼内容はそれこそ多岐に渡り、図体の大きさ故に機敏な動きが取りづらい組織にとって、デュールのようなフリーランサーは使い勝手が良いのだ。


 無論、デュールとてただこき使われる立場に甘んじる二流ではない。互いの利害に則ったフェアな取引がそこにはあり、今日のデュールの用事は、シンジケートを使う方の用事だった。


 顔パスでクラブに入ったデュールはそのままバックヤードへと向かう。復古調ふっこちょう豪奢ごうしゃな装飾で飾られたホールとは打って変わり、裏方の仕事場はシンプルで無機質なあしらいだ。


 その通路はよそ者が道に迷うように意図的に入り組んだ構造になっており、通路自体が一種のセキュリティとして機能している。過去には何度か不貞の輩が金庫を狙って侵入を試みたというが、ほぼ全員が金庫のを拝む前に墓場へと直行し、運よく金をせしめた連中に関しても、クラブのエントランスから五歩以上先を歩くことはなかったという。


 そんな迷路さながらの通路を慣れた足取りで進んでいくデュールは、その最奥部にて不用心にも開けっ放しになっていた執務室の扉をノックしながら、なにやらデスクで電卓叩きにふけっている人物に声をかける。


「よう、ノウェムの姐さん。精が出るね」


 不躾ぶしつけな声掛けに作業の手を止め、その者は気だるげな目線を送り返す。


「あら、便利屋さんじゃない。なにあなた、女衒ぜげんでも始めたの?」


 慣れ親しんだ顔が珍しい連れを伴っていることに目聡く反応したのは、夜闇を思わせる黒髪に妖艶ようえんな青い瞳。男を惑わす魔性をまとった美貌の麗人。ヴァルプルギス・ナハトのオーナーにして、欲とネオンに彩られたメイザースの夜の街に君臨する賭博シンジケート「スタシオン・アルク・ドレ」の首魁しゅかい


 黄金郷の虹の楽園を束ね、「魔女ノウェム」の名で恐れられる彼女もまた、メイザースの夜を象徴する紛うことなき女傑じょけつである。


「冗談よしてくれ。銃の手入れと銭勘定ぜにかんじょうで両手は埋まってんだ。この上足を使ってまで女を転がすほど酔狂すいきょうじゃねえ」

「じゃあ、その子は何?」


 そう言ってノウェムはアンの方を指差す。ホットパンツにチューブトップのインナーは上下ともに黒一色の軽装。加えて街はずれの泥棒市まで買いに行かされたボリュームスリーブの白い羽織をまとった出で立ちは、色素の薄い彼女の存在感をより一層際立たせ、その可憐かれんさも相まって目にする者の視線を釘付けにする。


 ナイトクラブを運営するノウェムにとって、デュールのかたわらにいるアンの可憐さが関心の対象になるのは無理からぬ話だが、次に放たれるアンの一言によって、その関心は真っ向から打ち砕かれることになる。


「なあデュール、このババア何?」

「バ……バア!? え、何? 口悪ッ」


 ノウェムに対しこうもストレートに暴言を吐いた手合いなど長らくいなかったのだろう。ノウェムはあからさまな狼狽を見せながら後ずさった。しかしそこにすかさずデュールの鉄拳がアンの脳天に打ち下ろされていた。


「痛ってえ何すんだよ」 

「このクソボケ! 誰に向かって口聞いてんだ」


 ノウェムの怒りの琴線きんせんに触れるよりも早くデュールの怒号が飛び、その豹変ぶりにさしものアンも押し黙った。この街の序列を語る上で、ノウェムの存在を無視することは太陽なしで昼夜を区別するのと同義だ。そんな道理知らずはこの街では一晩と生き残ることも叶わない。


 この局面においてデュールに出来ることは、愚にもつかぬ言い訳を並べてノウェムの機嫌を伺うことではなく、よりシンプルで誰の目にも明らかな形でその瑕疵かしを清算すること。


 それのみが、アンの命を明日に繋げるために必要な措置だった。無礼を働いた詫びなど、その後からでも遅くはない。


「すまねえ、姐さん。見ての通りこいつはまだこの街の仕組みを知らねえ。幸いこの場には俺たちとあんたしかいない。それに免じて勘弁してくれねえか?」

「え? ああ、ええっと。あたしそこまで気にしてないんだけどね」


 デュールの鬼気迫る緊張感に押され、ノウェムは出しかけてすらいない怒気の発露先を見失う。実際のところ本当に気にしてはいなかったし、むしろこの男の機転に対して感心すら覚えていた。


「おい、おめえも頭下げろ」

「す……すいませんです」


 デュールに促されてぎこちなくアンも頭を下げる。こうも鮮やかな先回りで筋を通されては、さしものノウェムも口を挟む余地を見いだせなかったが、どうせならとほんの少しだけ遊び心を見せる。


「まあ、そこまで言うなら、今後この子をショーに駆り出してみようかしらね」

「お言葉だが姐さん、それだけはやめておいた方がいい。店が廃墟になる」

「何? その子恐竜にでも化けるの?」

「それよりもタチが悪いかもしれない」


 妙に悲壮感の漂う物言いをするデュールの心境を察したのか、ノウェムはそれ以上の追及はしないことにしたらしい。


「まあいいわ。あたしはノウェムよ、生意気なお嬢さん。今後は口を利く相手には気をつけなさい」

「うっす……アンです……うっす」


 わかりやすく不貞腐れるアンにまたぞろいたずら心をくすぐられるノウェムであったが、これ以上デュールを揶揄からかうのも忍びないので、この場はさっさと用件を済ますことにした。


「それで、なんだっけ?」

「ああ、そうだった。注文してた呪符。不躾は承知だが直接受け取りに来たのと、まあこのガキの挨拶ってところさ」

「あなたのそういう律儀なところ、実に素敵よ。あなたが組織に加わってくれたら、もっと素敵なのだけれどね」

「ごめんな、姐さん。俺はそういうしがらみとかにはどうも向いてねえ。特に自分以外の他人のケツを拭くことに関してはな」

「そう、残念だわ。注文の品は倉庫に置いてあるわ。スタッフに言えば持ってきてもらえるから。今回は六ダースってところね」

「恩に着るぜ。ところでここ来た時からずっと気になってたんだが、なんだって今日はあんたが書類作業なんてやってるんだ?」


 何の気なしとも思える質問ではあったが、実際のところデュールはこの場でノウェム本人と出くわす事態を想定していなかった。腐っても巨大組織の長を務める彼女が、こんな日常業務に自ら手を煩わすことなど、本来であればありえない。


 軍特注の呪符の横流しに関してはデュールとノウェムが個人的に交わした取引ではあるが、実際の受け渡しは普段は彼女の秘書が行っており、この執務室に関してももっぱら秘書が日々の業務に使っている部屋だ。もしノウェム本人が今日ここにきていることが分かっていたなら、アンに礼儀ドレスコードを教えるだけの準備も出来ていたのだ。


「どうもねえ、最近売り上げの計算が合わないのよね。どっかの馬鹿がちょろまかしてるのはもう明らかなんだけど、どうやって誤魔化しているのかがとんとわからないの。備品も商品も、入ってくる量と出ていく量は一致してるのに、なぜか売り上げだけが減っている。小賢しいったらないわよ」


 忌々しげにため息をつきながら、相も変わらずノウェムは書類との睨み合いを続けている。デスクには何度も計算した形跡が見られ、その様子を見るにだいぶ頭を悩ませているようだった。


「レジや金庫から直接抜いてるとか?」

「機器の操作は履歴が残るわ。不正があればアラートが鳴ってその場で拘束。万が一そこをすり抜けたとしても、入退室には厳重なボディチェックがあるから、物理的に持ち出すのは無理」

「架空の顧客を使って登録した売り上げを、後から返金処理して着服」

「うちは会員制よ。身元の隠蔽いんぺいには細心の注意を払ってるから無理ね」

「備品と商品にバッタ物を混ぜて卸し、浮いた差額を着服という線は?」

「それが一番可能性があると思って全在庫のトレースをしたけど、粗悪品の混入はなかったわ」

「ふむ」


 興が乗って付き合ってはみたものの、なるほどノウェムが頭を抱えるのもわかる。こいつはなかなかの難題だった。


「物理的な持ち出しは出来ず、顧客にも在庫にも不正はない。しかし金だけが減っている、か」

「そうなのよね、まったくいい迷惑だわ」


 デュールは静かに思案する。彼にとっては何の義理もない話ではあるが、こういった謎解きは実はそう嫌いではないのだ。最終的にはノウェムが自身の手で片を付けることではあれ、別段知恵を貸して損になる話でもあるまい。そう思ったデュールは本腰を入れて思考を回し始めていた。


 そしてしばしの黙考の後、デュールはある一つの可能性に行き当たる。


「姐さん、呪符の卸しに関してはその帳簿には記載してるのか?」

「そんなことしないわよ。あれに関しては完全にあたしとあなたの個人的な取引。軍の横流し品を同じ帳簿に記載したら一瞬で査察が入るわ」

「他にあんた個人でのやり取りで、帳簿には記載されていない取り引きは?」

「うーん、特にないと思うわ。目立つ買い物に関してはあなたの呪符の卸しくらいよ」


 ノウェムの返答から何か臭うものを嗅ぎつけたのか、デュールの思考がさらなる深みに至る。

 店の会員、スタッフ、在庫の流れも正常。透明性の確保された状況で売上だけがなぜか抜け落ち、調べるべきところは全て調べてある。


 ではもし、調べる必要のないところにトリックが隠されているとしたら……?


「なるほど、恐らくだがこの件のからくりはそれだ」

「どういうこと?」


 話を呑み込めていないノウェムに対し、デュールは事の真相を紐解いていく。


「簡単な話さ。俺があんたから卸してもらってる軍用の呪符は、仕入れの量がまちまちな事が多くてある程度でしか数の指定ができない」

「ええ、物が物だからそうね」

「つまりだ、俺の注文よりも多く軍に発注をかけても誰からも怪しまれない。その上で、余らせた呪符の返金分を別の口座に移し、不足額をあんたへの給料という形で店の売り上げから相殺する。こうすれば店の計上も物品の出し入れを誤魔化すことなく、店の売り上げだけが減っていくことになる。そんな真似ができるのは、この世で二人しかいない」


 仕組みとしてはこうだ。

一、デュールが呪符を十ダース注文する。

二、注文を受けた者が業者に対して二十ダースを発注し、請求額をノウェムの口座から振り込む。

三、受け取った呪符十ダースを注文通りにデュールへ納品し、余らせた十ダースを返品し、その差額を別の口座に移す。

四、月の給料計算の際、別の口座に移された返金分を、給料という形で店の売り上げからノウェムの口座に戻す。


 こうすることで、店の売り上げに直接干渉することも、不正な在庫操作を行うこともなく、売り上げだけが店から姿を消すことになる。


「店の売上が抜かれているなら、店の帳簿から糸口を探せばいいという、心理的な盲点を突いたトリックというわけね」

「ああ、そして俺たちの取り引きの中身を把握し、立場上あんたの代理人として介入する事が出来、尚且つ動機も成り立つ人間はただ一人」

「秘書しかいないわね」

「軍に連絡してみろ。呪符の注文数と返品数、そして返金額の振込先が秘書の口座になってるなら、野郎のクロが確定する」


 そう言ってデュールは踵を返す。本人としてはちょっとしたクイズのつもりだったが、これだけやっておけば、ノウェムも先のアンの無礼を蒸し返してくることもあるまい。


「助かったわデュール。今度お礼をさせて頂戴ちょうだい

「いいってことよ。俺はただクイズを解いただけだ」


 背を向けたままの格好で手を振りながら執務室を後にするデュールに遅れて、すっかりしおらしくなっていたアンが追従する。ほんの一か月程度のよしみだが、普段のデュールがこんな人助けに積極的になることなどないということくらい分かっていた。形はどうあれ、結果的にアンの尻拭いを見事に果たしてくれた人物に対して、変わらずの生意気を働けるほど、彼女の性根は腐ってはいなかった。


「あんがとよ、デュール」

「別に、おめーの為じゃねえさ。俺と姐さんの蜜月みつげつに付け込んでちょろく稼ごうとした馬鹿に、物の道理ってやつを教え込んでやる必要があると思っただけの事さ」


 そうのたまうデュールであったが、その表情は心なしか満更でもなさげであった。

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