#27 それは、純粋な恋心で、

夏服に移行してから数日後、既に夏服は見慣れた姿となり日常に溶け込んでいた。夏の太陽も徐々に与える熱が高まっていったり、空は青く晴れ晴れとしてきたり、正に青春といえる舞台が整いつつある中、恋する乙女、鉄若菜は何度目だろうか前を歩く錦戸悠の涼しい格好に心を鷲掴みにされていた。


「錦戸君、やっぱり夏服も似合うなぁ……」


「若菜、それもう五回目なんだけど」


「えぇ~だってかっこいいんだもん~」


友人、皆美みなみの苦言に、理由になっていなさそうな理由を口にする。理由の正当性などどうでもいいくらいに、目の前の悠は輝いて見えていた。


「皆美ちゃんはかっこいいって思わないの?」


「いや、かっこいいと思うけどさ……。さすがに毎日見てれば慣れるっていうか……」


「えぇ~?わたしぜんぜん慣れる気しないかも」


「ほんっと、色恋絡むとすぐバカになるやつ……」


教室に着き、椅子に腰をかけても未だ表情を緩めたままの若菜に、皆美は呆れから溜息を吐いた。呆れてはいるものの、若菜のようなかわいいとされる少女の恋の行方は少しばかりか気になっていた。


「若菜はさ、錦戸君と夏祭りとか花火とか、行ったりすんの?」


「へぇっ!?」


朝からいいものを見れてご機嫌の若菜に、皆美は前触れもなく刺した。分かり易く頬を紅潮させ狼狽える若菜。「えぇ~??」とか漏らしながら体を揺らすのを、肘をつきながら見て返答を待つ。


「そりゃ、行きたいけどさぁ~……行ってくれるかなぁ」


「前のデートは行けたんでしょ?だったら今回も行ってくれるよ」


「そ、そうかなぁ~」


皆美の激励に、またも若菜は分かり易く照れて喜ぶ。正しく恋する乙女であり、正しくヒロインであるその様に、皆美は羨望すら覚えていた。


と、しばらく喜んでいた若菜が、「……あ」と何かに気付いたような声を上げて、笑顔を止め難しい顔に変わった。


「でも錦戸君、モテるから他の女の子と取り合いになっちゃうかも……」


「いやいや若菜、そんなん競争するより手っ取り早い方法あるっしょ」


「え?なになに?なにするの?」


「え。逆に気付かないの?」


「わかんないよぉ~……教えて皆美ちゃ~ん……」


「わかったわかった!教えるから身体揺らすな!」


身体を揺らしてせがむ若菜を皆美は強い語気で制止させた。落ち着き、視線を黙って向けたところで大きく溜息を吐く。


「はぁ……あんたが他の女子よりも先に誘って先約作れば、他の子から誘われても断ってもらえるでしょ?」


「……確かに。皆美ちゃん天才だ」


「あんたがバカなのよ、鈍感恋愛バカガール」


目を輝かせて褒めてくる若菜に、分かりきっていた皆美は呆れた眼差しで返すのだった。

「はぁ、どこまでも青い空だね」


「何しけたこと言ってんだよ」


手持ち無沙汰気に空を見て呟く悠に、惣菜パンを頬張る霧也はツッコむ。昼時、悠の「屋上で昼食を摂ろう」という提案に乗った霧也と莉樹は、予定通り教師の目を盗んで屋上に立ち入っていた。何故か、屋上への扉の鍵は開いていた。まるで来ることを知っていたかのように。


「ま、確かに今日は格段と天気がいいな。悠がそうなるのもよくわかる」


「そうなるって……中学の頃からあんな感じなの?」


「いやいや霧也、僕は生まれた頃からこんな感じだよ」


「親御さんはさぞ教育に苦労しただろうな」


「僕は優秀だからね……あまり苦労は掛けてないつもりだ」


「自分で言うんだそれ」


こちらを向かずに空ばかりを見つめたまま応対する悠。霧也が惣菜パンを食べ終えたところで、悠がこちらを向き問いかけた。


「ところで、今年の夏は何をするんだ?」


「何って、何があるんだよ?」


「海水浴、縁日、花火……ひと夏のアバンチュールってところかな」


「花火、ね……」


『花火』というワードを耳にし、霧也は二年前の夏を思い出す。未だにあの頃の妃貴の何かを堪えていた表情は脳裏に微かにこびりついて離れないでいた。今になったら分かる。今自分がここにいなければ、あれが妃貴との思い出を残す最後の機会であったこと。


「どうした斎条、そんな暗い顔して」


「……あぁ、ごめん。ちょっと考え事してた」


「考え事?なんだか穏やかじゃないな」


「別に大それたことじゃないよ。まぁでも、誘いたい人というか……誘わなければいけない人がいる、ってとこかな」


「へぇ~」


何かを見透かしたようにニマニマする悠。居心地の悪さを覚えたところで、莉樹が空気を読んだようなフォローを入れた。


「そういう悠にはなんか予定とかあるのか?」


「いや、何も?はぁ、せっかくの夏なのに色恋沙汰の一つもないなんて、つまらなくなりそうだ。な、莉樹?」


「いや、俺には友達みんなで夏祭りに行く計画してるから。一緒にしないでくれ」


「えぇ~~!?僕も混ぜてよ!!」


何の気なしに口にされた事実に、悠は声を張り上げる。その様を横目に、霧也はどこまでも青い空を見上げて、


(で、いつ妃貴を誘おうかな……)


そんなことを考えていた。

昇降口を出た若菜は、校門前に立つ長く伸びた人影を見て安堵した。そして顔に笑みを浮かべ、そこに駆けた。


「錦戸君っ!!」


大きな声で呼ばれた悠は、スマホから顔を上げて若菜を見た。目の前でにこにこと笑む若菜に、悠は微笑んで応える。


「若菜さん、思ったより早かったんじゃない?」


「はい!早く一緒に帰りたかったので!」


「嬉しいことを言ってくれるね……それで、話したいことって何?」


「はい、それなんですけど……歩きながらでいいですか?」


「うん、いいよ」


夏に入り日も延びた今日は、十七時を回っても尚、暮れた街は朱く照らされていた。空にはカラスが仲睦まじい様子で飛んでいる。斜陽が刺す帰路を歩く二人には静けさが表れていた。


誘ったはいいものの、どう切り出せばいいか分からない若菜は、想いを喉元につっかえたまま黙ることしかできなかった。話さなければ、今が絶好のチャンスだ、そう自分に言い聞かせても、やはり怖さが先行して口を噤ませていた。


「日が延びてきたね。うん、ここから見える夕焼けも綺麗だ」


「……!」


堅い空気を察した悠は、話しやすいように自分から話を振ることにした。絶好のチャンスを得た若菜は、これを逃さんと応える。


「はい、夏だなぁって思います」


「そうだね、夏だね」


沈黙。とはならない様に何とか若菜は誘いの話へと持っていこうと話を広げた。


「夏になると色々なイベントがありますよね!錦戸君は何か予定とかありますか?」


「いや、特にないね。若菜さんは?」


「私にも特に……みんな遊びの話をしているので、仲間はずれみたいで悲しいです……」


「あはは、それは大変だねぇ」


軽やかに笑う悠。その隣で若菜は、いつ切り出そうかとタイミングを図っていた。胸を打つ拍動は強く早く揺れていて、今にも限界が来そうであった。


「僕の友達は、みんなで夏祭りに行くらしいよ。いいなぁ、みんなで夏祭り。いかにも青春、って感じで」


「夏祭り……ってこれのことですか?」


「ん?……あぁ、多分これだろうね。へぇ、花火も上がるのか……」


若菜のスマホに映ったポスターをじっくりと見て、ほうと頷く。今がチャンスだ、そう感じ取った若菜は、すかさず「あの」と話を切り出す。


「わ、私、今この日の予定が空いてて。それで、錦戸君と行きたいなぁって思ってるんですけど、一緒、に、どう……ですか?」


「……ふむ」


答えを待つ時間、悠久のように思えて、髪を揺らす風すらも遅く感じた。そうして待つこと数秒。止まりかけていた時間は、悠が微かに口角を上げたことで再度動き出した。


「……うん、僕も誰かと夏祭りというのは興味深い。行ってみよう」


「ほ、ほんとですか!!や、やったぁ……」


緊張から解放され、心が晴れた若菜は、隠すことなく頬をほころばせた。隣でにへらっと笑う若菜を見て、悠もまた優しい笑みを浮かべる。その時頭の中では誘いを受けた時の若菜の顔が離れずにいた。


顔を真っ赤にして、拙くても紡いで、逸らさずに悠の顔をまっすぐと見つめ、想いを伝える若菜。その眼が、その声が伝えるものは濁りのない、純粋な恋情。今も若菜は、緋色の夕に照らされながら、喜びをその顔に表している。


(この子、本当に僕のことが好きなんだな……嬉しいな……)


悠はその恋情を噛み締め、心に刻む。久しく夏が楽しくなりそうな予感を感じた。

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