第2話
男が隣国で暮らした数年間で、このようなことは幾度となくあったが、両親にそれらを告げることはなかった。男のつらい日々とは対照的に、両親の仕事は非常にうまく回っているようだった。隣国の人々はアルファ国人を嫌っているとはいえ、ビジネスとして利益関係が成り立つのであれば、そこに幾分かの秩序が生まれるのだろう。両親は仕事が前にも増しておもしろいと感じているようで、一層仕事にのめりこむ様になった。それに比例して男が両親と過ごす時間は少しずつ少なくなっていった。男がいじめの件を両親に話さなかったのは、両親の努力に水を差したくないという思い半分と両親に言っても仕方がないという諦め半分からだった。
男はその内、人の悪意にも慣れ、以前のように理不尽に心を動かされなくなった。もうクラスメイトに対して、どうして出身やコミュニティを見ていじめるのか、どうして組織ではなく個人を見てくれないのか、というような思いは抱かなくなった。そして、男自身も隣国人はどうしようもないクズの集まりだという悪意の視線をもって接するようになった。不思議なことに、そうするだけで男の心は少しだけ軽くなったように感じた。
あれからどれほどの時間が経っただろうか。男はあの宇宙遊泳の末、エアが切れ意識を失った。そうして、今、男は目を覚ますと、宇宙服を脱がされ下着の状態で見知らぬ人工物の中で横たわっていた。男の視界にはクリーム色の床と壁が映っている。男がいるのは、四方2メートルほどの小さな部屋だった。
「ここは一体どこなんだ?俺は宇宙空間に放り出されて、それから死を待つ身だったはずだが……。」
ここが夢の中か現実か、男には判断がつかなかった。男は寝ぼけた頭で、けれども可能限り冷静に自分の置かれた状況を整理してみた。
「そもそも俺は先ほどまで宇宙にいたはずだ。それが、今は見覚えのない部屋に下着姿で閉じ込められている。
一体ここはどこなのか。俺がどれほどの時間意識を失っていたかはわからないが、宇宙から地球まで運ぶほどの時間が経過したとは考えにくい。だから、ここは地球の建造物の中ではないと考えたいところだが、驚くべきことに、この部屋には重力がある。SF映画では定番の人工重力だが、俺の知る限り、実用化はされていないはずだ。
しかも、ここが宇宙船の中だとしたら非常に珍しい宇宙船だ。だって、色がおかしい。宇宙船は白と相場が決まっている。そうでなければ、宇宙船は太陽の熱で焼かれて大変なことになってしまう。テレビや映画で白い宇宙船ばかり目にするのにはちゃんと理由がある。この宇宙船が何かしらの意図で内装だけクリーム色の塗装をしている可能性はあるが、少なくとも俺が先ほどまで乗っていた船でないことは確かだ。」
男は情報を整理してから、辺りを調べようと、立ち上がった。立ち上がるとこの部屋の小ささがより際立った。少しでも飛び上がれば、簡単に頭を打ってしまう。恐ろしいことに、この部屋には男とクリーム色の床と天井、壁以外には何も存在しなかった。扉や窓さえなかった。もし長期間この部屋に閉じ込められることがあれば、気が狂ってしまってもおかしくない。窓も扉もない孤独な小部屋はそれほどまでに恐ろしかった。
出入り口存在しない部屋とはいかなるものか。人の出入りにかかるコストが大きくても問題ない、あるいは、大きいことが望ましい状況。つまり、それは牢獄だ。
「もしかしたら、ここは俺を閉じ込めるために作られた部屋なのかもしれない。」
口に出すと、この状況がより一層恐ろしくなった。もし大がかりな仕掛けをもって密室が作られていたなら男の命は閉じ込めた者の思うがままということになる。
「とはいえ、諦めるのはまだ早い。この部屋のどこかに見えない出入り口があって、自分はそこを通ってこの部屋の中に入ってきたのかもしれない。」
男は壁や床を念入りに調べた。叩いたり、蹴ったり、顔を近づけて音の反響を調べてみたりした。しかし、結局扉は見つからなかった。
ただ一つ分かったこととしては、この部屋の天井や壁が仄かに光っているということだ。考えてみると、この部屋には明確な光源がない。にも関わらず、目がこうして見えているのはこの天井や壁が光源としての役割を果たしているからだ。八方から照らされていたため気が付かなかったが、このクリーム色も物質自体の純粋な色というより、発光によってもたらされたものかもしれない。この小さな発見は男の頭を更に混乱させた。このような珍しい宇宙船、正確には宇宙船かどうかはまだ分からないが、を作ったのは一体誰なのだろうか。多くの疑問を抱えたまま、男は座り込み、何かが起きるのをただじっと待ち続けた。
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