思い出をここに。





 これから長らく離れる町を、最後に歩いて見て回る。ありがちかもしれないけれど、二十年慣れ親しんだ町だから、そりゃあ愛着だって当たり前に持っている。

 なぎさと二人、手を繋いで。

 ゆっくり歩く町は見慣れた……と、言いたいところだけど。

「意外と行ってないとこ多いな」

「あたしももう四年住んでるはずなのに」

 そう、意外と「地元」の町を歩いていないことに気が付いた。

 なぎさが来てからこっち、家と学校の行き来だけではなくなった。専門学校に通うようになったからは尚更に。そう思っていたのに、地図アプリも使わず適当に町を歩いていると、知らないものがたくさんあることに愕然としてしまった。

 公民館、ちょっとした雑貨屋等の個人商店、小さなローカルスーパー、それからちょっとした小川まで。

 ある程度行動様式ってのは決まってくるもんだなぁ、と自身の視野の狭さに落胆する。いつか店を構えたい、というところから、町のことは広く見ておきたい――なんて、色々と見るようにしていたつもりだったけれど。つもりはあくまでつもりでしかない、という事実に気づかされた。

「あ、こんなとこに公園。ちょっと寄ってこ」

「おう。好きだよな、公園」

「うーん……公園デートってなんか、落ち着いてきた恋人感、ない?」

「そっちかよ」

 わからんでもないけど、理由を聞いてしまうとなんとも、風情に欠けるというかなんというか。

 とはいえ本当にわからないでもない。見る限り、最低限の遊具と鉄棒にベンチ、後はちょっとした植木と花壇。高校生くらいになればもう遊ぶものはなく、座ってのんびり話に花を咲かせる他にすることがない。そこで間が持つなら、もう安泰と言っていい関係なんじゃないか――くらいの。

 なぎさとは、恋人になる以前からそんな感じだ。もちろん目的があって遊びに行くことが多かったけれど、例えばその移動時間でさえ、間が持たないなんて思ったことはほとんどなかった。

 自分で言うのもなんだけど、相性がいいってのはこういうことなんだろう。四年の間、ちょっとしたピンチ・・・みたいなものすらなかったくらいだ。もちろん小さな喧嘩なんかは多少あったりもしたけれど、ちょっと距離を置けばすぐに熱が冷めて元通りになった。

 ベンチに腰掛け、それでも手は繋いだまま。

「この手ともしばらくお別れかー」

「寂しいだろ。にぎにぎしてやろう」

「ちょっとしっとりしてる」

「それもまたエモ」

「エモ……いか?」

 とはいえそれが不快でないのも確か。手汗が気にならないとなると、それこそ俺にとってはまちくらいに近しい人に限られる。逆に、なぎさにとっても、俺がそれくらいの存在になれているってことだ。

「今夜は泊まってくでしょ?」

「そのつもり。晩飯もちょっと張り切ろうかな」

「よっしゃー。配信もお休みって告知したし、盛り上がろーね」

「……なんか視聴者に色々と邪推されそうだなぁ」

「邪推も何も……事実じゃん?」

「いや、そうなんだけど。まぁ、いいか」

「いいのいいの。というか、これまでだってあったじゃん。クリスマスとか、色々」

「クリスマスに配信休む、イコールってわけじゃないとは思うけど」

「手抜きしたり休みがちになったり、そういうのなければ大丈夫」

 なぎさの言う通り、配信は以前と変わらない頻度でされているし、ゲームに対する熱量も決して衰えてはいない。なんなら、年々増しているくらいだ。

 色々なジャンルに手を伸ばし、色々な配信者と絡むようになった。賛否両論あったコラボへの意見も、彼女のコミュニケーション能力がある程度ひっくり返し、肯定的に捉えられることが多い。

 いるだけで場が明るくなる。雑談をしても、間と場を繋いでくれる。そういうところも相まって、コラボのお誘いは割と途切れることなく来ているらしい。

 それでも決して従来の、RPG等をクリアまでやり切るというスタンスを変えていないのが何よりも好感触だった。安易に変わることなく、あくまでも一人のゲーム好きであるという姿勢を崩さない。その上で広げた輪は、彼女の人気を着実に伸ばしてくれた。

「大学でもちょこちょこ絡まれたりはするけど、まー、ファンには恵まれてると思うし」

「だよなぁ。なぎさもまちも、荒れることなさ過ぎてありがとうって気持ちになる」

「あはは、もうすっかり身内だ。モデレーター権限もずいぶん前に渡したしね」

 モデレーター権限、つまりチャット欄だのなんだので、ある程度その中身を操作する権限のこと。迷惑なチャットを消したり、それが続くようならユーザーをブロックしたり、まー平和な配信を守るための監視員みたいなもんだ。ちなみにまちのチャンネルでも持っている。

 おかげでまちこにとっての「おにぃ」、なぎさにとっての「彼氏」、という存在がある程度認知されてしまったのが多少痛くはあるけれど。

 ……とはいえ、優越感もあったり、なかったり。

「言うて、あたしとかまちこが羨ましがられることだってあるんだよ?」

「ねーよ」

「いやあるんだって。料理もスイーツも美味しいし、何なら体調とかにも合わせてくれるし、めっちゃ色々やってくれてるのに全然出しゃばらないし、スパダリかな? ってくらい」

「スパダリって……意味ちがわね?」

「そこは解釈色々でしょ。よく知らないけど」

 解釈どうのは置いておいても、全くピンとこない話に首を傾げる。なぎさは笑いながらそんな腕を取り、自分のそれを絡めた。服越しにも感じる体温は温かく、春先の穏やかな陽射しも相まってなんとも眠気を誘う。服越しに感じる柔らかさとふわりと立ち昇る香りは、脳をダイレクトに「なぎさ」で染めた。

「そのままでいーよ、ってことだね。少なくともあたしにとって、衛くん以外も以上も、考えらんないし」

「そりゃ安心だなぁ。俺は……まぁ、元々あんまり気移りしないしな」

「そこはあたし以外は考えらんない! でしょ」

「考えらんない」

「よし。でもそうだよね、衛くん、何にしても気移りとかはしないよね」

 やることを決めたら、それのことばかり考えてしまう。長所でも短所でもあり、矯正するにしたってやり方を考えなくちゃ――とは思っていたけれど。

 なぎさがそのままでいいと言うのなら、多分そのままでいいんだろう。

「不安だし心配だし寂しいし、でも、それ以上に楽しみ」

「ああ。なぎさのほっぺたぶち壊すお菓子作れるようになって帰ってくるよ」

「じゃああたしは、そんな衛くんが元気でいられるような配信するね」

「楽しみだなぁ」

「楽しみだねー」

 言い聞かせるような会話に、けれどやっぱり悲壮感はない。不安だし、心配だし、寂しいけれど、二人の関係は四年間ずっと変わらなかったから。

 根拠はないけれど、大丈夫だという自信がある。確信がある。

「もうちょっと歩こっか」

「だな。あ、帰りに買い物な」

「はぁい。今日のごはんはなんだろなー」

 可愛いなぎさの鼻歌を横に立ち上がり、また手を繋いで歩き出す。

 見慣れた町の知らない景色をこの目に、写真に収め、そしてその全てになぎさを入れて。

 アイドルでもないのに妙に撮られ慣れているなぎさ。それこそまちこのライブの数だけ一緒に写真を撮って、何なら可愛い撮られ方を研究してたなんて話も聞いたことがある。

 公園と、街路樹と、商店街と、学校と、なんてことない道路と――なんてことない、ただ立っているだけのなぎさ。

 ポーズも取らず、微笑みも控えめに。意識して演じる、いつも通りのなぎさだ。

「なんか今生の別れみたいだな」

「縁起でもない。今夜はお前、覚悟しとけよ。どろどろにしてやるからな」

「……男前だな」

「……とか言いつつ、ではあるけれど」

「真昼間からなんて会話してんだ」

「だって衛くんが変なこと言うから。いうて三年くらいあっという間よ」

「だなぁ。老い易く学成り難し、ってな」

「その通りだよ少年。あたしももっと伸びるからさ、どんどん伸びる数字に焦りを感じるといい」

「いい性格してんなぁ」

 それこそ今更だ。出会う前から「推し」で、「好き」で、見上げるような存在だったんだから。今は隣で笑って触れ合って、お互いを知り尽くすほどの仲にはなったけれど――尊敬している、という点において、それはずっと変わらない。

 断言する。向こうに行ってもなぎさの配信は見続けるし、コロコロと変わる表情に声色に、心躍るようなときめきを感じるんだ。時間は足りないかもしれないけれど、やっぱりそれは俺にとっての癒しの時で、元気をもらえる大事な活動――生活の一部だ。

「まちこにも連絡欠かさないでよ。ライブのクオリティに影響出たら大変だから」

「そんな歳でもないだろうよ」

「わかってないなぁ。推しは心の栄養なんだよ。枯渇したら生活に関わるんだよ。まちこにとってはおにぃがそれなの。口で何て言っててもね」

「……まぁ」

 見透かされたような言動になんだか気恥ずかしくなって、思わず顔を背ける。けれど手は繋いだままだから、なぎさは当たり前にそれを許さない。

「そしてまちこはあたしの推し! 心の栄養! あたしはだから、全力でまちこを支えたい」

「じゃあ、俺も推しを支える為に、まちのこと支えなきゃってことか」

「そういうこと。……推しどもえ、ってやつだね」

「おぉ、懐かしいフレーズ」

「ね。いいじゃん、何歳になっても、好きに素直でいたいよ」

「確かに、その方が……楽しいもんなぁ」

 好きに素直な子は、可愛い。

 可愛いってのは、魅力的ってことだ。

 他の人達がどうだかは知らないけれど、少なくともなぎさにとって魅力的でありたいから、俺は――


 別れの日は、それでもすぐにやってくる。

 避けられることなく、あるいは全てに望まれて。





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