蒼月書店の奇々怪々Ⅴ ーまやかしの畏怖ー
望月 栞
第1話
私のグレーの毛並みを撫でていた手が止まった。手の持ち主を見上げると、眉間に皺を寄せた端正な顔の男が店内から外を睨んでいる。あまり見ない表情だ。
「どうした?」
今日の翠は栗色の猫っ毛な髪をした男になっており、姿によって話し方も多少変化する。
しかし、唯一変わらない翠色の瞳の眼光が鋭くなっている。
「負の気配を感じるんだ」
「近いのか?」
翠は私に視線を向けて頷いた。
「でも、場所がつかめない」
「お前がわからないなんて、珍しい。そいつ、うまく隠れているな」
「この気配、覚えがある。もう少し、周りを探った方がよさそうだ。今日は早めに閉店を・・・・・・」
翠の言葉が途切れた。何かに気付いた様子で、扉の方を向いた。
「近付いてきている」
「ん? ここにか?」
「そのようだ」
私は翠の視線の先を追う。今回はいつも以上に、厄介なことに巻き込まれそうな気がした。
普段は家で勉強をするけど、ずっとそうしていると息が詰まりそうになる。特に今日は地元で二日にわたって祭りが行なわれるため、神輿を担ぐ人達の掛け声や人々の賑わいが外から聞こえてきて、気が散りやすい。明日、友達と祭りに行く分、今日はしっかりやっておきたいし、気分を変えたくて図書館を利用している。
図書館が閉館する十分前に私物をリュックに入れ、僕は席を立った。足早に出入り口へ向かう。
「ん?」
視界の端で何かが光ったような気がした。視線を動かすと、リサイクル本が置かれたブックトラックがある。図書館での役目を終えた、自由に持ち帰ることの出来る本が並んでいる。
いつもなら素通りするところだけど、その一番下の段の角にある一冊のハードカバーの本が妙に気になった。背表紙には何も記載がない。僕はそれに手を伸ばしてトラックから引き抜き、ワインレッドの表紙を確認する。
『四つの感情・短編集』
喜怒哀楽のことだろうか。パラパラと捲ってみたけど、たしかに短編集のようで、物語が四章に分かれている。
汚れや破損もなく綺麗だし、短編なら時間をかけずに読めそうだ。
僕はその本をリュックにしまい、図書館を出た。家はすぐ近くだけど、目の前を通り過ぎて十字路を左折すると、本屋があった。いつの間にか出来ていたようで、気になっていた。
古民家風のそれに近付き、『蒼月書店』の立て看板を確認する。軒先には鈴蘭のような小さな白い花を咲かせた植物が植わっていた。
どうやら、飲み物をオーダーして二階で本を読めるらしい。今日はその時間がないけど、本屋をチェックすべく、僕は本屋の扉を開けた。
僕の周囲では様々な死が起こっている。
近所の交差点では交通事故が起こり、電柱に花が手向けられている。
以前、勤めたバイト先の先輩は川に投身自殺したっていうし、僕の叔母は津波に流されて亡くなった。
ニュースでは、交番の警官が殺される事件が報道されている。写真でしか知らない僕の祖父も警官だった。ライフルを持った男に撃たれて、この世にはいない。
漠然と、でも確かに、死に対する恐怖を感じていた。
いちいち数えてないけど、僕は、十階以上はありそうなマンションを見上げた。社会人になったらいつかは、マンションに住むこともあるかもしれない。
でも、高所恐怖症の僕は、このマンションの上の方には到底住めない。就活が始まって、そんなことも考えることが増えた。
そばのバス停には、女の子を抱き上げた父親らしき人がバスを待っていた。僕が就活カバンと買い物袋を手にその後ろを通り過ぎようと近付くとバスが到着し、父親がバスに乗り込もうとする。
「あっ」
僕は女の子が落としたキャラクターのぬいぐるみを拾った。振り返った父親にわたす。
「すみません、ありがとうございます」
僕は軽く会釈した。父親はバスに乗る。
「落とさないように気をつけて」
「んー」
女の子が父親からぬいぐるみを受け取ると、バスの扉が閉まった。
僕も将来、あんな感じになるんだろうか。
アパートに着くと、一階の僕の部屋の扉に寄りかかるようにして立つ彼女に気がついた。
「美鈴?」
僕が驚いて声をかけると、美鈴はうつむいていた顔を上げた。
「孝(こう)くん!」
彼女は、孝志郞である僕を孝くんと呼ぶ。
「どうしたんだ?」
「ごめんね、急に来て。一応、連絡はしたんだけど」
僕はスマホを取り出して確認した。美鈴からの着信履歴が残っていた。
「気がつかなかった、ごめん」
「ううん、いいの。面接だったんでしょ?」
僕が着ているスーツを見て彼女は言った。僕は頷く。
「何かあった?」
「ちょっと、相談したいことがあって・・・・・・」
彼女は僕から視線を外してそう言った。
「わかった。とりあえず、中に入ろう」
僕は部屋の鍵を開けて、彼女を招いた。狭いワンルームだ。買ったものを袋から出していく。
彼女は小さなソファに腰を下ろし、僕の作業が終わるまで待っていた。僕も椅子に座ると、彼女は口を開いた。
「あのね、困ってることがあって。・・・・・・これ」
美鈴はバッグから白い封筒を取り出して、僕に差し出してきた。僕はそれを受け取る。
「見ていいの?」
彼女はコクリと頷いた。中を確認すると、僕は驚愕して、すぐには何も言えなかった。
「ストーカーがいるみたいなの」
大学内で友人と話している様子の美鈴が写ったものと、美鈴のアパートの前で撮られた写真。
さらに便箋が一枚入っており、「今日も美鈴の元気な姿が見られて良かった」と書かれていた。
「最近、帰宅途中で誰かに尾行されているような感覚があったの。気のせいかと思っていたんだけど、それがポストに投函されてて。今日、バイト先の個別塾の前に不審な男がいるって同期の子が話していたから、余計に不安になったの。それで、ここに来た」
ストーカー。自分の彼女がそんなことになっているなんて。
「もっと早く言ってくれても良かったのに」
「孝くん、今は就活で忙しいかなって思ったから、すぐには言えなくて」
あぁ、そうだ。美鈴はこういう子だ。
「僕も最近、会えてなくてごめん。会っていたら、もう少し早く話を聞けていたな」
僕は写真と便箋を封筒にしまった。
「警察に連絡しよう」
「えっ」
美鈴は驚いたのか、声を上げた。
「やっぱり、そうなるの?」
「それはそうだよ。何かあってからじゃ、遅い」
「うん・・・・・・」
僕は美鈴の様子に首を傾げた。
「まだ何かあるのか?」
「何ていうか、警察にお世話になるって大事になることに、戸惑うというか。こんなこと、今まで経験ないし、それに・・・・・・」
美鈴は目を伏せた。
「気になることがあるのか?」
「似ていたの。幼馴染みに」
「幼馴染み? 美鈴の?」
彼女は頷いた。
「中学まで一緒だった。卒業と同時に私のうちが引っ越して、それから会わなくなったんだけど、人づてに投身自殺したって話を聞いて」
僕は目を見開いた。
「だから、そんなはずはないんだけど、バイト先の窓から外を窺ったときに少し見えた顔がなんとなく似ているような気がして」
「それで躊躇っているのか?」
「引っ越し前に、告白されたことがあるの。断った相手だから、なんだか気になって」
「・・・・・・そうか。でも、相手が誰にせよ、この写真にあるように、美鈴のアパートは知られているわけだろ? 知り合いなら普通に声をかければいいのに、そうしないでやっていることはストーカー行為だ。警察には相談した方がいいと思う」
僕はハッキリそう言った。もっと直接的に、美鈴に接触してこないとも限らない。早めに手は打っておくべきだ。
「このままじゃ、不安だろ?」
「・・・・・・うん、そうだね」
「とりあえず、しばらくは僕の部屋にいた方がいい。警察が対応するときは、僕もいるから」
「でも、就活は? 面接はあるの?」
「それは・・・・・・」
明日も面接がある。特に気になっていた企業だ。
「気にしなくていいよ。他にも受けているものはあるし・・・・・・」
「ダメ! 大事な就活だよ。面接があるなら、受けて。私は大丈夫だから」
僕が何か言おうとすると、彼女はかぶりを振った。
「それなら、面接が終わった後で。夕方には帰ってこられるはずだから」
「うん。ありがとう」
不安になっているだろう美鈴をベッドの中で抱きしめて眠ったはずだった。
「ここは?」
知らない通りにぽつんと、僕だけがいた。周囲には誰もいないけど、目の前に青磁色の屋根の小さいメルヘンな店が建っていた。立て看板があり、おすすめのケーキのラインナップが書かれている。
「中に入れ」
急に声が聞こえて、入り口のそばにある白いベンチに視線を移した。そこで寝そべるグレーの猫が僕をじっと見ていた。吸い込まれそうな瑠璃色の瞳をしている。
今の声は、この猫?
いや、そんなわけないと思い直したけど、この店は何故か気になった。一人でメルヘンチックな店に入ることなんて普段ならしないけど、今回は思い切って扉を開けた。
「いらっしゃいませ」
ショーケースの奥にいる女性店員が振り返って、微笑んだ。綺麗な翠色の瞳が印象的で、この店によく似合う可愛らしい女性だ。
ショーケースの中には様々なケーキが並んでいる。美鈴に買っていこうか。
しかし、種類が多くて選べない。
「おすすめはありますか?」
「では、こちらのオペラはいかがでしょう? 当店のイチオシです」
店員は、ショーケースの一番下の段にある横長の細いケーキを指した。チョコレートケーキのようで、金箔が乗っていて高級感がある。美鈴はチョコが好きだし、これがいいかもしれない。
「じゃあ、これとショートケーキをお願いします」
自分の食べる分は王道と決めていた。
店員が用意してくれている間、店内を見渡した。内装は白と茶色で統一しているが、キノコや小人などをモチーフとした雑貨が飾られており、窓の形が丸くてやはりメルヘンだ。
「お待たせしました。どうぞ」
店員はケーキを入れた白い箱を、ショーケースの上に乗せた。
「ありがとうございます。いくらですか?」
僕はポケットから財布を取り出しながら尋ねた。
「そちらのケーキはサービスです」
「えっ?」
聞き間違いかと思った。
「いや、払わないわけには・・・・・・」
「それでは、少し話し相手になって下さい」
笑顔でそう言われてしまった。お客さんが来なくて暇なのだろうか。
「お客様は、当店に来店されるのは初めてですね」
僕は首を縦に振った。
「学生さんですか?」
「そうです」
「この辺りにお住まいで?」
「えっと・・・・・・たぶん、違います」
「たぶん?」
「気付いたら知らない通りに来てしまっていて。そしたら、この店が気になって立ち寄ったんです」
「迷子になってしまったんですね」
そう言われると、恥ずかしい。
「それじゃあ、迷子から抜け出すために、本当のことを思い出さなくてはいけませんね」
本当のこと?
「あなたの家はどこでしょう?」
「僕は・・・・・・」
いつものアパートの一室が思い浮かんだ。
「それは、本当にあなたの家?」
僕が答える前に、店員は質問を重ねてきた。
「どういう意味ですか?」
「本当のあなたは、どういう人? 何をしている人でしょうか?」
僕は目を瞬いた。店員の質問の意図がわからない。
「僕は大学生で、就活生でもあります。高いところが苦手です。一人暮らししてますけど、今は彼女もいます。ケーキを買ったのは、彼女のためでもあります」
「それは今、あなたが認識しているあなた自身ですね。私が訊いているのは、本当のあなたのことです」
すると、店員の瞳が一瞬、光った気がした。その途端、頭痛と共に、脳裏に何かのイメージが浮かんできた。
たくさんの本棚、窓際の座席。
見覚えがあった。
「これは・・・・・・図書館?」
図書館なんて、最近行っていないはずだ。
「そこで、あなたは何を?」
イメージが続く。リュックを背負い、座席を立って出口に向かって・・・・・・。
ワインレッドが思い浮かんだ。
「うわっ」
身体が揺れ、足で踏ん張った。地震かと思ったけど、違った。空間が歪んでいる。
「あぁ、ここまでのようですね」
彼女はため息を吐いた。
何だ、これは? どうなってる?
「この後、何があっても、自身の感情に飲み込まれないように気をつけて」
「えっ?」
「負の感情は、ぎゅっと捕らえてなかなか放してくれない。でも、あなたの心はあなたのもの。支配されないようにね」
そう言うと、店員は掌を僕に向けた。そこから翠色の光があふれてきて、あっという間に僕を包んだ。
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