第2話 エングルフィールド公爵家



 私は馬車に揺られながら、これからの身の振り方を考える。

 正直、突然の魔力量の低下やアラスター殿下との婚約破棄など、怒涛の展開がここしばらく続いていて、精神的に疲れている。実家でのんびり羽を伸ばしたいところなのだけれど。

 私にはそうもいかない理由があった。


 ――一つ年下の義弟、スノウ・エングルフィールドが屋敷にいるからだ。


 現在十七歳のスノウはエングルフィールド公爵家の跡取りとして父の補佐をしながら、領地に出没する魔獣を討伐し、領民にもとても慕われている青年だ。

 彼の身分の高さや見目麗しさから、同年代のご令嬢たちから熱い秋波を寄せられている。影では『氷雪の貴公子』などと呼ばれているらしい。


 そんなスノウは幼い頃は私に懐いていて、とっても可愛い義弟だったのだけれど、ここ数年は大寒波レベルで冷たい態度を取ってくる。

 スノウに私の近況や家族の様子を尋ねる手紙(便箋で平均七枚)を送っても、『僕もお義父様も元気だよ』と一言しか返してくれない。……私はスノウが心配しないように、アラスター殿下や他の婚約者たちと仲良くなれましたよ、とか、四人の王妃様たちから妃教育の成績を褒められましたよ、とか、逐一報告していたのに。


 上位貴族が集まるお茶会でスノウに会えた時はとても嬉しくて、私はアラスター殿下の隣から手をブンブンと振った。すると、スノウはあの綺麗な顔からすべての感情を消し去り、「そうやって他の婚約者たちと一緒になってアラスター王太子殿下を囲う義姉さんは、まるで光に纏わりつく蛾のようだ」などと、とんでもない嫌味を言ってきた。


 城の夜会でアラスター殿下とダンスを踊っている時なんて、会場の端からジーッと睨みつけてきたりするなど、とことん私を嫌っている様子なのである。


 私がスノウに何かした記憶はないから、きっと反抗期になのだろう。彼が私に冷たくなったのも、そういえば私がアラスター殿下の婚約者に本決定した十四歳の頃からだったし。心に鋭いナイフを抱えることが多くなる年頃よね。もういい加減、反抗期を卒業してもいい頃だと思うのだけれど。

 ……なんて。スノウは反抗期継続中だと思い込まないと、とてもつらい、というのが私の本音だ。

 私自身は彼のことが義弟としてずっと可愛いままなので、本当はずっと彼の冷たい態度に傷付いている。

 でもスノウに「そんなにお義姉様のことがお嫌いですか!?」と真正面から問い質して、肯定されてしまったら、姉らしい態度なんて取れなくなってしまう。きっと子供のように泣いてしまうわ。


 ……どうしましょう。エングルフィールド公爵家に帰って、スノウと上手くやっていける気がまったくしないわ。


 私は馬車の窓を覗き、刻々と領地に近付いていく街道の様子を眺めながら、深い溜息を吐いた。



 王家から派遣された護衛騎士のお陰で道中の魔獣被害も問題なく進み、馬車旅から三日目の夕刻にはエングルフィールド公爵領の巨大な城塞が見えてきた。商人や冒険者たちが並ぶ領門を顔パスで通過し、最奥部にある山を目指す。山を切り開いたその頂上付近に公爵家本家の屋敷があり、中腹や麓には分家の屋敷群が続いているのだ。山の下は領民が暮らす街が広がっていた。


 これからのことを考えると、非常に気が重い。

 父に魔力量低下とアラスター殿下との婚約破棄を伝えることも気が重いけれど、スノウから「出戻ってきたんですか、義姉さん」と冷たい目で見られることも非常につらい。

 何より、エングルフィールド公爵家実子の私が出戻ってしまったせいで、あの子の立場はさらに複雑になってしまう。……ますますスノウから嫌われそうで怖いわ。


 キリキリと痛む胃をドレスの上から撫でつつ、私は覚悟を決めて馬車から降り、屋敷の玄関へと向かった。すでに王家から婚約破棄の通達が届いていたのか、玄関扉を開けてくれる従者に「おかえりなさいませ、ルティナお嬢様。すでに公爵様が玄関ホールでお待ちです」と、こちらを気遣う様子で告げられてしまい、とても申し訳ない気持ちになってくる。

 スノウに冷たくされるのも怖いけれど、父や使用人たちに心配をかけるのも心苦しいわ……。

 でも、もう帰って来てしまった以上は引き返せないもの。

 魔獣討伐の時と同じく、女は度胸よ!

 私は明かりの灯った玄関ホールへ足を踏み出すと、「ルティナ・エングルフィールド、ただいま王都より帰還いたしました」と、思いっきり頭を下げた。


 すると、真正面から甘く低い声が聞こえてきた。


「おかえり、義姉さん。王都の城まで迎えに行けなくてごめんね。本当は迎えに行きたかったんだけれど、僕が義姉さんが婚約破棄して帰ってくるって聞いたのが、領地の外れに魔獣討伐に出ている時でさ。これでも急いで魔獣を倒して帰ってきたんだよ。義姉さんを迎えることが出来て良かった。とりあえず顔を上げてよ、義姉さん」


 促されるままに顔を上げると、目の前には朝日に照らされた雪のようにキラキラ輝くプラチナブロンドと、流氷のようなセルリアンブルーの瞳が印象的な義弟の顔があった。

 ご令嬢たちから『氷雪の貴公子』などと持て囃されているのも頷けるほどの端正な顔立ちなのだけれど、――今日は何故か、見たこともないような甘い微笑みを浮かべていた。


「???」


 一体どうしたのですか、スノウ?

 確かに、私がアラスター殿下の婚約者に決まる前までは、スノウもよく頬を上気させた可愛らしい笑顔を見せてくれていたけれど。

 でもそれは、こんなに色気っぽいものではなかったはずなのに。


「義姉さんの魔力量が急に低下したって聞いたけれど、体調のほうはどう? どこかに痛みとか、吐き気とかはある? すごく心配だよ」


 スノウはこちらを労わるような表情に変わり、私の手を両手で握る。たぶん医師でも患者の手を握っただけでは相手の体調を見抜くことは出来ないと思うのだけれど、スノウはどうして手を握ってくるのかしら……?


「い、いえ。体調はいつも通りなんです。私はすこぶる元気ですよ」

「それなら良かった」


 スノウは本気でホッとしたように肩の力を抜いた。……私の手は握ったままだけれど。

 思春期に入ってから私たちの間に家族としてのスキンシップはなくなっていたので、スノウに触れられていると妙に居心地悪く感じてしまう。


 義弟のあまりの豹変ぶりに戸惑っていると、玄関ホールの奥から「ルティナ」と名前を呼ばれた。執事や使用人に囲まれて落ち着いた様子でそこに立っていたのは、父のエングルフィールド公爵だった。


「お父様! ただいま帰りました!」

「おかえり、ルティナ」


 父はこちらを労わるような表情を浮かべて、私の頭を撫でた。たったそれだけで胸がじ~んと暖かくなる。


「きみの身に起きたことは王家から手紙をもらっている。心身ともにとても大変だっただろう。今後のことは明日以降話し合うとして、今夜はゆっくりと過ごしなさい。もうじき夕食も出来上がるよ。ルティナの好きな料理を用意させたからね」

「ありがとうございます、お父様……!」

「スノウも、いい加減ルティナの手を離しなさい。きみの気持ちも分かるが、この子は移動の疲れもあるからね。今後はまたエングルフィールド公爵家で暮らすのだから、離れていた距離を埋める時間はいくらでもあるだろう」

「……承知いたしました、お義父様。お義姉様、せめて部屋までエスコートしてもいいよね? 疲れが出て、廊下の途中で倒れるかもしれないし」

「流石にそこまで疲れてはいませんけれど……。分かりましたわ、スノウ」


 父はなんだか呆れたような表情でスノウを見ていたけれど、「まぁ、好きにしなさい」と言って、私をエスコートするスノウを見送った。私のトランクを持った従者が後ろからついてくる。


 殿下と婚約してからスノウにエスコートしてもらえたことなど殆どないせいで、やっぱり妙にドキドキしてしまう。関りの薄かったこの数年で一気に背も伸びて、体つきもすっかり男性のものになってしまったみたいだ。スノウは昔からいつ魔獣討伐が入っても動けるように騎士服を着ていたけれど、それが今では随分しっくりしている。


 私がスノウを観察し過ぎたせいか、彼はこちらの視線に気が付き、首を傾げた。


「どうかした、義姉さん?」

「いえ、その……。あなたの態度が随分と変わったと思いまして」

「……ああ、そうだね。僕は今まで義姉さんに出来るだけ関わらないようにしていたから、急な変化で戸惑うよね」


 スノウの台詞に、『あぁ、やはり避けられていたのだな』と改めて思うと、胸にグサリと来るものがある……。


「僕と義姉さんは家族だけれど血の繋がりはないから、嫉妬にトチ狂った僕がそれを言い訳にして行動を起こさないように、義姉さんから離れたかったんだ」

「それはどういう意味ですか? あなたの主観に寄り過ぎていて、よく分かりませんわ。ちゃんと説明してください」

「いや。義姉さんに伝える時はきちんと伝えたいから、今はいいや」


 タイミング良く私の部屋の前に到着すると、スノウはこう言った。


「今まで冷たい態度を取っていてごめんね、義姉さん。あなたを僕から守るためとはいえ、義姉さんを傷付ける行為だったと思う。義姉さんが僕を怒りたいのも当然だから、甘んじて受け入れるよ」

「スノウ……」

「今は僕に対する好感度がマイナスかもしれないけれど、これからは挽回する。義姉さんに世界で一番優しくするし、大切にするから」


 いえ、そこまでしてほしい訳ではないのだけれど。昔みたいに仲の良い義姉弟に戻れれば、私はそれで十分嬉しい。

 ……そうスノウに言いたいのに、彼の表情があまりにも真剣で、私は余計なことを口に挟むことが出来なかった。


「えっと……。ありがとうございます、スノウ……?」


 なんと返事をすれば正解なのか分からず、とりあえずお礼を言うと。スノウは晴れやかに破顔した。


「義姉さんがエングルフィールド公爵家に戻って来てくれて、僕は本当に嬉しいよ」


 急にスノウのそっけない態度が激変してしまって戸惑ったけれど、これも義姉のことを心配してくれたり、再会を喜んでくれたりしたことの結果なのかしら。……それならすごく嬉しい。


「またスノウと仲良くなれて嬉しいです。これからよろしくお願いしますね?」

「うん。よろしく、義姉さん」


 その夜は久しぶりに家族三人水入らずで夕食を採った。私の好物のカトプレバスのローストもあって、スノウが「これは今日の討伐で僕が倒したんだよ。ルティナの帰宅に間に合って良かった」と言っていた。

 カトプレバスは牛のような見た目をしていて、お肉の味はすごく美味しいのだけれど、石化能力があるから討伐が大変だ。貴族が討伐に出ても犠牲が出ることがあるので、高級肉扱いをされている。それだけスノウが頑張ったということだ。


「すごいわ、スノウ。あなたの活躍でこんなに美味しいお肉が食べられて、とても嬉しいです」


 私はスノウのことをたくさん褒めちぎり、楽しい夕食を過ごすと、自室へと戻った。




【あとがき】

お読みいただきありがとうございます!!!

こちら中編コンテストに応募中のため、冒頭4万文字ほど投稿する予定です。

何卒よろしくお願いいたします!!!

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