第5話 さようなら、ふるさとの家よ④
それから間もなく人数分の食器を抱えたヒルドと温めた昨日の残り物の羊の肉を煮た料理、そして、パンが食卓に並んだ。普段食べる肉はヒルド達が狩りで仕留めたウサギや鳥、トナカイなどをたまに食べることはあるがこの深い森でわざわざ人里に近づく動物は滅多にいない。泊りがけで狩りに出かけても手ぶらで帰ってくることも少なくない。羊や山羊は村で飼っているが、服を作る材料にしたり、ミルクをとったりするため滅多に食べることはない。昨日の晩に旅を祝う宴と私の誕生日を祝う為に貴重な羊を捌いてくれたのだ。普段では口にできないご馳走を村を挙げて作ってくれた。その残り物だ。
「今日も羊肉が食えるなんてある意味幸運だな」
我先にと自分の皿に羊の肉を移しながら言った。
「あーもう! 恥ずかしいことばっかりしないで! アルが先でしょ!」
「あー分かったよ。ほらよ。アル」
そう言って自分で食べようとしていた器をアルに差し出す。それ自体が十分失礼な行為なので注意しようとしたが、声を荒げるのが得意ではない私は何も言わないアルに甘えて黙っていた。ヒルドとお義父さんがみんなの分を盛り付けて席に座る。
「では、いただこう」
お義父さんの掛け声と同時に皆、食事をむさぼり食う。旅に出る事や騎士団を迎えることへの緊張と長い時間待ち続けた疲労で本当にお腹が空いていたことに気が付いた。ふと、アルの方に目を向けると食事に手を付けようともせず黙って座り続けていた。そうか。我々にとっては滅多に食べれないご馳走でも彼には食べる気にもならないほど粗悪な食事に見えるのだろう。きっとこの黒く硬いパンも見たこともないんだろう。目の前のご馳走を嬉しそうに貪り食う自分の姿が恥ずかしくなって持っていたスプーンを置こうとした時、隣に座っているシグがまた、何も考えずに言い放った。
「ほら、何じっとしてるんだよ。お前も遠慮せずに食えよアル」
そう言われたアルはジッと私の顔を見つめてきた。え? これも? と思いつつ「ど、どうぞ」と首を縦に小さく振る。
「……分かった。頂きます」
彼の真意はわからなかったが、そう言うと目の前に取り分けられた自分のための食事を食べ始めた。まるでお預けを教え込まれた犬の様に見えた。きっと聖教会でそう教えられてきたのだろう。歳が自分よりも下であると分かったこともあり、どうにも手が掛かる弟ができたようで、ちょっと困ったような嬉しいような複雑な感情が胸を躍らせた。
――しばらく黙って食事をしているとヒルドの父親が席を立ちアルの斜め前まで移動して膝をついて頭を下げた。村の村長であるシグのお父さんのシグムンドさんに次ぐ有力者である義父が頭を下げている姿を見るのはこれが初めてだった。そして皆がその姿に戸惑っている中、言葉を発し始めた。
「騎士様。この度、私の娘とそこの馬鹿者が聖女の巡礼の旅に同行致します。村では一・二を争う実力者ですが、騎士様にとってはお役に立てるどころか足手纏いになると存じます。ですが何卒、二人の身もエイル同様お守り頂きたく――」
「私の役目はエイルを守り聖地を巡ることだ」
お義父さんの言葉を遮るようにアルは言い放った。
「……そ、それならば、やはりヒルドの同行はなかったことに――」
「お父さん!」
今度はヒルドがお義父さんの言葉を遮った。
「これまでずっと何度も話したじゃない! エイルは私の妹なんだから旅に同行してこの子を守りたいって。何を今更――」
「――もちろんエイルの身は案じている。しかし、騎士様の実力であればお前もシグも必要ないはずだ。実際先ほど足手纏いと言われたではないか!」
「そりゃ……アルに比べれば私たちの力なんてないに等しいかも知れないけど、エイルには私たちが必要なはずよ。そうでしょ? エイル」
私の声を遮るようにお父さんは声を荒げた。
「お前たちがいることで逆にエイルを危険にさらすことになるかもしれないだろ! なぜそんなことがわからんのだ!」
「……っ」
そう言われてヒルドは言葉を詰まらせた。
「俺は今よりずっと、いや、アルよりも強くなってみせる。ヒルドは俺が命を懸けて守る。だからおっちゃんはこれ以上口を出すな!」
黙って聞いていたシグが言葉を選ぶようにヒルドの父親に食って掛かる。
「先ほど騎士様に手も足も出なかった男が何を粋がっておるか!」
「――なんだと!」
立ち上がり、再び椅子を勢いよく倒すシグはお義父さんに掴みかかった。一触即発の状況に慌てた私はアルにすがるように懇願した。
「アル。どうか二人も一緒に守って。私は二人がいないとこの旅を安心して続けられないの」
その私の言葉を聞いたアルは私に目線の高さを合わせてじっと見つめながら言った。
「エイル。君が必要なのであれば私は二人も全力で守ろう。しかし、全員を助けられない状況になった時はエイルを優先することになる。それでいいか?」
アルの美しい顔でじっと見つめられたことが恥ずかしくて全力で下に首を下げた。それをアルは了承と受け取ったようだ。
「御仁。エイルにとって二人はどうしても必要な者たちのようだ。できる限り安全な旅を続けられるよう配慮する。いかがだろうか?」
「――おお。お心遣い痛み入ります。どうか娘を、娘たちを宜しくお願い致します。」
お義父さんはその言葉を聞いて再び床に膝を付いてアルの両手を握って額を付けた。その姿を見て皆が安堵の表情を浮かべた。お義父さんもシグも不安だったのだ。私を含めシグもヒルドも隣の町までしか言ったことがない田舎者だ。唯一世界中を旅したことのあるシグムンドさんも右腕に大けがを負って帰ってきたらしい。誰も口には出さなかったが世界を旅するという想像すら覚束ない未知への恐怖に足掻くように訓練を重ねてきた。そんな不安を一蹴するほどの強さを見せたアルはたった一言で、世界を救うという重圧と未知の恐怖心に囚われ続けてきた私たちの心を救いだしてくれた。
「アル! すぐにお前に追いついて見せるからな! いつか俺がお前を助けてやる!」
「ああ」
この正反対に思えるほど性格の違う二人の男たちはなぜか上手くかみ合っているようだ。それから食事も終えて一息ついていた時、ヒルドは私たちのことをアルに話し始めた。
「私とシグは元々この村で生まれて物心ついた時から一緒に育ったの。それこそ兄妹かってくらいずっと一緒だったわ。で、ある日いつものように二人で遊んでいるとボロボロの格好でエイルを抱きかかえた男の人が村にやってきたの。そして、エイルを私に託して直ぐに何処かへ消えてしまった。私がエイルを抱きかかえてお父さんのところに行くと大騒ぎになって村中の人間でその男の人を探し回ったんだけど見つけられなかったの。それで、村人全員が集まってこの子をどうしようかって話し合いになったの。その時、私はこの子は私の妹よって言ったらしくて色々な意見はあったらしいけど泣いて食い下がる私に気圧される形でその日からエイルは私の妹になったの――」
そういうと、ヒルドは私を見て優しく微笑んでくれた。もしかしたら、先ほどの父の姿を見て私に気を使ってくれたのかもしれないと思ったが素直に嬉しかった。
「――エイルが十歳になったある日、私たち三人で森の中で遊んでいるとケガをした小鳥が地面でグッタリしているのを見つけてね、どうしようかと思っていたらエイルが迷わずその小鳥を手で包むように抱き上げたの。そうしたらその手の中から光が溢れてね、グッタリしていた小鳥が元気になったの。私もシグもワクワクして――って、あー、まー、それはいいんだけど――」
と気分が盛り上がり白熱していた昔話を急に濁して冷静になった。理由は簡単だ。当時そのことを嬉しそうにお義父さんに話したところ、決して誰にも言うなとかなり厳しく言いつけられたからだ。私が聖女であることを隠そうとしたことがばれれば恐らくお義父さんは死罪となる。決してそのことをアルに伝えるわけにはいかなかった。
「そんな出来事があってから暫くして、私とシグはお父さんたちと一緒に隣町に行ったの。エイルは小さかったし体調を崩したから村でお留守番してたんだけどね。そこで町の子ども達が可愛がっている山羊が怪我をしたって言って騒いでいたの。その時にシグがエイルなら光る手で治せるから連れてきてやるって言ったのね。それでエイルが聖女であることが分かったの」
そう……それからシグは自分のせいでエイルが連れて行かれると泣いて落ち込み、次の日からは『俺が強くなって守ってやる!』と言って鍛錬を始めた。ヒルドも同じく『だったら私も行く!』とあの日から昨日の私の十六の誕生日まで修練を欠かしたことはなかった。そんな強い覚悟と必死の努力を重ねてきた二人があっさりと敗北し、足手纏いと言われたのだから怒るのは当然だった。
「私たちの話は大体こんな感じかな。それでアルは? どうやってそんなに強くなったの? 聖教会ってどんなところ?」
「私は生まれた時から強い。聖教会について話すことは無い」
表情一つ変えずに淡々と答えるアルの態度にシグがまたイライラし始めた。
「は? なんだよそれ。こっちの話を聞いておいてお前は何も言わないつもりかよ?」
じっと黙ってヒルドの話を聞いていたシグは相変わらずのアルの態度に怒りを募らせているようだった。
「私からは何も聞いていない。ヒルドが勝手に話をしただけだ」
「なんだと!」
「まぁまぁ。話したくないなら別にいいの。じゃあさ、アルはこの旅が終わったらどうするの? 私の夢はこの旅が終わったらみんなでまた村に帰ってきて穏やかに過ごすこと。エイルもそうでしょ? シグは英雄になって聖教騎士になりたいらしいけど……」 とヒルドは冷ややかな目でシグを見る。
「私は成すべき事を成す。それだけだ」 シグを宥め話を続けるヒルドの質問にやはり冷めた態度でバッサリと切り捨てた。
「お前には自分の意志ってものがないのかよ」 その冷めた態度に呆れたシグはアルに質問した。
「私に意思は必要ない。成すべき事を成すだけだ」
「――あーそうかよ。流石は聖教騎士様だ。ご立派な事で。お前みたいな人間にならなきゃ騎士に成れないってんなら騎士になんかなってたまるか!」
その冷めきった言葉にさすがのヒルドも次の言葉が見つからなかったようだ。
私はヒルドがアルに話をしている間黙っていた。思い出してしまった。私が聖女であることを知った瞬間からお義父さんは父親ではなくなったことを。先ほど義父がアルの手に頭を押し当てて願ったのは実の娘のヒルドの安全であり、それには私は含まれていなかった。もちろん私の旅を止めようとすれば教会に罰せられるのだから立場上反対することはできない。そんなことはわかっている。でも私が聖女であると認識した日から村人全員の私を見る目が一変した。皆が優しく気を使ってくれるほどに心が離れていくのを子供ながらに感じ取っていた。そんな中で変わらず接し続けてくれたのがシグとヒルドだった。元々親のいなかった私にとって二人の存在は心の拠り所だった。依存といったほうが正しいのかもしれない。
そして気が付いてしまった。いかにアルが私に気を使い、大切にしてくれたとしてもそれは彼の意志ではなく使命だからなんだ。二人がいない旅はやはり想像し互い苦痛だった。
「気が付いたらずいぶん外が暗くなってきたわね。今日は早く休んで明日、みんなが起きる前に出発しましょう。隣町までかなりの距離よ。エイル大丈夫?」
「……うん」
昨日盛大に見送られて意気揚々と出発した手前、もう皆に顔を合わせたくなかった。私たちは誰にも会わないように夜明け前に出立することに賛同した。
「アルはシグと一緒にシグの家に行って休んでね」
「は? 何でだよ! 俺もここに泊まらせてくれよ。家に帰ったらみんなに何て言われるか。それに……」
シグはちらっとアルを見て再びヒルドに視線を戻してヒルドの耳元で「あんな不愛想な野郎とどうやって接したらいいんだよ!」とアルに聞こえないように耳打ちした。
「知らないわよ! アンタそういうの得意なんだから自分で何とかしてよ。それにエイルをアンタたちと一緒の部屋で眠らせるなんてできるわけないでしょ!」
「なんでだよ! どの道、明日から一緒に旅に出て野営するってのに今更何の心配してんだよ! 頼むよ。ヒルド」
「嫌よ。狭いもん」 ヒルダはそっぽ向いてシグに意地悪をする。こういう時のヒルダは凄く楽しそうな表情をする。
「この机よけて床で寝るから。頼むって」 そう言ってシグは今にもキスをしそうな程顔を近づける。予想外の反撃に面喰らったヒルダは真っ赤な顔になってシグの胸を押して離した。
「あー、もー、近いって/// わかったから! おとうさん。シグとアルをウチに泊めるよ?」
「……好きにしなさい」そう言い残してお義父さんは自室に入っていった。
「ありがとう。おっちゃん」
そういうとシグは早々に自分たちが休む場所を確保するために片付け始めた。
「ったく。アルも悪いけどここで休んでね」
その言葉を聞いてアルは私の顔を見つめてきた。首を縦に振った後、自室に向かった。
「わかった。そうしよう」
後ろから聞こえるアルの声に心がざわついた。「おやすみー」と言って後から入ってきたヒルドは私がいつもと違うように見えたのか後ろから抱き締めてくれた。
「大丈夫? 今日は大変だったね。アルは変な奴だけど悪い人ではないと思うわ。きっと私たち全員を守ってくれるよ。それにしてもあんなに強い人がこの世界にはいるんだね。自分は随分強くなった気でいたけどまだまだだなー」
私を慰めようとしてくれているヒルドの言葉は自分自身も慰めているように聞こえた。私がそうであるようにヒルドも色々な感情が込み上げていたのだろう。
「私に意思は必要ないっていうあの言葉。どういう意味なんだろうね」
ヒルドに問いかけてみた。
「さぁ。どうだろう。まるで自分自身を無くしてしまったみたいに見えたわ。あの強さにしてもそうだけど、どんなふうに育てられたらあんな風になるんだろう? もしかしたら私たちでは想像もできないほど厳しい環境で育てられてきたのかもね」
確かにそうだ。十四歳であの強さや感情の無さは異常だ。私は心のどこかで自分は世界一不幸だと考えて生きてきた。でももしかしたらアルは私よりもずっと不幸な生い立ちなのかもしれないと思った。そう考えると勝手に彼に同情や慈しみの感情が芽生えてきた。
「なんにしても彼が何も言わない以上想像でしかないけどね。長い旅の間で少しでもアルが心を開いてくれたらいいね。あのままのアルと一緒に居たら息が詰まっちゃう」
そういうヒルドの言葉に二人で声を殺すようにクスクスと笑いあった。
「あの二人大丈夫かな? 朝まで二人っきりで喧嘩とかしないかな?」
「まぁ大丈夫でしょ? 喧嘩したところでアルには絶対に勝てないし、シグのことだから朝には忘れてるんじゃない?」
「そう……だね」
一抹の不安を感じながら明日からの旅に備えて眠りにつくことにした。今日は心身共にすごく疲れた。前日もまともに眠れなかったこともありいつもならまだ夕食も済ませていない頃ではあったがいつの間にかすっかり眠ってしまっていた。
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