第78話:ベンチプレス?

 ジェイルは困惑していた。


 鉄の鎧を着てのランニングを汗一つ流さず終えたサレンディアナ。


 どう見ても身体強化をしておらず、素の状態だ。


 途中でミリーの方をみると爆笑しているので、こうなるのが分かっていたのだろう。


 ランニングが終わった今、二人の冒険者から金を巻き上げている。


 支部内で賭け事をするなと怒りたいが、弱みを握られているんで大きい顔は出来ない。


 サレンディアナの素性をジェイルは知らないが、ネグロから、一人の知り合いを娘のために送ると書類を渡されている。


(ミリーとも仲が良さそうだし、あれだけ走って疲れを見せないとは……化け物か?)


 多少口ごもりながらも実際には言葉にせず、予定通り次の訓練の準備を始める。


 今回用意した器具は最近ホロウスティアで開発されたもので、重力魔法を応用することで、筋トレの質を向上させるものだ。


 実際にやって見せたジェイルは、誰かやってみないかと声を掛けるが、ここで思わぬ人物が手を上げる。


 集まっている中で一番背が低く、成人しているが未成年と誤解される女性――ミリーだ。


(何で冒険者としているお前が手を上げるんだよ! お前はこちら側の人間だろうが!)


 なんて愚痴りたいが、そんな事を口にしたが最後、ジェイルの明日は無くなる。

 

 ――この世から去るという形で。

 

「よし、ならこちらに来て重量を指定しろ」

「了解。それじゃあ100キロで」


 強化しているならばともかく、強化無しで小柄なミリーが100キロを持てるとは、到底思えない。


 現にこの場に居る全員が無理だろうと思っている。


 機械を操作している騎士が、どうするのかと問う視線をジェイルに向けるが、頷いてみせる事しか出来ない。


 本当に持てるのかジェイルにも分からないが、断る理由もない。


「そんじゃあ……よっこいせ」


 顔を赤くしながらも、ミリーはバーベルをゆっくりと持ち上げた後に、地面へと下す。


「マジかよ……」

「強化無しで持てるなんて」

「あれ位俺だって……無理かも」

 

 まさか持てるとは思っていな面々は、驚愕の声を上げ、拍手を送る。


 一部は対抗心を持つが、それは騎士として恥ずべき行為であるため、表立って反発するようなことはしない。


 しかしミリーの行いのせいで、最低でも100キロもたなければならない空気が二十人の間に流れ始める。


 その中で一番闘志を燃やしているのは、ミシェルだろう。


 ミシェルはミリーの事を慕っており、幾度となく修行に付き合ってもらっている。

 

  弟子(自称)である以上、それなりの結果を出さなければと、意気込んでいる。


「凄いものだな。次は誰がやる?」 

「俺がやります。重さは150キロでお願いします」

「良し、前に出ろ。一応言っておくが、無理だと思ったら直ぐに辞めるように」

 

 次に手を上げたのは、サレンの次に最後まで走っていた男だ。


 見栄を張った重さではあるが、一度持ち上げて下ろすだけならば、大丈夫だろうと考えている。


「オラァー!」

 

 バーベルを握った男は雄たけびを上げながらバーベルを持ち上げ、ぷるぷると震えながらなんとかバーベルを下ろす。


 それから渾身のドヤ顔を決め、息を切らしながら戻る。

 

「よく頑張ったが、騎士として力の誇示はしないようにな。因みに騎士としてはバーは70キロ。剣は40キロ持てれば最低限問題ないとされているので、無理はしないように」


 ジェイルの言葉を受け、あまり筋肉に自信がない者は安堵の息を吐く。


 それからもバーベルを持ち上げたり、剣の方を振ってみたりと続いて行く。


 皆が自分の限界へ挑むように頑張る中、困ったと頭を悩ませる人物が居た。


 そう。サレンだ。


 サレンはミリーの前で、巨大なハンマーを軽々と振り回す姿を見せてしまっている。

 

 80キロを選択したところで、ミリーから待ったを掛けられるだろう。

 

 なにせ、ミリーは先程の持久走の時と同じく、誰が一番持ち上げられるか賭けをしている。


 他の冒険者はミリーの賭け対象であるサレンを疑問に思うが、流石に150キロ以上を持ち上げられるとは考えていない。


 持久走の分のマイナスが取り返せると、ほくそ笑む。


「次は私がやります! 100キロでお願いします!」


 バーベル上げをやっていないのがミシェルとサレンだけとなり、ミシェルが先に手を上げる。


 ミリーと同じく100キロを選択するが、ジェイルは大丈夫なのかと不安になる。


 契約書に怪我などをした際は自己責任となっているが、相手はネグロの娘だ。


 もしも怪我でもされようものならが、ネグロはジェイルに圧力を掛けてくるだろう。


 僅かな冷汗を流すが、無理だから止めておけなんて言うのは、流石に差別と捉えられてしまう。


 ジェイルに出来るのは、ただ見守る事だけだ。


 100キロに設定されているバーベルを、ミシェルは両手でしっかりと握って力を入れる。


 もし魔力で強化していたならば問題なく持てるが、魔力無しでは正直のところ分からない。


 だが、師と慕っているミリーが持って見せたのだ。


 (自称)弟子であるミシェルも続かなければならない。


「ふんぬー! オラー!」


 少女にしては太いが、少年にしては細い腕に力を込め、ゆっくりとバーベルを持ち上げる。


(これ位……これ位持てないと、お父さんがまた文句を言ってくる!)

 

 頑なにミシェルが騎士になるのを反対するネグロ。


 どうして駄目なのかと聞いても、危ないからとしか言わず、じゃあ冒険者はと聞けば、此方も危ないから駄目だと怒る。


 ミシェルは昔から活発な女の子であり、八歳からは将来は騎士になる事を夢見ていた。


 自己流での訓練には限界があり、


(ここでやらなきゃ……駄目でしょう!)


 何とかバーベルをあげ、次に下ろす動作を始める。


 持ち上げる時は勢いで何とかなるが、下ろす場合はそうもいかない。

 

 今にも腕の筋が切れてしまいそうなのを気合で耐え、ミシェルは何とか大きな音を出さないで、バーベルを下ろし切った。


「やりましたよミリーさん!」


 真っ赤になった手の平をミリーに向けて、ミシェルはぶんぶんと腕を振る。


 その様子に、ミリーは苦笑いながらも拍手を送った。


 ジェイルは何事もなく終わった事に、ほっとため息を零すが……。


「いた……いたたた! いたーい!」


 手をぶんぶんと振った結果、ミシェルの腕の筋かプツンと音を立てて切れてしまった。


 声を上げてもんどりを打つミシェルを見て、ジェイルは不味いと思い、救護班を呼ぼうとする。


 しかしジェイルが行動を起す前に、サレンが慌てることなくミシェルに近づいて行くのを見て、ふと書類の事を思い出す。


 ジェイルはまったく気にしていなかったが、サレンの職業の所に、シスターと書かれていたのだ。


「天に居ります我が神よ。痛みを取り除きたまえ」


 祈るような仕草をしたサレンが聖句を唱えると、天からミシェルに光が降り注ぎ、ミシェルは痛がるのを止めてキョトンとする。


 シスターとは思えない奇跡の強さにジェイルは驚愕するが、そんな驚いているジェイルに迫る影があった。


「ちょいちょい」

「ん?」


 皆の目がサレンとミシェルに向いている間にミリーはさっとジェイルの後ろ移動し、ジェイルの腕を突く。


「何だ?」

「次のサレンちゃんの番だけどさ、500キロを持つように誘導するけど、何も言わないでやらせてちょうだい?」

「何を馬鹿なことを言っている。そんな重さで持てるはずないだろう……」

「いいからいいから」


 サレンへとミシェルがお礼を言っている間に、こそこそとミリーはジェイルを丸め込み、ササっと離れていく。

 

 騎士団とは言え強化無しで500キロを持てるのは、一部の化け物位だろう。


 確かに持久走では重い鎧を着たまま走り終え、全く疲れを見せなかったが、安全を考えればたとえ本人が問題ないと言っても許可できない。


 ペコペコとサレンに頭を下げたミシェルは剣の待機列に並び、残りはサレンだけとなる。


 他の面々とは違い、サレンには貫禄があり、到底新人のようには見えない。

 

 鋭い目付きに、縛られた赤い髪。


 姿勢はまったくブレず、下手な騎士よりも騎士らしく見える。


 そんなサレンの所にとことことミリーが駆け寄り、こそこそと会話をする。


 サレンは一瞬険しい顔をするも、考えるような仕草をしてから頷き、バーベルまで歩いてくる。


「最後となるが、重さはどうする?」


 本当に500キロを選ぶのか?


 そんな不安が押し寄せるなか、サレンが口を開く。


「……500キロでお願いします。出来れば、名目上50キロと言うことで」

「………………分かった」


 本当に500キロを持つと言われ、ジェイルはしばし沈黙をした後、小さく返事をした。


 これまでの機械の操作は部下の騎士にさせていたが、ジェイル自らが操作をし、500キロに設定する。


 操作を担当していた騎士はジェイルが設定した数値に驚愕するも、ジェイルに何も言うなと視線で黙らせられる。


「設定した。持ってみろ」

「分かりました」


 サレンはバーベルを両手で持つと、まるで棒切れを持つ様に、ひょいと持ち上げた。


 ジェイルはゆっくりと目を閉じ、目を開けてから自分が設定した数値と、バーベルを持っているサレンを見る。


 そんなジェイルの後ろにはミリーと、賭けをしている冒険者の二人が来ており、数値を覗き込んでいる。


 現状を理解している者が二度三度とサレンを見るが、サレンは持ち上げたバーベルを持ち上げた時と同じ様にスッと地面に置いた。


「おいおいおい。マジかよ……」


 冒険者の一人が呟くが、それはジェイルが一番言いたい。


「……念のため確認しておこう。もしかしたら故障しているのかもしれない」


 もう一人の冒険者はバーベルの所まで行き、サレンが置いたバーベルを両手で持ち、持ち上げようとするが全く持ち上がらない。


 冒険者は顔を赤くしながらも踏ん張るが、最後には諦めた。


 ミリーは臨時収入にニコニコ顔となり、ジェイルはとんだ化け物がネグロから送られてきた事に、顔を青くする。


 勿論表に出さないように真面目な表情を崩していないが、既に胃を痛め始めていた。


 サレンはそんな冒険者や騎士から離れ、そそくさと剣の方に並んだ。


「なあ、彼女は一体何なんだ?」

「ただのシスターだよ」


 立場上あまりミリーに話し掛けてはいけないが、それでも聞かずにはいられなかった。


 なのにミリーは笑いながらはぐらかすだけで、何も答えようとはしない。


 それから基礎訓練は何事も無く終わったが、時間はまだ三時過ぎである。


 今日のスケジュールは、まだあるのだ。

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