第59話:始動
サレンの私室兼寝室。
そのベッドはいつもよりも膨らんでいた。
すやすやと表面上は安眠しているサレンと、顔を真っ赤にしながらその寝顔を眺めるライラ。
そう、二人で寝ているからだ。
(我とした事が、まさか赤子の様に泣いて寝てしまうとは……しかし)
生きていた中で、久々に感じる事が出来た、温かいと言う感情。
生まれて直ぐに疎まれたライラは、親の愛など知らない。
殴られ、蹴られる事はあっても、抱きしめてもらう事も、頭を撫でてもらう事も無かった。
それが普通。それが当たり前の人生だった。
祖父も自分の死期が近いと分かっていたのか、ライラに優しくはするが、その特訓は厳しいものだった。
ライラが一人でも生きていける様に鍛えなければならなかったとは言え、まともな愛を知らないライラは、やはり歪んでいたのだろう。
何も成すことなく、何も得ること無く、スラムの路地でひっそりと死ぬはずだった。
内に秘めたる憎悪は確かにある。だがそれ以上に、今の日常を壊されたくない想いの方が強い。
ならば……だから憂いは絶たなければならない。
ただ公爵家を滅するだけならば、ライラだけでもどうにかなるだろう。
しかし、それでは相手が公爵家から国に変わる結果となるだけだ。
国の一角を担う貴族を滅ぼせば、国の威信に掛けて下手人を放置することは出来ない。
公爵家を滅ぼすのは確定事項だが、その後も考えると、ライラだけでは心もとない。
だから、サレンの力が必要なのだ。
ライラは愛おしそうに、サレンの頬に手を当てる。
胸に抱いている思いはきっと本物だろう。しかしそれを言葉や行動で表せるほど、ライラは成熟していない。
何より、サレンに対してこんな思いを抱く事が普通なのかも分からない。
生き抜く事だけを教えられてきたライラは、祖父からはそちら方面の常識を教えてもらっていなかったのだ。
貴族子女ならば知っていて当然のことは知っていても、一般の子供が知っていて当然な事が少し抜けてしまっている。
「ありがとう。サレンディアナ」
ライラは目を閉じて、再び眠りにつく。
今の幸せを噛み締めるように。
1
ライラが再び眠りについた頃、ホロウスティアの一角で鮮血が舞った。
月は雲に隠れ、街頭が僅かに闇を照らす。
「全く。嫌になっちゃうねー。何も知らないと思ってるなんて、馬鹿みたい」
「態々自分から網に掛かってくれたんっすから、良いじゃないっすか。面倒もなくて」
血溜まりの中で、雑談する黒い二つの影。
いつもの冒険者らしい服装ではなく、黒い鉄鎧を着たミリーと、ごろつき風のままのカイン。
「中身は調べるんっすか?」
「うんや。犯人は割れてるから、そのまま処置しちゃって構わないよ」
「了解っす」
「私は報告したら上がるから、後宜しくね~」
「了解……っす」
カインは散らばった死体をチラリと見て、処置に掛かる時間を計算する。
夜が明けるまで後四時間。帰る頃には、日が昇り始めているだろう。
人員が居ればその分早くなるが、黒翼騎士団は万年人手不足なのだ。
ミリーに手伝ってくれなんて言える度胸はカインには無く、物悲しげに、去って行くミリーを見送るのだった。
そんなミリーは屋根の上を疾走し、いつもの様に窓からアランの執務室に侵入する。
初めの頃は注意していたアランも、今は窓から入ってくる事に関しては無視である。
ミリーはテキパキと鎧を脱ぎ、身軽な服装になってから冷蔵庫を開け、適当な飲み物を取り出す。
「……早く報告をしろ」
「そう急かさないでよ。これでも頑張ってるんだからさー」
いつまで経っても報告せず、ソファーでだらだらし始めたミリーに、痺れを切らしたアランが問いかけるも、ミリーは笑ってはぐらかす。
「えーっと。今回の件……って言うか、一連の騒動は王国の手引きだったようだね。理由は前回報告した通りだよ」
迫る婚約式に向けて、帝国の第五皇子を招くために暗躍をしていた。
ライラ達が出会ったのはその実動員であり、所謂使い捨ての奴隷だった。
ミリーとカインは、その使い捨ての奴隷を使っていた本隊を一網打尽にしていたのだ。
「主犯はやはり公爵家か?」
「だね。流石にどれかは割れなかったけど、そこまで知る必要はないでしょう?」
「まあ……な。本当に付いて行く気か?」
「本人にやる気があるならね。それに少し小突いておいた方が、憂いが無くなるでしょう?」
今回の騒動だが、アランから見ても目に余るものがあり、表沙汰にすれば戦争になる可能性すらある。
帝国としてならば、戦争は歓迎するものだが、戦争となれば黒翼騎士団も従軍しなければならない。
ただでさえ少ない休みが、更に少なくなってしまう。
かと言って一時的にとは言え、ホロウスティアからミリーが居なくなれば、そのシワ寄せは相当なものだ。
どちらを選ぶにしても、大変なのは変わらない。
「そうなのだがな……彼女達だけ行かせると何をするか分からんし、仕方ないか」
ライラの持っている剣が本物だと言質が取れている以上、下手をすれば国が消し飛ぶ結果となるかもしれない。
苦渋の決断だが、アランは呑むしかないのだ。
たとえミリーが出先で遊んでいたとしても、アランが知るすべはない。
せめて土産の一つでも持って帰ってくる事を、祈るのが関の山だ。
「どうも。それと、どうやってダンジョン内に侵入していたかだけど、ギルド内に内通者が居ると思うから、そっちはネグロ任せてあるよ。そっちは後で報告書が上がってくるだろうね」
「そうでなければ流石に可笑しいからな。ホロウスティア内部ならともかく、ダンジョンとなるとギルド側のミスとなるからな」
帝国内部にあるダンジョンも、管轄はギルドとなっており、そこから帝国は利益を貰っている形となる。
ホロウスティア内の事件は騎士団が当たれるが、ダンジョン内となるとギルドからの要請が無い限り、騎士団は手が出せない。
ミリーの様に冒険者を兼任している団員もホロウスティアに居るが、情報収集に当たれるのはミリー位しかいない。
何せ、顔が割れてしまっているのだから。
「後はギルドの動きに期待するとしよう。今回の件が表沙汰になって困るのは、向こうも同じだろうからな」
「冒険者ならともかく、職員がやらかした訳だもんねー」
各国に対して、中立の立場を取っているギルドだが、冒険者の不祥事や行動は個人の責任となるが、職員となるとそうもいかない。
冒険者達は悪く言えば派遣だが、職員は正社員となる。
責任は冒険者ギルドが負わなければならず、今回ならば国家予算並の請求をされても可笑しくない。
財源となるダンジョンを不当に扱い、他国の理になるように動いたのだ。
言い換えれば、これは帝国に対して弓を引き、対立、或いは侵攻したのと同意義だ。
アランは今頃冒険者ギルドでは、犯人捜しのため躍起になっているのだろうと、少し遠い目をする。
自業自得であるが、徹夜の仕事は大変なものだ。
「この件は纏まり次第、帝都へ報告に行かなければならんな……その時の仕事は頼んだぞ」
「やれって言うならやるけど、もうそろそろ人を増やした方が良くない?」
黒翼騎士団は万年人材不足な訳だが、その中でもアランの第三騎士団は酷い有り様である。
ホロウスティアが広大なのもあるが、他国との接点が多いせいで外にも人を出さなければならない。
様々な事を少人数で回しているおかげで、黒翼騎士団の中でも随一の対応力を持っているが、下からはもう辞めたいだの、人を増やせてと突き上げをされている。
アランも増やせるなら増やしたいが、他の騎士団とは違い秘匿性が高く、戦闘以外にも多種多様な仕事をこなさなければならない。
愛国心は無くても構わないが、口が堅い人間でなければ困る。
そんな人物がそうそう見つかる筈もなく、居るならばどの団だって欲しい。
しかも黒翼騎士団は他と違って、大手を振って団員募集なども出来ないため、只々アランは頭を悩ませるばかりである。
「俺も増やしたいのだが、これが中々な……」
「ですよねー…………」
何方からともなく溜息を零し、人材不足を嘆く。
その頃、カインは何故かくしゃみをしていたとか、していないとか。
「おほん。これで急ぎの案件は一旦終わりだ。譲情報収集だけは怠らず、好きにしていればいい」
「いや、それって結局仕事をしてろってことでしょ?」
アランはただ笑うだけであり、ミリーにさっさと帰れと圧を掛ける。
黒翼騎士団には無駄にできる人材も、時間もないのだ。
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