朱嶺くんはお嫁さんになりたい!

黑野羊

1)再 会〈1〉

 朱嶺あかみね秋良あきら、二十歳と二ヶ月。

 この度オレは、住む家がなくなりました。



「アパートが火事で燃えたぁ?!」

「……うん」

 学食の片隅で、友人の緑川みどりかわ遥太ようたが呆れたような声を上げた。

 大学二年の初夏。

 秋良の住んでいた安アパートが、不審火で焼失した。

 バイトから帰ると静かな住宅街に人だかりが出来ており、何事かと覗いたその先に、真っ黒に焦げて朽ち果てた、自分が帰るはずのアパートがあった。

 大家のおばあちゃんも、他の住人もほぼ全員が無事。電気設備が古くなっており、漏電が原因の火事だったらしい。

「もーあらゆるものが燃えてた……。ショックすぎる」

 秋良は学食のテーブルにぐったりと突っ伏した。

 火事のあとのあれこれで授業に出れず、久々に大学へやってきたところを、秋良は同じ学部の遥太に学食に連行され、理由を聞かれていたのであった。

「泊まるとことか、大丈夫なのか?」

「今は大家のおばあちゃんが手配してくれたビジホに泊まってるけど、さすがにずっとは無理だから、どうしようかなーって」

 通っている鹿倉かのくら大学に近いからと、実家を出て借りたアパート。

 住人のほとんどが遠方からきた学生ということもあり、家無しになる学生たちのために大家さんがホテルを手配してくれた。しかし何日も泊まり続けるわけにはいかないと、他の人たちは友人親戚を頼ってホテルを去り、今では秋良を含む二〜三名がホテル暮らしのままである。

「じゃあしばらくうちに来るかー? って言いたいところだけど、今日から美月ちゃん泊まりに来るから無理だわ、ごめん」

「くそ、リア充めっ」

「んだよ、そーいうときこそ例の『彼氏』さんを頼れよ。あー、なんて言ったっけ? 蘇芳すおうさん、だっけ?」

 遥太が全く悪びれずに言うのを、秋良は一呼吸おいて。

「……別れた」

「はぁ?!」

 大学に入ってすぐ、秋良は六つ年上の蘇芳すおう真樹まさきという男の人と付き合っていた。

 彼はいわゆるフリーターというやつで、バイト先の居酒屋の隣にあるコンビニで働いている。休憩のタイミングでよく顔を合わせるようになり、話すようになり、気付けばお互いの家に行くようになって、半同棲に近い状態ではあった。

 ついこの間までは。

「え、なんで?」

「……火事で家がなくなったから、しばらく一緒に住みたいって言ったら『オカンと住んでる気持ちになるからヤダ、一緒に住むくらいなら別れる』って」

 昔から、男の人が好きだった。

 身長も低いし、筋肉もつきにくいのか、成人を迎えても子どものように華奢なまま。母譲りの癖のある黒髪に、大きな瞳と赤い唇のせいか、女性に間違われることも少なくない。そのせいなのか、周りは「なんか分かる」と言って受け入れてくれる人が殆どだった。

 そんな秋良の趣味は、料理と掃除。実家にいた頃は忙しい母の代わりに自分から家事を手伝っており、気付いたら実家の家事をほぼ任されていた気がする。

 大好きな人のお嫁さんになる、というのが密やかな夢で、だから好きな人にはとことん尽くした。

 元カレの蘇芳にも、自宅に行けばご飯を作ったり掃除をしたり、一緒に出かけた時のデート代だって、後半はほとんど自分が出していたような気がする。

 でも、そうするのが好きだった。

「うへー、最悪」

「さすがにショックだった……」

「まぁでも、お前は尽くしすぎだからなぁ」

「……やっぱり、そうなのかなぁ」

 素敵な人に出会えて、好きになってもらえて、お付き合いできるのは奇跡に近い。特に同性なら尚更だ。

 だから別れたくなくて、捨てられたくなくて、嫌われたくなくて。気付けば相手に合わせて、あれもこれもと世話を焼いてしまった結果がコレだ。報われない。

 自分を頼って、甘えてもらう瞬間が、嬉しかったのに。

「それよか、ひとまずは家をなんとかしないとな」

「早々に引っ越し先見つけないと」

「実家から通うのは? 県内なんだろ?」

「これまで自転車で三分の距離に住んでたやつが、片道三時間の電車通学できると思う?」

「うわ、つら……」

 実家と大学は、県内といえど端と端の距離。たまに行くにはいいけれど、さすがに毎日と思うと心が折れる。

 どの辺で探すのがいいだろうか、と遥太に相談していると、スマホが振動した。母親からの電話だった。

〈あ、秋良? 新しい引っ越し先、見つかりそう?〉

 実家にはすでに火事のことを話してあって、住む場所や下宿先に心当たりがないか、知人や親戚にも聞いてくれているらしい。

「ぜーんぜん。大学近辺はこの時期だとやっぱりもうないね」

〈やっぱりないかぁ、そうよねぇ〉

 季節は夏休みも近づいてきた初夏。新学期前であればまだ、引っ越していく人も多いので期待できるが、そんな移動も落ち着いてきているので難しいのだろう。

「母さんのほうはどうだった? 親戚の人とか、周りに聞いてくれたんでしょ?」

〈あっ、うんそう、それでね? 年賀状ひっくり返してたら、清詞せいじくんの家の住所が、あんたの大学の隣町でさ〉

「えっ?!」

 久々に聞いた名前に、心臓が飛び出るかと思った。

〈奥さんのお葬式以来会ってないし、どうかなーって連絡してみたら、まだそこに住んでるんだって! あんたのこと話したら『いいですよ』って言ってくれたし、ちょっと会っておいでよ〉

「え、いや、でも。そんな、急に……」

〈なによー。あんた小さい時は『清詞兄ちゃん、清詞兄ちゃん』って、後をくっついて回ってたじゃないの。しかも『結婚してください!』なーんて、マセたこと言ってさぁ〉

 電話の向こうで、母親がケラケラ笑いながら懐かしそうに言う。確かにそんな時期はあった。が、それはもう何年も前の話で。

「しょ、小学生の時だろそれ……」

〈いつまでもビジネスホテルやお友達の家を転々とするわけにはいかないんだし。例の『彼氏』にも振られたばっかりなんでしょ? 通えそうな距離なら、引っ越し先が決まるまででもいいから、置いてもらいなさい〉

 母親は「住所はメッセージに入れておくから」と言って通話を切ってしまった。

「えぇー。……マジで?」

 通話の切れた画面を見つめて、秋良はただただ放心する。

「お、なんだ? 親戚のあてでもあったのか?」

「いや、うん。そう、なんだけど……」

「なに、苦手な人? 怒るとめっちゃ怖いとか?」

「ううん、めちゃくちゃいい人。……なんだけど」

 スマホの画面に、母親から「これ住所ね」という文言が書かれたメッセージ通知が入った。

 そこに書かれた久々に見る名前に、胸の奥がギュッと握られたような気持ちになる。

 最悪なことが起きた自分への、ご褒美か何かだろうか?

 不思議そうな顔を向ける遥太に、秋良は照れながら言った。

「……その人、初恋の人、なんだ」



 ◇



 紺藤こんどう清詞せいじは、父方の祖父の弟の末息子という、いわゆる秋良の父の従弟いとこで、秋良からみると従弟叔父いとこおじにあたる人である(秋良の父親は朱嶺家に婿入りしている)。十六歳ほど離れているので、今は三十後半。

 秋良にとって清詞は、最初こそ親戚の集まりで会う、優しいお兄さんという存在だった。同じような顔の並ぶ田舎の親類たちの中でも、どこか一人だけ垢抜けていて、妙に色気があって。

 綺麗な顔立ちと優しい振る舞いに、秋良は次第に清詞を好きになっていった。

 でも。

 当時小学生の『子ども』だった自分は、何も知らなくて。

 男の人は、普通なら女の人が好きだというのも知らなくて。

 後先も考えず、秋良は二十代の彼にプロポーズをした。

 結果はもちろん玉砕。

 ──でも諦めききれなくて、追いかけ回して、何度も告白してたっけ。

 田舎に帰省した時の、恒例行事のようになっていたのを覚えている。

 けれどしばらくして、秋良が中学に上がる前、朱嶺家はぱったり紺藤家のある田舎へ帰省するのを辞めた。理由は兄や姉の受験だとか、両親の仕事が忙しいだとか、その時で様々。

 そうして清詞と会う機会もすっかりなくなり、次に会ったのは、清詞と綺麗な女の人との結婚式だった。

 初恋はそこで終わった。

 それからその三年後、清詞の奥さんのお葬式で会ったのが、最後だ。

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