王太子から婚約破棄された令嬢は、国王に溺愛される
魚谷
第1話 婚約破棄
「ミレイユ・シュライアー! お前のような者は王太子妃には相応しくない! お前との婚約は破棄するっ!」
そう宣言したのは、幼い頃からの婚約者で、ゲルエニカ王国の王太子、フェリックス殿下。白銀の髪に切れ長の瞳は青く、整った顔立ちは甘い。
その美しい顔立ちに令嬢たちは誰もが足を止めると言われるその顔が、今は憎しみと怒りでひどく歪んでしまっている。
そんな彼がまるで大切な宝玉のように抱きしめるのは婚約者の私ではなく、パメラ・オルネキ。ゆるく波打つピンク色の髪になめらかな白磁の柔肌、円らな瞳は鮮やかなエメラルドグリーンで、男性の庇護欲をそそそるように眩く潤み、今殿下のことをヒーローのように仰ぎ見ている。
ここは王宮の大広間。集うのは、貴族の子女たち。
今日は、二十歳を迎えるフェリックス殿下の誕生日。それを祝ってのもの。
これまでは長らく和やかな時間が流れていた。
私はパメラ嬢との会話に夢中になっている殿下に代わり、招待客の方々への挨拶回りをしていたところだった。
その途中、殿下が不意に壇上へ上がったかと思えば、突然として私がパメラ嬢への嫉妬に狂い、彼女を虐げ続け、彼女の根拠のない罵詈雑言を吹聴して回っているという、ありもしないことを述べ、冒頭の宣言にいたる。
「ち、違います……私は、そのようなことを申しては……」
「黙れ! この期に及んでまで言い訳をするのか! パメラが全てを証言しているのだ! お前の嫌がらせに耐え続け、パメラは眠ることさえできず、苦しい日々を送っているというのにお前という者は……」
オルネキ伯爵令嬢のパメラは半年前に、私の侍女として王宮へ出仕するようになっていた。侍女としての仕事をさぼり、隙あらば、フェリックス殿下の執務や王太子教育の邪魔をするので叱責もしたし、信頼できる臣下の方にお願いして、パメラが殿下を邪魔しないように対策を取るように持ちかけもした。
でもありもしないことを吹聴したことなどないし、虐げるなどありえない。
「殿下、私の話をお聞き下さいっ」
「聞く耳など持たぬ!」
「殿下、ありがとうございます。私の言葉を信じてくださって」
パメラが殿下にすり寄る。
「お前の言葉を信じるのは当然だ。その目を見れば、誰が嘘をつき、誰が真実を述べているのかははっきり分かる」
その時、大広間の扉が大きく開け放たれた。
「国王陛下の御成でございます!」
先触れの役人が朗々と声をあげた。
陛下は執務で出席が多少遅れる予定で、まだ会場には到着していなかった。
大広間に集まる貴族たちが全員、深々と頭を下げる。
扉の向こうから現れたのは、堂々とした体躯の偉丈夫。
清潔感のある髪は黒々として、切れ長の瞳はルビーのような見とれるような深紅。
顔立ちの掘りは深く、野性味のある精悍さをたたえている。
毎日、兵に混じって訓練をおこなっていることもあって、肌は赤銅色に焼け、それがさらに逞しい印象を強調していた。
肩幅は広く、いくつもの勲章をつけた白い礼服ごしにも鍛えられ、がっしりとした体格が透けて見えるかのよう。
御年三十五歳と周辺諸国の君主の中では若年ながら、十五歳で即位して以来、常に戦場に身を置き続け、小国だったゲルエニカを大国の地位にまで押し上げた立役者。
人々は、陛下をしてゲルエニカの黒獅子と呼び、恐れる。
そんな陛下は、シュライアー侯爵家の当主で、私の父、そして王国宰相でもあるグスタフを従えていた。
「ち、父上……」
さっきまでの威勢など吹き飛んでしまったように、殿下は声を震わせる。
「騒ぎがあったと聞いた。何があった」
陛下は会場を睥睨すると、私に目を留めた。
本来であれば、殿下の隣にいるはずの私が平場にいることを訝しく思ったのかもしれない。
「何があった」
「……いいえ、何もございません。殿下が少し酔われ、冗談を仰っただけにすぎません」
私は早口でそう告げた。
婚約破棄などそう簡単にできるはずがない。子ども同士の口約束とは訳が違うのだ。
婚約といえども、神前で交わされたものであり、神聖なもの。
それを冗談でも破棄しようなどと考えるなどと知られれば、殿下の名声に傷が付いてしまう。
私はできるかぎり、殿下の名声を守る道を選んだのだ。
私の言葉に殿下が賛同してくだされば、ことは丸く収まる。
私が冗談と捉えているのだから、宴の席の戯れ言で片付けることも無理ではない。
(お願いします、殿下。話を合わせて下さい……っ)
ちらりと上目遣いに殿下にアイコンタクトを送る。
しかしそれに気付いた殿下はと言えば、まるでプライドを傷つけられたとでも言わんばかりに、瞳に怒りの炎を再燃させた。
「殿下――」
「父上、私はミレイユ・シュライアーに婚約破棄を突きつけたのです! その女は、ここにいる私の愛おしいパメラへの嫉妬に狂い、誰も知らぬところで虐げ、悪口を宮廷中に振りまいたのです!」
水を打ったような静けさに包み込まれる。
春先にもかかわらず、ただじっとしているだけで緊張のせいで汗が肌を濡らす。
「証拠があるのか」
「パメラが申しております! それだけでなく、傷を付けられたと怪我までして……」
「傷を付けられた現場を見た者は……」
「お、おりませんが」
「つまり、お前はその小娘の言葉だけを鵜呑みにした挙げ句、臣下たちの前で、ミレイユを罵倒し、婚約破棄を突きつけた、と?」
「鵜呑みと仰せですが、父上は、パメラは決して嘘をつくような娘では……」
次の瞬間、静かに近づいていた陛下が、殿下を思いっきり殴り付けた。殿下の体はまるで風に吹き散らされる木の葉のように吹き飛び、立食のテーブルを薙ぎ倒していく。
パメラ嬢は顔を青ざめさせ、驚きで声も出せず、その場に崩れ落ちた。
「で、殿下!?」
私は殿下の元に駆け寄ろうとするが、その手を陛下に掴まれた。
「そんなにあいつが大切か? 君を、公衆の面前で辱めた男だぞ」
「私のことはどうでもいいんです。殿下のことも……。しかしながら殿下はこの国の次期国王。それがこんな騒ぎを起こしては国の威信に傷がついてしまいます! 陛下が、その身を削り、築き上げた大切なものが……」
ふわりと陛下は柔らかく微笑んだ。
陛下の柔らかな笑みを、私ははじめて見た。
「やはり、間違いなかった」
そう陛下は独りごちたかと思えば、その場で片膝を折る。
「な、なにを……?」
場がざわめく。吹き飛んだ殿下のことを誰もが忘れてしまったみたいに、陛下と私に注目が集まる。
「確信した。あれは、君のように賢い女性には相応しくない」
「それはどういう……」
「俺の妻になって欲しい」
「は、い……?」
「妻だ。王太子妃ではなく、王妃になってほしい」
陛下はその大きな手で、私の右手を優しく包み込むように握った。
時間が止まった、本当にそう思った。
「へ、陛下……」
私は笑おうとしたけど、うまく出来たかはわからない。
(陛下は場を和まそうと冗談を言っているのよ。だってそうとしか考えられないもの)
息子の許嫁に告白するなんて。
「冗談じゃない」
「わ、私」
「陛下、このような状況では宴は続けられません。お開きにされてはいかがですか」
父が陛下に囁く。
「分かった。――皆、宴はこれで終わりだ」
ほっと胸を撫で下ろす。
「行こう」
陛下は私の手を握ったまま、優しく手を引く。
絡みついた指先ごし、決してこの手を離しはしないと言うかのような強い意志がひしひしと伝わってくる。
私は手を引かれるがまま大広間を後にした。
それから私は王宮内の自分の部屋へ連れて行かれ、「よく休んでくれ。返事は明日以降で構わないから」と陛下ははっきり言うと、部屋を出ていった。
(返事は明日以降って……本気のプロポーズだったの!?)
数分前まで私は理不尽な理由で殿下から婚約破棄を突きつけられていたはずなのに、その数分後には、陛下からプロポーズされた? どういう状況? これってなにもかも夢なの?
頬をつねって現実を確認するような馬鹿馬鹿しいことまで本気やってしまった。痛かった。だからこれは現実だ。
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