烏龍は眠らない

零光

1章 九龍姉妹都市烏龍特区

第1話 目覚めは朝告げ鳥のいななきと共に

 コケコッコ、では済まない甲高い鳥のいななきに、大音量でどやされた女は、パンツとキャミソール姿のまま薄っぺらいタオルを蹴飛ばした。

 跳ね起きた体の下で、いつから置いてあるのかわからない安物のベッドがミシリと嫌な音を立てる。この街の目覚ましを担う業者は、日々家畜の改良を重ね、現在はトランペットという品種が広く流通しているらしい。ネーミングセンスはそこそこ良いが、夜明けとともに鳴き出す習性はどうにか出来なかったんだろうか。

「そのうちオーケストラとかになるんじゃないだろな。ああ、頭いたぁ……」

 多頭の、体長2mを越す巨大なキメラを連想し、ブルリと鳥肌の腕を抱く。彼女はもったりとした分厚い黒髪をくるりとまとめ、生き物の牙のような洗濯バサミで固定した。どうせ二度寝など出来やしないのだ、起きて身支度をしてしまったほうがいい。

 最近街でよく耳にする歓楽街きっての歌姫プリンセス・アリソンのニューシングルを鼻歌で再現する。冷たい水を吐き出す蛇口でバシャバシャと雑に顔を洗い、使い古してガビガビになったタオルを押し当て顔面の水分を吸収した。尻を拭いたらその日のうちに血便になるささくれた生地は、どうやらそろそろ限界である。

「トホホ……」

 毎月の家賃を払えばほぼスッカラカンの安月給を嘆きつつ、適当に化粧水を叩き込んで寝室兼居間へ。ベッドと本棚つきの机、冷蔵庫を置けばほとんど座る場所もないような狭苦しいワンルームが、彼女、サヤカ・リーの居城であった。

 ペタペタと部屋に戻れば、打ち上げ花火が炸裂する前の、シューッという風切り音が聞こえてきた。出どころは窓側。カーテンは初めからつけていないから、夜明けから少し経つ黄金の朝日が目に痛いほど眩しかった。

 サヤカ・リーは眩しさに顔をしわくちゃにしつつ、急いでベッドの向こうの窓を開けた。程なくして、ガスで浮くタイプのホバーシューズを履いた少年が「メシ!」と一声、紙のランチボックスをポイと投げ込む。網戸とは反対の、何の隔たりもない窓を全開にしていたから、特徴的な赤いバンダナやジャラジャラつけた金の装飾が鮮やかに光っているのが見えた。

「今日はの店の肉セットだ。あの中華風だか洋風だか分からんやつ! 文句言うなよ!」

「ありがとリーダー! ヤッホゥ、フォークもついてる!」

「おめーが毎回キーキー言うからだろうが」

 ブブブ、とバイクに似た排気音を立ててホバリングする少年に届くよう、ほとんど叫ぶようにして会話に応じる。受け取った食事は、ずっと持っていると手のひらに熱いほど。出来立てだ。

「バーガー以外は食器つけろって言い続けた甲斐あるわ! サンキュー!」

「やかましいわ! 遅刻すんなよ!」

 サムズアップした片腕を突き上げて、倒れるように落ちていく赤いバンダナの少年を見送り、サヤカはいそいそと椅子に腰掛けた。卵のパックに似た角の丸い紙の箱は、先端が凸型になっている上の蓋を、下の穴から引き抜くことで容易に開く。ポコポコ湯気を立てる食事を見下ろし、サヤカ・リーは顔面から湯気を浴びるように、まずは匂いを楽しんだ。

「うぅ〜ん……! しょっぱい給料で毎日バイクかっ飛ばしてる甲斐があるなぁ! このために生きてるよね、正直!」

 向かって左側。味付けした飯を四角く盛った上に、蒸した葉野菜と塩ゆでした鶏肉のほぐし身がこれでもかと乗せられている。くせのある香草を使っているらしく、青く苦い爽やかな香味が塩気のある肉の匂いと絡まって、その味を想像させた。

 右側にはゆで卵を潰して酢漬け瓜と和え、良く焼きのベーコンの上に乗せたボイルドベーコンエッグ。卵に絡む粒マスタードとその上から振りかけられた黒胡椒が、塩漬け肉の脂と絡まって空きっ腹に暴力的だ。彼女が日々危険をおかして薄給の配達員に身をやつしているのは、こういう福利厚生がしっかりと行き届いているからだ。毎日の朝食を保証するサービスがなければ、早々に選択肢からとっぱらって、そこらで春でも売っていたことだろう。

「おっと、お茶お茶」

 女が手間を惜しまず仕込んだ最低限の丁寧な暮らし、食後の脂肪吸収を抑える薬草茶。毎晩作って朝飲めるように冷やしておいたそれを取り出して、サヤカ・リーは竹のフォークを構えた。

「今日も一日、生きて飯が食えますよーに!」

 祈りエイメンの代わりに叫んでザクッと刺した卵とベーコンは、舌がやけどするほど熱く、塩っぱかった。



 ベーコンエッグど鶏めしを交互に啄んでいると、耳にぶら下げた白い金属のタグからチリリと甲高い電子音が立つ。噛み合わせた奥歯が振動する程の不快な音を、彼女は支給品の端末を使ってとめた。スリープモードを解除した液晶画面の中。無味乾燥なテキストボックスがポップアップする。親指でタップすれば、今日の配達先が上から下まで細かい文字でずらりと並んだ。

「うへぇ……結構遠いとこまで行かなきゃじゃん。燃料足りるかな」

 親指でスクロールすること三回。一日に与えられた膨大な仕事量とその内容をザザッと頭の中で整理して、サヤカは向かうべき道のりと順番をピックアップする。

 戦前にどうだったかは知らないが、今の暦に統一されて十余年、大陸の東は、偉大なる無法者たちが取り仕切る大きな暗黒街だ。こと流通においては旧アジアに大昔から存在するヤクザ・カルテル日本の犯罪組織、クリュウ・ファミリーが独占している。

 この街で暮らすなら配達員と輸送船にだけは手を出すな。

 暗黙の了解が守れない者は、この烏龍特区で生きていく術を持たない。

 そんな頼もしいが故に恐ろしい組織にケツを持たれている配達員たちは、毎朝送られてくる配達地区も指定時間もバラバラな指示を、どうにか組み立てて動かなければならない。万が一遅れたその時は尻の穴を増やされる程度では済まないのだ。口以外で煙草を吸うコツを、実地のぶっつけ本番で、嫌と言うほど思い知ることになるだろう。

「あ〜アリソンとこ行かなきゃなのか。先に肉屋と雑貨堂、それと……」

 竹のフォークを咥えたままブツブツと小声で今日の巡回路を組み上げたサヤカ・リーは、端末の電源を切り、後は興味もないとばかりにベッドの上へポイと放った。こちとら五歳(烏龍の子どもなら一人前だ)の頃から配達で飯を食っているベテランだ。

ヂーさん元気かな、あそこあっこの肉団子うまいんだよねぇ」

 薄っぺらいお腹の下に乾燥させた葉の小袋を隠し持って届けていた頃、よく「チビ、飯ィ食ってケ……」と手招かれて食べさせてもらった。生姜の味が強い肉団子スープを思い出し、サヤカは舌に蘇る汁物の滋味と、プリプリの肉の食感に生唾を飲んだ。

「肉屋後回しにしてそのまま夕飯食べて帰ってこよ。久々にゆっくり食べれるぞ〜!」

 ホグ、とまだあたたかい鶏肉を噛みちぎり、頭の中で巡回路を書き換えた配達員は、残りの味付き飯をフォークでカッカッとかきこんだのだった。





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