第48話 後宮の方術使い

「曲蘭をつかまえなさい!」


 李薫児が命じると同時だった。うごく気配もなかった柳毅の指がぴくりとうごく。

 玥淑妃が驚きもせずに柳毅からはなれた。

 柳毅はとじていた目をひらき、石づくりの台からゆっくりと起きあがる。そして、梅芳たちのほうへむかって歩きだした。

 歩く柳毅にむかい「柳師兄?」と梅芳が呼びかける。

 もちろんだが、魂魄のない柳毅は返事をしなかった。彼のうつろな目に梅芳はうつらない。

 しかたなく、梅芳は李薫児にたずねた。


「李薫児。きみは、屍をあやつれるのか?」


『でも姉は、父に教わった占いを今でもたしなんでおります』


 李薫児に話しかけた直後。梅芳は李薫児の妹が以前に言った言葉を思いだす。


 ――李侍女長の姉が父親から学んだのは、占いだけではなかったようだな。


 李薫児が父親から旅の方士の生業を学んでいたならば、魂魄のない体をあやつるなど造作もない。しかも、あやつるのは鍛錬をかさねて長命さえも手にした完ぺきな肉体だ。ただ命令にしたがうだけの木偶人形だとしても、なみの人間なら太刀打ちできないだろう。


 梅芳の質問に李薫児は答えない。女の声の梅芳としか面識がないからかもしれない。彼女は一瞬、とまどった視線を梅芳によこした。ただ、玥淑妃から梅芳の正体を聞いていたにちがいない。すぐに、彼女は納得顔になった。


「李薫児。やはり、おまえが方術使いか」


 だまってなりゆきを見守っていた淳皇后が、ひさびさに声を発した。

 いぶかしんだ葉香が「やはりとは、どういう意味ですか?」と、淳皇后にたずねる。

 胸のまえで両手をあわせ、淳皇后が答えた。


「後宮の行方不明事件をわたしも調べていたのよ。怪異嫌いの皇帝陛下のご機嫌を損ねないよう、秘密裏にね。国師こくしさまにも内々に相談したわ。そうしたら国師さまが後宮で方術の気配がするとおっしゃった。後宮で方術をつかうなど、ましてや方術使いがまぎれこんでいるなど言語道断! 皇帝陛下に知られれば、どんなにお怒りになるか!」


 国師とは皇帝を教え導く師だ。たいていは宗教家で、淳皇后の手をあわせるしぐさから梅芳は仏僧であろうと推察する。


 怒りくるう皇帝のすがたでも想像したのかもしれない。語るうち淳皇后は青ざめた。そして、あらためて李薫児をにらみつけると「だから」と話をつづける。


「後宮に在籍する者の素性を調べあげ、方術使いをさがした。その李薫児も容疑者のひとりだったわ」


 話すうち、怒りがこみあげてきたのだろう。淳皇后は語気を強くして「わたしの目のまえで方術をつかうとは、申しひらきできないぞ!」と言い、玥淑妃をにらみつけた。


「玥淑妃! この侍女は、おまえの命令でうごいている。おまえも同罪だ!」


 淳皇后に断罪されても、玥淑妃と侍女は返事をしない。

 ただ、呪術であやつられる柳毅はどんどんと梅芳たちにちかづいてきた。ついには梅芳の間合いにはいり、彼は曲蘭にむかって手をのばす。


「柳師兄。やめてください!」


 座りこむ武俊煕にすがりつく曲蘭のまえにおどりでて、梅芳は兄弟子に呼びかけた。しかし、魂魄のない抜け殻に梅芳の声はとどくはずもない。

 梅芳をさまたげと判断したらしい。曲蘭とのあいだに立ちふさがった彼の顔面めがけ、柳毅は足技をくりだした。

 柳毅の蹴りを梅芳は手にしていた鉄棍棒で防御する。柳毅の体には魂魄がないため、腕力と修行で体にたたきこまれた反射神経だけで彼は戦っていた。よって、今の柳毅は、梅芳の敵ではない。そうは言っても、魂魄がないとはいえ相手は恋い慕う兄弟子だ。梅芳は決定打をあたえる決心がつかなかった。

 葉香が懐から呪詛やぶりの御符を取りだして「今、御符をッ!」と叫び、柳毅に投げつけようとする。梅芳と柳毅がもみ合う今なら、柳毅に御符を貼りつけるのも可能かもしれない。

 予想がたった瞬間。柳毅の蹴りを鉄棍棒でさけながら、梅芳は「だめだ!」と叫んだ。


「その護符は呪物を焼きつくす。今の師兄は呪物とおなじ。呪符をつかえば、師兄の体が焼かれてしまう!」


 後宮で曲蘭を助けたとき。柳毅の顔を隠す布が御符の青い炎で燃えあがったのを思いだして、梅芳は妹弟子に言った。

 話をしていたせいだろう。梅芳の集中は散漫になってしまう。

 梅芳の隙をつき、柳毅は大きく跳躍して曲蘭の背後をとった。彼は曲蘭の首に腕をかけ、彼女の首をしめる。そして、梅芳たちからあとずさって、はなれた。


「うごかないでください。うごけば曲のご令嬢の首を折ります」


 梅芳たちに警告し、李薫児は「こちらへもどって来なさい」と柳毅に命じる。

 李薫児の命令にしたがう柳毅は曲蘭をつれ、玥淑妃と李薫児のそばへと移動した。

 柳毅が首をしめつけているからだろう。曲蘭は「ぐッ!」とうめき、玥淑妃に涙声で問いかける。


「お従兄さまといっしょにいたいだけなのに、どうして?」


 すると、玥淑妃が「小蘭。だめよ」と口にし、くすくすと場ちがいに笑って答えた。


「彼はわたしのものなのだから」


 首をしめられながらも困惑し、曲蘭はさらに問う。


「わたしは伯母さまの息子の花嫁になりたいだけなのよ?」


 くすくす笑いをやめず、玥淑妃は「だから、それが嫌なのよ」と姪に返事した。

 曲蘭は「意味がわからないわ」と困惑し、苦しげに眉をよせる。

 玥淑妃はあきれ顔になると「聞きわけの悪い子ね。小蘭よ、小蘭。その人は……」と、口にしかけた。

 しかし、玥淑妃の言葉はべつの人物によってさえぎられる。


「わたしは、柳毅なのか?」


 頭をかかえて座りこんでいた武俊煕がふらりと立ちあがり、だれに問うでもなく言った。

 梅芳は「え?」と声をあげ、ぼうぜんと武俊煕を見る。

 玥淑妃も武俊煕に目をむけ、彼女は「まあ!」と驚きと喜びのいりまじった声で感嘆した。


「方士さま、記憶がもどったのですね!」


 武俊煕は額に手をあて「方士? 記憶がもどる?」と、玥淑妃の言葉をくりかえす。そして「そうか」とつぶやいて言った。

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