第25話 ことりの痛み

「閏、ちょっと怒ってる?」


「当然だ。女性を一番に狙った非道さに加えて、あろうことか女性の顔を狙ったんだぞ!」


 怒気が閏を纏う風となり、漆黒の髪を立ち上がらせていく。


「魔人の正義と共に! 志島たちは粛清する! ユナ、【ライズ】!!」


 紫色の靄に体が変化したユナは閏の手元にもたれかかった。


 樹の言葉を借りるなら権威を象徴する機関銃を肩に担いで片膝をつき、狙いを定める。


 志島たちは初めて目の前で閏が使役した魂を武器化させた姿を見てわずかに目を見開き驚いている。


「っへ、こけおどしに決まってる!」


「それはどうかな。志島、スポンサーに良心があることを祈るんだな」


 そして、引き金は引かれる。今度はしっかりと反動に備えて片方膝立ちで足場を固定した。銃口は志島たちの足元に向けられていた。


「水に沈んで猛省しろ!!」


超次幻重力砲アブソリュート・カノン!!』


 ドゴオオオオオオオオオオオオオオオッン!!!


 黒と紫色の極太な光線は志島たちの足元にあった山壁をごっそりと抉り取り、爆発した。


「うわあああああああああああああああっ!!」


 足場を失った志島たちは揃って崖下の川へ落ちた。豪快な水しぶきが下の方で噴火したように上がっている。


『なかなか痛快な決着だったな』


『早く潰しておけばよかったよ』


 ユナの姿を元に戻すとことりたちのところに戻る。


「すっげー! 時十! お前マジですげぇな!!」


「志島さんたちは御無事でしょうか?」


「川底が深かったみたいだからそのうち浮かんでくるだろ」


 閏がそう言うと美也は笑顔で手を叩く。


「ではとどめに岩石を降らせておきましょう♪」


「……商品棚に岩石が……?」


 顔を引きつらせている閏とは対照的に美也は満面の笑みを浮かべていた。


「行きますわよ優太さん。鎖でこの岩を掴んで投げる、ひたすら投げるミッションですわ」


「は、はい! 頑張らせていただきます!」


 美也は優太を連れて仕上げの作業に取り掛かった。


「脳三先生、俺は救護テントにことりを連れて行きます。先生たちは先にチェックポイントへ進んでください」


「ちょっと! あたしは平気だって」


「任せたまえ! ケツァルコアトルの卵は私のものだ! 行くぞ生徒たち!!」


「話を聞きなさいよ!!」


 しかし、ことりは怒っていても立ち上がれないでいる。閏はことりのそばでしゃがむと背中を向けた。


「バレないと思っていたのか。左足も被弾しているだろ。おぶってやるから乗れ」


「うぅ~、男の背中にぃ?」


 心底いやそうな顔をされた。


 しかし、ユナがことりをひょいと持ち上げて閏の背中に乗せてくれる。


「閏はユナの彼氏だから安心していいよ」


「それもそうね。ユナちゃん、美也のそばにいてくれる?」


「もちろんだよ!」


 断じて彼氏ではないが、閏は黙って立ち上がると元来た道に戻っていく。


 ユナは美也の元へ飛んで行った。


 閏はそれを見届けると、麦虎を足元に従えて軽快な足取りで救護テントを目指した。


 しかし、バスが停まっている地点も通り過ぎ、苦労して救護テントまでたどり着いたのに、テントを開けてみると誰もいない。


 これには閏も舌打ちを隠せなかった。


「ここの保健教諭は仕事する気があるのか?」


「いいわよ。歩けるまで回復すれば。適当に治療してちょうだい」


 仕方なく、閏はことりを簡易ベッドに降ろすと、薬品棚からやけどに効く軟膏と包帯などの治療グッズを取り出してことりの横に腰を下ろした。


 ことりの肌に触れたら怒られるかもと思ったが、先ほどのユナのセリフが効いているのか、両腕に軟膏を塗って包帯を巻いている間、何も喋らず大人しかった。


「……あのさ、スカートを押さえててくれないか。足を治療するから」

「……ん」


 調子が狂う。声が漏れただけのような小さな返事だけで、素直にスカートを押さえている様子はしおらしく、いつもの攻撃的な性格が隠れてしまったようだ。


「もしかして、落ち込んでいるのか?」


「別に落ち込んでなんか……今に始まったことじゃないし」


 軟膏を塗りながら考える。昔からあることとは。


「志島たちの卑劣な犯行は、男代表として俺も謝るけど」


「違うわよ! あいつらは関係ない! これはあたしの……」


 そう言ったきり、続く言葉は出てこない。


 包帯は巻き終わったが、なんとなく、さぁ行こうかという雰囲気でもなく、閏はことりの横に座り直した。


「裏切り者……?」


 ふと思い出したことりの言葉をそらんじてみたら、ことりの肩はびくりと震えた。


「ずっと、気になっていたんだよな。美也を見失ったってことりが焦っていた時、異空間の存在は知らなかったはずだし、ましてや召喚獣を殺された事件にことりが関与しているなんて思えない。だから、何が裏切り者なんだろうって」


 ことりは、顔を伏せたまま、いつもより落ち着いた小さな声で話し始めた。


「……ごめん。本当はあたし、迷いがあるから迷い込むって噂、聞いたことあったの」


 少しは驚いたが、そもそもその情報は樹も知っていた。閏が聞き込みをしても出なかった情報を志島が知っていたり、それこそ人間たちが個々に育むコミュニティにはそれぞれだけが保有している、伝達されていない情報があったとしてもおかしくない。


「それは、美也も知っていたってことだよな?」


「そうね。五組の女子はみんな知っていたと思う。だからこそ、美也は自分ならあの子の場所に行けるんじゃないかって思ったんじゃないかな。美也は明らかに召喚士として続けていくか迷っていたから」


 そういう事情があったのか。よく考えたらあまり女子から情報を得ていなかった気がする。


「でも、それでなんでことりが裏切り者なんだ? 同じ情報を共有していたんだろ?」


「そうじゃないのよ、そうじゃなくて……」


 うんうん唸って閏も考えてみたが、ことりの考えは皆目見当もつかない。


 しかし、自分からポロリと零れた言葉とはいえ、ことりはあまり話したく無いようだ。


 じゃあ放っておくか、というわけにもいかない。これはきっとことりの悲しみだ。


 樹の時は藪蛇に噛まれたようなものだが、今度こそ上手くいけば閏の成長に繋がるかもしれない。


「実は、俺も裏切り者なんだ」


「へ……?」


 過去の話をカミングアウトするのはユナに続いて二度目である。


「昔の話だけどな。母親が浮気しているところを目撃したんだ。俺は母親の浮気は魔人の正義に反すると思った。それで俺は父上に全てを告げ口したんだ。ひどい裏切りだろ」


 ことりは一瞬、言葉を失ったようだった。しかし、口をもごもごと動かすと首を勢いよく横に振って顔を上げる。


「違うわ! 閏のしたことは正義よ! 裏切ったのはお母さんの方じゃない!」


「それで母親が父上に殺されることになると、わかった上だったと言ってもか?」


 今度こそ、ことりは言葉を失ったようだった。


「ユナの前では隠してた。いや、あの時は自分で気付きたくなかったんだろうな。だけど俺は、単なる魔族の一種族だった母親と違って、生まれたときから魔人なんだ」


 魔人の正義。言葉で教えられるよりも強く、閏の中に流れる血が犯してはならない罪と、粛清の責任を教えていた。


「無意識だろうが知っていたんだ、母親の結末を。それでも父上に告げ口したのは魔人の正義なんかじゃない。俺は単に取り戻したかったんだよ。母親の愛情を他の男に取られて悔しかった。ただそれだけのわがままだったんだ」


 認めてしまえば自分でもシンプルな理由だったと気付ける。魔人の正義とは何かと悩む前に、自分でもう知っていた。魔人の正義を利用しただけだったと。


「……違うわよ。やっぱり、閏が悪いだなんて思えない。子供だったんでしょう。当然の感情じゃない。正義とか悪とか関係なくて、母親に愛されることは、子供が主張できる当然の権利だと思うわ」


 そういう考え方もあるのかと、閏は新しい知識を得られた気分だった。


「権利か。考えたこともなかったな」


 くすりと笑ったことりは、足の動きを確かめながら先ほどよりハッキリとした口調で続きを話した。


「あたしと美也は家が近所の幼馴染なの。物心つく前から美也を愛してた。あんなに可愛い天使は他にいないもの」


 なかなかにヘビーな愛の告白だった。


「あたしは美也がいればそれで十分なのよ。美也がいればあたしは完璧なの。そうやって生きてきたから、あたしは……迷いすらも美也の一部に感じていた」


 少しばかり理解できずに閏は首を傾げた。


「それは、ことりの悩みが美也であればことりには悩みもない、という極論だろうか?」


「簡単に言ってしまえばそうね。美也以外に興味が無いから、あたしの悩みは美也に関することしかない。だけど、それって自分の悩みも迷いも全部美也の責任にして、美也がいるから大丈夫って美也を理由に解決した気になっていただけ。だから、あたしは裏切り者なのよ」


 どういうことなのかわからない閏はことりの言葉を待った。


「美也の悲しみに寄り添っていない。美也の悩みにも迷いにも、七瀬ことりとして美也の相談に乗れたことは一度もない。あたしは美也を肯定し続けただけ」


 だけど、ことりは人との繋がりはそういうものではないと言った。


「止めなきゃダメだったのよ。いつまでも落ち込んでいないでと、時には強引にでも前を向かせて立ち上がらせるべきだった。あんたみたいに自分を責めて落ち込んでいたら、美也にも、それは違うと否定してあげるべきだったの」


 ようやくことりの悲しみを理解した閏は深く頷いた。


「そうだな。ことりは間違っていた。美也も俺も間違っていたよ。人の正義を言い訳に使っちゃダメだ。過ちは認めて、自分で立ち上がらないと、守りたいものも守れない」


 閏は父親の正義を言い訳に使って自分の行いも父親の行いも正当化していた。


 だが、それではダメなんだとことりと話していて気付けた。失敗したのなら、もう一度立ち上がればいい。閏の行いは失敗したが、間違っていたわけではなかった。


 今なら、昔の自分を責めることなく、もっと上手いやり方を探せよ、なんて叱ってやれるだろう。


 閏は立ち上がると、ことりに手を差し出した。


「行くか。美也もみんなも待ってる」


 差し出された手の上にことりはそっと自分の手のひらを乗せた。


「閏、ありがとう」


 素直に礼を言われて心臓がドキンと跳ねた。ことりの笑顔は一枚の絵画のように華やかだ。


「さすがユナちゃんの彼氏ね。いい彼女を持つと男の株もわずかに上がるわ」


 浮かび上がった絵画が一瞬で泡と消えていくようだった。


「……行くぞ」


 一人で立ち上がったことりは、少し足を引きずりながらも歩けるくらいには回復していた。



☆☆☆

他の女子には割と優しい閏ですが、ある意味、ユナの前では本性を曝け出しているとも言えます(*'ω'*)


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