デブリ・ボックス

霧氷 こあ

プロローグ

2204の悲劇

 旧型ボイジャーに乗り込んでからどれぐらい経っただろうか。ここにいると、時間の感覚が希薄になる。ボクサーがリングに立っているとき、時間が長く感じるとよく聞くが、もしかしたら近い現象なのかもしれない。

 それとも、どこを見ても似た景色のせいで、感覚がおかしくなっているからだろうか。地球にいるときは、暇さえあれば天体望遠鏡を覗いていたものだが、いざ仕事となり、目と鼻の先に宇宙空間が広がっている状況に慣れきってしまうと、感動も薄れるというものだ。

 小さなコックピットに表示された計器に目を落とす。今のところ異常はない。サイドモニターを見ようとしたところで、無線が飛んだ。

「こちら、ボイジャー01。フェイズ3までクリア。継続して、導電性テザーE D T(注1)を取り付ける」

 待っていました、と返事を返す。

「ボイジャー02、了解。今日も絶好調だな」

 続いて、旧型ボイジャーの母艦にあたるデブリ回収船スプートニクのオペレータールームからも返事がくる。

「オペレータールーム、了解」

 俺の軽口はさらっと流されたが、それはいつものことだった。オペレータールームのタイロスは仕事中だけは真面目すぎる。

 視線を正面へ向ける。そこに見えるのは大きなスペースデブリ。

 墓場軌道(注2)を浮遊する対象カタログデブリ2204が今回のターゲットである。対象2204の動きは安定しており、EDTを使えば問題なくデブリボックスの大気圏へ突入する。対象2204は惑星探査機の一部ということで多少サイズが大きく、太陽光パネルが左右に伸びているが、燃え残って隕石となっても問題はない。あそこは文字通り、ゴミ箱なのだから。

 再び計器に視線を向け、慎重に確認作業を続ける。周囲に作業の影響を及ぼすデブリは今のところは存在しない。俺はモニターの一部を拡大して、EDTが対象2204に張り付くのを確認した。

「ボイジャー01、フェイズ4クリア」

「オペレータールーム、了解。その調子で、継続して進めてくれ」

「ボイジャー01、了解。……異常発生。テザーが伸展しない」

 舌打ちしそうになった。いや、していたかもしれない。思わず毒を吐く。

「おいおい、技術部は新しいホローカソードがどうとか、テザーの伸展速度がどうとか言っていなかったか? レールがいかれてるんじゃ、それ以前の問題だろう」

「ボイジャー02、会話は録音されているんだぞ、余計な私語は慎むように。オペレータールームよりボイジャー01、光学カメラで確認はとれるか?」

「ボイジャー01よりオペレータールーム。無理だ、視認できない。直接見てくる」

 しびれを切らして、俺も声を上げる。

「ボイジャー02、こちらも視認できない。直接見るなら、俺が出るか?」

「オペレータールームよりボイジャー01、対象2204への接触を許可。ボイジャー02は待機、計測を続けるように」

 船外活動の実技に関しては、俺よりもあいつのほうが優秀だということだ。もちろんそれは俺も承知していたが、EDTの取り付けも異常の確認も全てあいつの仕事では、わざわざ現場に出ている意味がないというものだ。計器に関しては二世代前の無人機でも可能だろうに、その予算もない。数百年前はこのボイジャーですら無人惑星探査機だったというのに皮肉なものだ。

 少し離れたところにいる旧型ボイジャーから、宇宙空間に放り出されないように命綱を付けたボイジャー01が出てきた。俺なんかがやるよりもスマートかつ、スピーディーに噴出装置を使いこなし、対象2204に近づいていく。

 俺は視線を戻して、計器を見つめる。全くもって異常はない。周囲にも依然として変化は見られない。だが、計器が異常を現したのは、僅か数秒後だった。

「こちらボイジャー01、まずい! スラスターが生きている!」

 対象2204はスラスターによる力で緩やかにスピンを始めた。

「なんだって!? このデブリ、とっくに寿命じゃないのか、アイソトープ電池でも内臓してんのか?」

 モニターを操作して対象2204のデブリ資料を開こうかと思ったが、優先すべきは現状の対応だと瞬時に脳が判断した。

「オペレータールームよりボイジャー01、まだスピン速度は遅い、手を放せ! ボイジャー02、念のためにデブリバンパーを展開して、01を回収してくれ」

「ボ、ボイジャー02、了解!」

 すぐさまデブリバンパーを展開する。万が一、対象2204がスラスターの衝撃によって分離した場合、二次デブリとの接触ダメージを最小限に抑えるためだ。

 こちらの準備は整った。あとはボイジャー01の回収のみ。だが、やつは今だに対象2204から離れていない。

「ボイジャー01、聞こえないのか。早く手を放せ!」

 目視でも分かるほど、すでに対象2204から離れるのは危険なほどにスピンしている。下手に動けば、太陽光パネルに激突しかねない。母艦であるデブリ回収船スプートニクのアームを用いたとしても、この速度では抑えきれない。暴れるゾウを人間の手で押さえつけるようなものだ。

「駄目だ! スラスターは少し弱まったが、デブリの破損した部分が足に刺さって動けない!」

 思わずメインモニターに拳を振り下ろす。当然、モニターはその程度の衝撃ではびくともしない。対象2204がよりズームに映し出されただけだった。

「……ん?」

 ズームされた箇所をよく見ると、ゆっくりとだがEDTのテザーが伸展してきている。何らかのトラブルがあったのは確かだが、動きが遅いだけで、わざわざデブリに近づく必要もなかったかもしれない。余計に苛立ちがこみ上げてくる。

 テザーは網状になっており、デブリを消し去るまでのあいだ千切れないように作られている。あのまま対象2204がスピンをし続けると、伸びはじめたテザーが鞭のように暴れるのではないか。

 俺は狭いコックピットで身をよじり、命綱を装着する。それと同時に、計器の一つに目を落とす。ボイジャー01の心拍数などが示されているそれは、とっくにレッドゾーンを越えていた。

「こちらボイジャー02、01は自力での脱出が困難……いや、不可能と判断。助けに――」

「駄目だ! 二次災害になりかねない!」

 タイロスの慌てっぷりが目に浮かぶ。気が付けば母艦であるスプートニクもこちらに近づき、デブリバンパーを展開しつつアームを伸ばしていた。もうすでに今作戦のコストの問題は気にしていないということだ。だが、もう何もかも手遅れだ、と直感していた。

 伸展したテザーは当初の懸念けねんをものともせず、電流が流れていた。地球とほぼ同じ地磁場を持つデブリボックスと干渉してローレンツ力が生まれれば、対象2204はゆっくりと落ちていくだろう。だが、そもそもスピンした時点でこの計画はご破綻かもしれない。

 いずれにせよ、まだ目視できる今が、最後のチャンスなのだ。

 俺は上からの指示を無視して、旧型ボイジャーから飛び出した。無線機から聞こえていたボイジャー01の呻き声はいつの間にか止んでいる。気絶しているのかもしれない。

 オペレータールームからノイズのように絶え間なく指示が飛んでくる。俺は黙って受信拒否設定にすると、限定通信に切り替えてボイジャー01に声をかけた。

「リモンチク、聞こえるか。目を覚ませ。お前はこんなところでくたばるような男じゃないだろう!」

「…………」

「奥さんも子供も残して、先にいくつもりか!」

「う、ぅぅ……」

 まだ微かに意識はあるようだ。俺は噴出装置を使って対象2204、もといボイジャー01に近づいていく。対象2204がスピンしているため、EDTと共に張り付いているボイジャー01の命綱が巻き取られている。このままではボイジャー01の船体と、対象2204が接触する。この速度で接触すれば、必ず二次デブリが発生する。酷ければデブリクラウドになるだろう。

 かといって、命綱を絶つわけにはいかない。命綱がない状態で宇宙空間を漂う。そう考えるだけで、足がすくむ。いかに訓練を積んでいても慣れるものではない。シートベルトをつけずに車を運転しているようなものとは、比較にならない。

 命綱も断てず、ボイジャー01は足に部品が刺さり動けない。

 ならば俺が、対象2204と接触して、ボイジャー01と対象2204を引きはがすしかない。窒素ガスをうまく噴射して、衝撃を最小限に抑えてしがみつけば、何とかなるかもしれない。

「……ここにきて噴出装置の苦手を克服しないといけないとはな。ピーマンなら食べられるようになったっていうのによ」

「もう、いい……ボ、ボイジャー……いや、ヴァンガード……。お前まで……巻き添えに、な……る」

「へっ、俺は諦めねえぜ、管制課が作ったEVA(注3)バーチャルテスト、ハイスコア二位がこの俺だ!」

「ふっ……ば、かだな」

 俺は対象2204と距離を縮める。窒素ガスのストックも沢山あるわけでない。焦って多く噴出しないように慎重に対象2204の動きを見る。

 再びボイジャー01から通信が来る。奴も限定通信に切り替えたようだった。

「妻と、む、娘を……スリーズを、たの、む」

「やなこった。てめぇのケツはてめぇで拭くんだな」

 想定以上の窒素ガスを消費して、俺は対象2204にしがみついた。衝撃で酸素を多く消費したのが分かった。それでも惜しまずに一度深く呼吸を吸うと、体勢を整えてボイジャー01の足元へ移動する。

 どうってことはない、無理やり引き抜けば破れた宇宙服から空気が漏れだすだろうが、命綱頼りに旧型ボイジャーまで逃げ込めば何とかなるだろう。足の怪我の具合など、気にしている暇ない。

「リモンチク、歯ァ食いしばれよ!」

 ぐっ、と力を込めると同時に、ヘッドアップディスプレイに警告が出た。理解まで時間がかかる。

 反射的に左手をかざした。

 衝撃が左半身を襲う。視界が歪んで、バランスが崩れる。衝撃で、窒素ガスを多く噴出してしまった。

 一瞬にして視界は回転し、前を後ろも分からない。自分がいま対象2204に近づいているのか、離れているのか。

 答えは体に受けた衝撃で分かった。俺の懸念した通り、伸展しはじめたテザーがしたたかに俺の体を襲ったのだ。

 いつだったか、初めて無重力空間を漂った感覚が蘇った。荒ぶる視界の隅で、リモンチクも宇宙に投げ出されているのが見えた。

 宇宙服の気圧が低下する。心拍数が上がり、非常通信に切り替わった。

「こちらオペレータールーム! どっちでもいい、応答しろ! おい、ボイジャー02、応答せよ! 02!」

 もう俺に、返事をする気力はなかった。





 やがて、気が付いたときには月面都市の病院で横になっていた。どうも二週間も寝込んでいたらしい。起きてから気付いてはいたが、左腕は失われ、左半身の痺れは後遺症として残ると、医者に言われた。

 精密検査を終えて病室に戻ると、珍しくスーツを着たタイロス所長が、総務課やスペースガードのお偉いさんと共に病室へやってきて、ミッションの報告がされた。

 ミッションターゲットである対象2204は墓場軌道から大きく外れていき、カタログデブリとして追うことが困難となった。同時に、ボイジャー01のシグナルがロスト。シグナルが途絶える寸前に救助隊が出動したが、デブリクラウドや他の衛星軌道の都合上シグナルを追えきれず帰還。そうこうしているうちにシグナルが途絶えて48時間が経過。ボイジャー01とその操縦者――リモンチクはリミットを越えたことにより死亡扱いとなった。管制課の推測では、デブリボックスに落ちた可能性が高いとされているが、それが分かったところでどうしようもない。あそこは俺たち地球人の住める星ではないのだ。

 ――こうして、カタログデブリ2204の回収ミッションは大失敗に終わった。



(注1)導電性テザーとは長い紐状の物体を展開して電気を流し、地球磁場との干渉を利用して軌道降下させるシステム。

(注2)墓場軌道とは役目を終えた人工衛星が稼働中の別の人工衛星と衝突してデブリが発生することを防ぐために移動する同期軌道よりも高度の高い軌道。

(注3)Extravehicular Activity : EVA 宇宙飛行士が宇宙船の外で行う活動のこと。

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